アドホックネットワーク技術を用いた
自動車の安全運転支援
ATR適応コミュニケーション研究所
小花 貞夫、岩井 誠人、渡辺 正浩
1.ITSと車車間通信
カールベンツによりガソリン自動車が発明されてから100年以上が経過し、今日、自動車は日常生活になくてはならないものになっています。しかしながら、交通事故による死傷、渋滞による時間の損失や環境汚染などといった問題は根本的な解決方法を見い出せないまま現在に至っています。
これに対して、コンピュータの小型化、高速化、省電力化、GPS(全地球測位システム)によるナビゲーションシステムや3G携帯電話、無線LANなどの新しい無線通信メディアの普及に見られるように、情報通信分野の技術発展は著しく、これらを活用した統合的なアプローチで現在の自動車交通におけるさまざまな問題の解決を目指すITS(高度道路交通システム)が国家的規模で精力的に取り組まれています[1]。(図1参照)
ITS関連の機器としては、カーナビ、VICS(道路交通情報通信システム)、ETC(自動料金支払いシステム)が身近に普及したものとしてよく知られています。これらは、快適な運転支援を行うものであると同時に、渋滞を軽減することにより、CO2の排気量を抑制し環境汚染を軽減する効果があります。
一方、自動車事故による死者の数は、この数年で、年間1万人から7000人程度に減ったとはいえまだまだ多く、抜本的な対策が必要な状況です。このため、様々な対策が講じられてきています。例えば、シートベルト、エアバッグやABS※1が普及しています。また、高級車には、先行する車との車間距離をレーダにより計測し、先行車が急ブレーキをかける等により急激に距離が縮まった場合には、自車にブレーキをかける機能も装備されるようになってきました。
しかしながら、これらは、自分の車だけで講じられる対策であり、対応できる範囲には限界があります。そこで、考えられているのが、車同士が直接通信(車車間通信)を行い、お互いの存在を認識することにより、見通しの悪いカーブや交差点での出会い頭の衝突防止に役立てようという研究開発が産学官で進められています[2]〜[4]。
ATRでも、NICT民間基盤技術研究促進制度の研究受託「自律分散型無線ネットワークの研究開発」の一環として、携帯電話の基地局や無線LANのアクセスポイントのようなインフラを必要とせずに、端末間で直接通信を可能とする無線アドホック通信技術による車車間通信システムの研究を行ってきました。ここでは、これについて紹介します。
2.車車間通信におけるマルチホップ通信の必要性
車同士が通信する場合に、直接通信できる相手とだけ通信する場合(シングルホップ通信と言います)と、他の車が中継して直接電波の届かないところにいる車とも通信できるようにする場合(マルチホップ通信と言います)があります。特に後者の場合、直接見えない、より遠くの交通状況や交差点等で合流する道路の状況が予めわかるので事故防止には大きく貢献できると考えられます。アドホックネットワークは、このようなマルチホップ通信の機能を提供します。(図2参照)
3.アドホックネットワークに基づく車車間通信実験システム
今回、交差点等で合流する道路の状況を監視するビデオカメラの情報を交差する道路側の車にリアルタイムに無線で配信し、また、この情報が、さらに後続の車に中継することにより、運転者が次の交差点で合流してくる車の存在をいち早くカーナビ等の画面で見るといった利用シーンを想定して、課題の抽出と解決を図りました。
このような利用シーンでは、車が移動するため通信を中継する車が頻繁に変わるとともに、電波の伝搬情況も大きく変化します。このよう場合、安定した通信ができる通信経路を常に維持するための工夫が必要となります。そこで、ATRでは、ATRが開発した指向性ビームアンテナ(ESPARアンテナ[5])を用いて中継する車の位置を把握し、さらに電波の強さ等の伝搬状況を考慮して、最も性能(高いスループットや低い誤り率)が発揮できる通信経路を常に選択する適応的ルーティングの方式を考案しました[6]。また、実験システムを開発し、実証実験を通して方式の有効性を確認しました[7]。(図3参照)なお、実験では、車車間の無線方式として、2.4GHz帯無線LANの国際標準として広く普及しているIEEE802.11gを使用しました。
上記のように車々間でマルチホップ通信ができるようになると、前方の数台前の車が急ブレーキをかけたことがわかれば、早めにブレーキ操作の準備ができるので追突事故の低減にも大きく貢献するでしょう。さらに、車線変更をしたい旨を並行して走る車に伝えたり、また、障害物、事故車、駐停車中の車が前方にあることを後続車に伝えたりすることも安全運転に役立ちます。安全からは外れますが、前方で「ねずみ捕り」をやっていることも早めにわかると嬉しいかもしれません。
4.今後の展開
これまでの研究で、アドホックネットワーク技術による車車間通信が車の安全運転に大きく寄与できることを実証・確認しました。しかし、安全を確実にするためには、いくら備えても備えすぎるということはありません。特に、高速で移動する車同士が、より高速に、より確実にしかもより安全に情報を交換できるようにするためには、さらに解決すべき技術課題も多々あります。ATRでは、今後ともそれらの課題に取り組んでいきます。
※1 ABS(Anti lock Brake System):雨や凍結などで滑りやすくなった路面で急ブレーキをかけたとき、車輪がロックしないように制動をかけたり、緩めたりする制御を行い、素早く安定して車両を停止させる機能。
参考文献