ATRのメディア情報科学

Sumi-Nagashi




メディア情報科学研究所
五感メディア研究室
吉田 俊介、保坂 憲一、野間 春生


1.はじめに
 Sumi-Nagashiは、従来のマウスやタブレットを用いてディスプレイを見ながら作成する、視覚と聴覚のみに訴えかけるデジタルアート作成環境に 対し、力覚提示ができるProactive Desk[1]をキャンバスとして利用することにより、利用者が視覚と聴覚に加えて仮想的に定義された色やキャンバ スの触感を体感しながらデジタルアートを作成することができる環境です。すなわち、仮想的な触覚情報をデジタルアート作成環境に取り込んだものであり、デ ジタルアーティストに新たな表現手法を提案するものです。

2.Sumi-Nagashiのコンセプト
 コンピュータを道具として活用する芸術家にとって、現状では視覚に訴えかけるものが主流であり、創造に必要とされる芸術家の身体性という重要な要素が活 用できないという問題があります。芸術における身体の重要性は、芸術に関わるすべての人、特に作家は強く認識するところであり、自らが関わる素材と道具と を体で会話し深く感じるところから人を魅了する芸術は誕生するといいます[3]。いわゆるデジタルアーティストは、現実世界に存在しない道具を用いて、あたかも実在し、触っている かのように自らの想像力により無理に補完することでそういった体感を得てきました。これがデジタルアートやメディアアートが他の芸術分野と比較して多角的 な創造性に限界があるように感じられ、まるで人間の存在が必要無いように感じられる原因のひとつでもありますが、これは単にそのための道具が未熟なだけで す。
 我々は、芸術作業における身体性、視覚と脳の生理的な関係をさらに研究し、合理的な知覚の拡張を進めるべきです。Sumi-Nagashiはデジタル アートの世界に身体性を取り込むための一つの試みであり、視覚と触覚の調和により生まれる新しい芸術の可能性を示すものです。画家が絵の具の粘性やキャン バスと絵の具の接着具合を微妙な触覚によって正確に把握し、必要な効果を構築していくのと同じ次元でのデジタルならではの身体性の拡張こそが最終目標で す。

3.Proactive Desk を利用したSumi-Nagashiの実現
 Sumi-Nagashiは、コンピュータで生成した絵を頭上のプロジェクタで机上に投影し、利用者は筆(の形状を模した入力装置)を手に持って、筆で 絵を描くかのように机上をなぞります。机上はデジタルキャンバスであり、筆が動いた跡には利用者が指定した色が置かれます。キャンバスには、色の層に加え て仮想的な流れを持つ層があり、それにより描いたものを随時変化させることができます。
 このような視覚的なデジタルアートを、力覚提示ができるProactive Desk[1]をデジタルキャンバスとして利用することで、利用者が 持っている筆に物理的な力を伝えることができます。例えば、色に仮想的な重さを与えて、キャンバスに存在する色の境界を通り抜けるたびに触覚としてその変 化を感じることができ、また、仮想的な流れを生成した場合にそれも感じることができます。
 すなわち、利用者は筆やキャンバスの触感を通して、絵画を視覚的な色の感触だけではなく、油絵を描いている時のようなキャンバスの物理的な触覚を体感で きます。(図1)(図2

4.筆の機能と提示する力
 筆の機能には、単にキャンバス上に指定した色を置く、キャンバス上に置かれている絵の具をあたかも塗り広げるかのようにする、仮想的な流れを生成した場 合にその流れを堰き止めたり加速させたりする、の3つがあります。
 これらの機能により描画が行なわれる際、キャンバスには視覚的な変化だけではなく、利用者が持っている筆に対して物理的な触覚情報としての力が加わりま す。利用者が受ける力は「慣性」、「摩擦抵抗」、「流体抵抗」をモデル化した3つの仮想的な力を合わせたものです。
「慣性」は選択した色の重さと筆の大きさで決まる仮想的な重さと、筆の移動による加速度に比例し進行方向に逆らう力です。色の重さは、明度を基準とした心 理的な色の印象を基にして輝度値に変換した際に白色が最も軽く、黒色が最も重くなるようにしました。「摩擦抵抗」はキャンバス上の筆の進行方向前方にある 色の重さの変化を基にした力であり、進行方向に対するキャンバスの色変化に応じた一種の摩擦抵抗です。「流体抵抗」は流れから筆が受ける力であり、色が流 れていく方向へ押し流すかのように働く力です。
 これらを合わせた力を提示することにより、利用者が著しく色が変化する領域内で筆を走らせたり、速い流れの中を進むように動かす時、筆が存在する場所の 特性に応じた感触が得られます。(図3

5.おわりに
 Sumi-Nagashiは、SIGGRAPH2003、文化庁メディア芸術祭、ロレアル賞連続ワークショップ2004等の展示で数多くの方々に実際に 操作していただく機会がありましたが、今後はさらにデジタルアーティストの方々の創作活動に利用していただくことで、その有効性を検証していきます。

参考文献