ユビキタス知能ロボティクス



知能ロボティクス研究所 小暮  潔



 「どうしてもイモハンダになっちゃうんだけど」、「線あっためて、ハンダ沁み込ませた?」、「えっ、そんなことするんすか」、「そんなことも知らないの」――ちょっとした失敗談やノウハウのやりとりはどこにでもあります。我々の日々の暮らしは成功と失敗の積み重ねで、時として、ちょっとしたアイデアが大成功をもたらし、些細なミスが大損害につながります。愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。日々の経験を個人にとどめるのではなく、知識として人と共有できるようにすることが重要です。

 日々の経験を知識に変え、共有財産とする過程を支援するには、どのような技術が求められるのでしょうか。まず、経験をその周囲の環境に関する情報といっしょに観測・記録する技術が求められます。例えば、前述のハンダ付けの例では、どうやったら上手にできるのか、うまい人の手順を見ることができればよいでしょう。同時に多くの料理を手がける料理人の場合には、その場その場の目の配り方が重要になるかもしれません。こうした人間の振舞いを記録するためには、人間の活動を多方向から捉えるカメラのような据置型センサや、人間の視線の動きを捉える携帯型センサ、といったものをネットワークで組み合わせる「ユビキタス・センサ・ネットワーク」と呼ばれる技術が望まれてきます。このような技術を使用すると、人間の振舞いを多角的に記録することができるようになります。さらには、人間の感情と関連する生理的データ(例えば、脈拍や皮膚の電気的変化)を計測するセンサを個人に携帯させれば、振舞いと同時に感情に関する情報を記録することができるようになるでしょう。そのような情報から、例えば、どのような場面で集中していたのかが分かれば、後で同様のことを行う人にとって役立つ知見となります。このような観測・記録技術には様々な場面での応用が考えられます。実際、我々が現在進めているユビキタス・センサ・ルーム(ネットワークで組み合わされたカメラやマイクなどの据置型や携帯型のセンサを備えた部屋)の研究では、展示会のような状況での説明者、参加者の活動を対象としています(図1)。また、医療の現場でも、こうしたセンサの組合せを使用して看護師の行動を記録する研究プロジェクト、「E-ナイチンゲール」を進めています(図2)

 しかし、そのようなユビキタス・センサ・ネットワークで大量のデータが集められても、それらを活用することができなければ、宝の持ち腐れです。日常活動における意思決定に必要な情報を我々が簡単に獲得するには、観測データを使いやすい形に要約する知識処理技術が必要になります。特定の日時と場所に関する情報が必要な場合もあれば、それらを要約した知識が必要な場合もあります。それは、例えば、料理をしているときの視線の動きというようなものであるかもしれませんし、ハンダ付けの際に線を加熱して、ハンダを沁みこませることのようなノウハウの形式の知識かもしれません。あるいは、ある場所に人が立ち止まりやすいというような一般的な傾向を表す知識かもしれません。このようにセンサから得られた情報から日常活動に関する情報を要約する研究の端緒として、我々は前述のE-ナイチンゲール・プロジェクトにおいて、看護師の上半身の傾きと1分間あたりの歩数といった体の動きに関する情報から業務を大まかに分類することができる可能性を示しました(図3)

 さらに、知識処理により獲得された知識を人間に効果的に提供するためには、人間とのコミュニケーション技術が不可欠です。これは単に知識を提供する技術だけでは不十分です。人間がそれを信用しなければ何の役にも立たないからです。人間同士の場合には、例えば、相手の反応を見ながら、言葉やジェスチャを用いて少しずつ意見をすり合せ、信頼感を醸成することにより、提供する知識を人間に納得させるというように、社会的関係を築いていきます。知識処理を行うシステムも同様に、人間と社会的関係を築くことができる(あるいは、人間にそのように感じさせることができる)という意味での社会的知性が必要になります。このようなコミュニケーションを実現するために、日常生活の場で人間のパートナーの役割を果たす日常活動型ロボットRobovie(図4)や、世の中にある他のものにたとえにくい形をした人工物ロボットのムーソシア(図5)などを使用して研究を進めています。

 以上をまとめると、日々の経験を知識化する技術があれば、誰もが共有して使用することができるようになり、これまで一人で悩んでいたことや組織として気づかなかったことまでも改善することに役立つ可能性があります。これからは、一見してロボットに見える形かそうではないかは別にして、人間や周囲の環境との相互作用を行う知識処理に関する技術が求められ、生活の中に浸透していくことになるでしょう。

 人工知能の研究では、身体を持ち、外界との相互作用を行うことが知能の本質に含まれているということが主張されています。身体性知能と呼ばれているものです。このような身体性知能を知能ロボットと言い換えてもよいかもしれません。

 このような見方に立つと、上で述べたような、日々の経験を知識化するための技術全体は、人間の活動範囲に遍在する(つまり、「ユビキタス」な)身体性知能に関する技術、すなわち、ユビキタス知能ロボティクス(ubiquitous intelligent robotics)技術であるということができるかもしれません。知能ロボティクス研究所では、ユビキタス知能ロボティクス技術の確立に向けた研究を進めています。