新しい情報基盤としての日常活動型ロボット



知能ロボティクス研究所 石黒  浩



 インターネットという情報基盤が普及して私たちの生活は大きく変わりました。様々な可能性を持つコンピュータがネットワークでつながることにより、社会規模の情報処理が可能になってきたのです。しかしながら、インターネットで通信するという形態は、人間同士の対話からすれば非常に制約されたものです。いわば机の上に座って紙やノートに情報を書き込むという形態に近いものです。紙やノートが高速のネットワークにつながって瞬時に情報交換しているというイメージです。このようなインターネットのインタフェースを改善する研究は近年特に進んできています。例えば、携帯電話はたんなる電話からコンピュータの端末へと変わってきており、人間一人ひとりに張り付いて情報処理をする新しい情報基盤と見なすことができます。私たちは、ロボットもこの携帯電話のように新しい情報基盤になると考えています。

 これまでの情報機器とロボットが異なるのは、人間との関係の築き方です。インターネットを利用した多くのシステムはどれも、使用目的がはっきりしており、その目的のために人間は機器の使用方法を学びながら利用します。一方、私たちの日常における情報処理活動を考えてみると、常にはっきりした目的を持って人と対話しているわけではありません。対話しているうちに目的がはっきりしてくることさえあります。言い換えれば、人間関係を築くという作業と、人に仕事を頼むという作業が同時に行われる、または、人間関係を築いてこそ初めて、人に作業を頼むことができるというのが、私たちの行っている対話です。このように考えると、インターネットで実現されている人間とコンピュータのコミュニケーションがいかに狭く表面的であるかがわかります。誰にも役に立つタスクを考え、その機能だけを提供するシステムというのは、人間関係とタスクを厳密に切り離した設計方法で実現されるものですが、私たちが目指すロボットは、人間との間に人間−ロボット関係を築き、その上で実現されるべくタスクを行うというもので、従来の情報基盤でできなかった情報処理活動を可能にする新しい情報基盤として利用できるものです。

 図1は私たちが開発しているロボットです。なぜ人型ロボットであるかという問い対する答えは次のとおりです。まず、人間との対話において人間が擬人化しやすい対象であることが必要です。そして、人間は、音声だけでなく、視線の動きやジェスチャ等様々なモダリティを介して対話をしますが、そこにも人型であるべき理由があります。

 このロボットを用いてこれまでに様々な研究を行ってきました。一つはもちろんロボットをどのように作るかという設計・開発に関する研究で、もう一つは、開発したロボットが実際にどれほどうまく人と対話するかを評価する研究です。まず前者について、私たちの開発方針は、人間同士の対話における私たちの知識をできうる限り多くロボットに実装するというものです。一般にロボットの設計においては、人間等を例にその情報処理系をトップダウンに設計する方法が採られるのですが、その設計が正しいという保証はありません。私たちはあえてボトムアップの逐次的な開発方法を採ることにより、対話能力の高いロボットを実現しようとしています。具体的には、考え得るロボットの個々の動作について一つひとつプログラムを作り、次に、その行動プログラム間の関係をルールとして記述していくという手順をとります。図2に示すエピソードエディタは、実装した動作モジュール間の関係を視覚的に確認しながら、ロボットのプログラムをオンラインで修正できる開発支援システムです。

 後者については、ロボット工学以外の専門家とチームを組みながら取り組んできました。このような取り組みは、ロボット工学と人間を研究する認知科学、心理学を深く結びつけ、新しいロボット研究を生むきっかけになると期待しています。図3に示すのは、ロボットと対話する人間の動作を精密に計測することによって(左の○印の3次元位置を正確に測定。結果をCGで表示したのが右)、その人のロボットに対する印象を評価する研究です。人間同士の対話においても、人間とロボット同士の対話においても、相手に対する印象はその人の細かな動作に現れます。例えば、ロボットとうまく対話し、ロボットに対してよい印象を持っている人は、ロボットとよく目が合いますし、また、ロボットの動作と同期して体を動かします。人と対話するロボットの主観的評価を客観的な数値データと結びつける研究です。

 これまでは、一人の人間とロボットの対話、または少数の人間と少数のロボットの間の対話を主に研究してきました。今後はより多くの人とロボットの間での対話を研究する必要があります。そしてその対話時間も長くする必要があります。1時間の対話で築かれる関係と1年を経て築かれる関係には大きな差があります。しかしながら、ロボットが大勢の人の間に入ったとき、人はどのように受け止めるか、どのような動作プログラムをロボットに与えればいいのかについては、ロボット工学はもとより、認知科学や社会心理学にもいまだ十分な知見はありません。ロボット工学と認知科学や社会心理学双方の研究者が協力しあい、新たな研究を展開していくことが重要になります。従来研究室の中だけで行われてきたロボットの研究が、実際の人間社会に出て行く時がきたのです。

 このような研究のさきがけとして、私たちは、小学校に約1カ月間ロボットを持ち込みました。正確な結果を出すにはさらに研究を続ける必要がありますが、子供たちとロボットの間に築かれる関係について、また、子供たちのロボットの受け止め方について、様々な知見を得ることができました。図4にその様子を示します。

 最初に述べたように、私たちは、日常活動型ロボットはコンピュータ・ネットワークでは通信できない情報を通信し、情報機器と人間の新しい関係を開発する情報基盤になると考えています。その意味でも、最後に紹介した実社会における研究は非常に重要です。人間と対話し社会に参加するロボットの基本問題を解く以前に、基本問題そのものを同定しなければなりません。今後研究の場は、研究室の中から実社会へ、短期実験から長期実験へと変わっていく必要があります。