−人間情報通信研究所プロジェクト終了
プロジェクト終了におもう

ATRでの4年間、そして今…




経済産業省 産業技術総合研究所 生命工学工業技術研究所 研究員
(前ATR人間情報通信研究所 第2研究室)
金子 利佳(旧姓 神崎)



 私は大学院修了直後の1995年から4年間、ATR人間情報通信研究所(以下HIP)で発話情報の処理をテーマに「顔」の研究をさせていただきました。特に、人が顔の動きから視覚的に得ている発話情報を探り、さらに視覚情報と聴覚情報を統合する過程を明らかにすることを研究の目的としていました。この研究テーマは、人間の本質であるマルチモーダル情報処理の解明を目指すという点で興味深く、またテレビ電話など、顔情報と音声情報が同時に提示される通信機器などでより自然なコミュニケーションを実現するための基礎研究としてもたいへん意義のあるものであったと思っています。現在は新しい職場に移り、高齢者にも使いやすい情報機器の開発のため、高齢者の認知機能の解明に取り組んでいます。今は高齢者の眼球運動と認知過程の関係など視覚機能の研究が中心ですが、将来的には高齢者のマルチモーダルな情報処理過程を解明し、多くの人が使いやすい情報機器の開発に貢献したいと考えています。
 HIPでの4年間は研究の内容だけでなく、研究を進めていくスタイルにおいてもたいへん刺激的で楽しいものでした。私はHIPに来る前は大学院の心理学研究室で教官の指導のもと、同じ研究室の院生や学生など比較的限られた人々の中で研究を進めていました。そのためATRで実践されていた、さまざまな専門分野や国籍の研究者が議論を重ねながら既成の枠を越えて研究を生み出していくというスタイルは、私が全く経験したことのないものでした。HIPはいつもどこからか話声が聞こえていました。居室はもちろん、コーヒールームのこともありましたし、廊下で立ち話をする研究者の姿もよく見られました。人と人とのコミュニケーションの中から研究が生まれていたように思います。
 私自身は当初、HIPにいる人々の専門分野や国籍の違いに戸惑いました。しかし、次第に自分の研究を中心に情報を取捨選択することによって、研究のしやすい環境を作っていくことができました。例えば、私の研究テーマであった視覚情報と聴覚情報の統合に関する研究を行うにあたって、専門分野が違い、国籍が違う人々から実に多くのことを学びました。顔刺激の作成については、私の所属していた研究室が「顔」の研究に重点を置いていましたので、さまざまなテクニックがありました。音声刺激については聴覚の研究室の方に教えていただきながら、装置もお借りして刺激を作りました。また、実験は発話の研究をしている方の防音室の一部をお借りして行いました。研究手法については、心理実験を中心に視覚研究を行なっている研究室のミーティングに参加できたことがたいへん有益でした。また、議論の進め方については、外国からの研究者のやり方がたいへん参考になりました。
 新しい職場に来て、もうすぐ2年になります。研究の内容はだいぶ変わりましたが、HIPで学んだ、バックグラウンドが違う人々のやり方を取り入れて自分の研究に活かしていくという研究スタイルは、今の仕事にずいぶん役立っています。またHIPで多くの人々と出会ったことは、私の大きな財産であり、交流は今でも続いています。企業からHIPに来ていた研究者とのやりとりは、高齢者にも使いやすい情報機器の開発や評価にどのような基礎研究が必要かを考える上でたいへん参考になります。HIPで始まったコミュニケーションのネットワークを今後ますます拡大させ、将来の新たな研究に繋げていきたいと思っています。〕