−人間情報通信研究所プロジェクト終了
プロジェクト終了におもう

ATR、それは魔法の言葉ではない




NTT先端技術総合研究所 所長 (前 ATR人間情報通信研究所 社長) 東倉 洋一



@  私は、研究者としてもマネージャーとしても、幸運な人間である。ATRに企画・設立段階から参加できただけでなく、ATR人間情報通信研究所(愛称HIP)を構想し、これを運営する機会を得たのだから。
 ATRとの出会いは、まさに青天の霹靂だった。「関西に設立予定の研究所にNTTが協力することになった。準備チームの一員として、明後日付で新しい任務を命ずる」という人事命令によって、まったく気乗りのしない仕事に強制的に追いやられたのである。時は1985年の秋、新しい研究テーマを開始した矢先だった。しかし、新研究所設立の持つ大きな可能性を直感するのに時間はかからなかった。ゼロからのスタートには、更地に家を建てるような楽しみがあった。
 半年の準備期間があっという間に過ぎて86年春の設立を迎えたが、この研究所が目論み通りに歩み出すかどうか、正直に言って自信はなかった。どうなるか心配している時間などなく、走りながら考える毎日が始まった。全てが手探り状態ではあったが、まず「何をやりたいか(やるべきか)」が第一で、これを実現するために全ての可能性を追求する環境があった。こういう環境では、個性と能力を最大限に伸ばすことができる。ATRが設立後数年を待たずに世界から存在を知られるようになったのは、参加者全員がその持ち味を力いっぱい発揮することを可能にしたからだと思っている。これこそがATRがATRたる精神風土である。
 HIPは、いわゆる第二フェーズで最初の研究所であったため、その設立はATR全体にとっても重要な意味を持った。新研究所の継続的な設立によって、旧研究所の成果を引き継ぎこれをさらに発展させ、永続的な研究活動を意図したATR設立の構想の具体的な実行が試されたからである。このような背景の中で、HIPへの各方面からの大きな期待を感じながらの準備が始まったのは、ATR設立後5年目のことだった。
 ATRのミッションの中で、最も重要なのは「電気通信分野における基礎的・独創的研究の推進」である。視聴覚機構研究所の後継研究所を検討する時期を迎えたとき、これを「独創的研究」の象徴的存在にしたいと考えた。これがHIPである。視聴覚研の経験と実績を基盤として、「人に学ぶ」「異分野の壁を超えて(トランスディシプリナリー)」を基本コンセプトとした。そして、「研究は人なり」という信念に基づいて、人材への投資を最重要課題とした。ATRに持つ人材の獲得と維持に関する競争力を駆使するとともに、個々の研究者の個性と能力を活かす体制造りに心を砕いたつもりだ。出向元企業のマネージャーから寄せられた「研究者をATRに出向させたら見違えるようになった」という感想は、何にもまさる励ましとなった。
 人間の情報処理の解明という極めて高い目標を設定し、数々の未踏分野への挑戦と開拓を成し遂げてきた研究所が、9年間の研究期間の終了を迎えた。世はまさにIT時代である。しかし、IT社会の健全な成熟は、人間のより深い理解なくしては起こりえない。視聴覚研からHIPに亙る約15年間の研究は、時代を先取りした研究として、ますます意義深いものになろうとしている。
 今、HIPの終了と期を同じくして、ATRは自己変革を求められている。International Treasureと言われるほどの国際的な評価に、自信を持って変革の第一歩を踏み出して欲しい。しかし、忘れてはならないのは、これらの評価は基礎的・独創的研究への弛まぬ 挑戦に対して与えられたものであり、決して目先のリターンに対してではない。ATRには、視察に訪れた郵政大臣とアイスクリームを食べながら短パンとサンダル姿で歩く研究者が廊下ですれちがう光景が似合う。HIPは終了するが、ATRは永遠である。しかし、名声を維持するには、これを築くための何倍もの努力が必要だ。ATR、それは魔法の言葉ではない。