コンピュータのひとらしさ



1.わたしのMacはかわいい
 コンピュータは、計算のための機械から思考する機械へと発展してきました。情報処理技術の高度化・多様化の急速な進展にともない、複雑で使いにくい機械ではなく、人に優しく使いやすいインタフェースへの要請がますます高まっています。
 一方、たまごっちの流行が示すように、人は機械に対してあたかも人間や生き物に対するように愛着・欲求不満など心理的な関係を持つことがしばしばあります。人間どうしの日常的な交流では、このような心理的関係が重要な役割を果たしています。人に優しいインタフェースのためには、どのように作るかという技術的観点ばかりでなく、まず、人間は機械に対してどのような心理的反応をするのかという問題から考えてみる必要があります[1]
 私たちは、社会心理学の方法を用いて、コンピュータに対する人の社会的反応を観察し「ひとらしさ」の帰属という観点から、人−コンピュータ間のよりよいコミュニケーションの在り方について研究を進めています。

2.無意識のうちに
 コンピュータは機械であって、人間とはまったく異なると誰もが考えています。しかし、人間のコンピュータに対する心理的反応を調べてみると、コンピュータのことをあたかも人間のような人格的存在と捉えているとしか考えられないような振舞いが観察されることがあります。
 たとえば、人はコンピュータに対しても礼儀をわきまえた応答をすることが知られています。コンピュータにそのコンピュータ自体の能力評価を求められると、本音よりも甘い評価を付けます。コンピュータの「心情を害する」ような無礼なことは避けるものです。人々が意識的にコンピュータを人格的存在とみなしているというわけではありません。甘い評価を付けた人に「コンピュータにひとらしさを感じますか?」と尋ねれば、そんな馬鹿なと即座に否定されるでしょう。しかし、実際の行動では「礼儀をわきまえよ」という人間の社会的行動を支配する暗黙の社会的規範を適用し、あたかも人間に対するかのような振舞いをコンピュータに対しても示すのです。人々は、無意識のうちにコンピュータに対して「ひとらしさ」を帰属させていると考えることができるでしょう。

3.コンピュータに恩義を感じる!

 これまで私たちが行なってきた心理実験の一つを紹介しましょう[2] 。人間社会には、自分に恩恵を与えてくれた人にはその恩に報いなければならないという社会的規範があります。これは、互恵性規範と呼ばれ、世界中どのような文化でも普遍的に成り立ちます。私たちは、この互恵性規範が人とコンピュータとの間でも成り立つかどうか調べました。
 実験では二つの性質の異なる課題を使用しました。一つ目の課題は、砂漠遭遇課題と呼ばれ、被験者は課題を解く過程でコンピュータから有益情報の提供という「恩恵」を与えられます。二番目の課題は、色彩知覚課題と呼ばれ、被験者は画面上に表示された3枚の色カードを明るさの順番に順位付けするという作業をコンピュータのために繰り返すことによって「恩に報いる」ことができます。色彩知覚課題を遂行するコンピュータは、最初の課題で恩恵を与えられたコンピュータC1か。あるいはそれと(外見・性能は同じだが)別のコンピュータC2のいずれかです(図1)。もし、互恵性規範が人−コンピュータ間でも成立するならば、被験者は恩恵を被ったコンピュータC1に対してC2よりも色彩知覚課題をたくさん行うでしょう。
 実験は、日本と米国の双方で行いました。米国人の場合、予測通りコンピュータC2よりもC1に対して色カードの順位付けをより多く行うという結果が得られました。人−コンピュータ間でも互恵性に基づく社会的インタラクションが確認されたのです。

4.文化の違い
 ところが日本人の場合には、コンピュータC1,C2間に違いが確認できませんでした。それでは、日本人は米国人と異なり、コンピュータに対して恩義を感じないのでしょうか?
 社会的インタラクションは、背景にある文化に依存します。儒教文化圏では年長者を名前で呼んだりしませんが、欧米文化圏では普通にみられます。このような違いは、社会的関係形成にも影響を与えます。互恵性に基づく社会的インタラクションが日本人では予測通り観察されなかった原因として、文化的要因に着目しました。先の実験では、コンピュータC1,C2を一つの部屋で並べて配置しました。日本人被験者は、2台のコンピュータを、あたかも同じ学校に通う学生のように一つの集団に属する固体と考え、個々の固体ではなく、集団を社会的反応の対象としていたと考えられないでしょうか?
 そこで図2に示すような実験を行いました。今度はコンピュータを3台使います。2台C1,C2は同じ部屋に並べて設置します(集団A)。残りの1台C3は別室に設置します(集団B)。C2はC1とは同集団に属していますが、物理的には独立しています。一方C3はC1とは独立した集団に属し、また物理的にも独立しています。もし日本人が集団に基づいた社会的インタラクションを行っているならば、C1とC2に対する色カードの順位付けの回数はC3へのそれと比べて有意に高くなるはずです。
 実験の結果は、予測通りC1およびC2に対する色カードの順位付けの回数がC3へのそれと比べて有意に高く、C1とC2間には差がありませんでした。このことから、人−コンピュータ間での社会的インタラクションにおいても、人−人と同様に文化的背景が影響することが示されました。さらに、集団を対人関係形成の一単位と考えれば、日本人の場合でも米国人と同様に、人−コンピュータ間に互恵性に基づく社会的インタラクションが生じていたことが分かりました。

5.今後への展望
 人間は、無意識のうちにコンピュータを、あたかも人であるかのようにみなした反応を示すことが次第に明らかになってきました。無意識的な反応があるからといって、それを「ひとらしさ」の認知にそのまま結びつけるわけにはいかないでしょう。しかし、たとえ無意識にせよ、人−コンピュータ間インタラクションにおいて、社会的反応が広範にしかも一貫して現れることは重要な意味を持っています。「ひとらしさ」の帰属を上手に活用すれば、インタフェース・エージェントを始めとして、人に優しいコンピュータの構築に大きく貢献することができます。今後も、ここで紹介した社会心理学的方法を利用して、私たちの中にある「ひとらしさ」の帰属傾向の研究に取り組んでいきます。


参考文献


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