「ATR光電波通信研究所」の研究活動終了にあたって




郵政省通信総合研究所 所長 前(株)ATR光電波通信研究所 社長 古濱 洋治



 去る1995年11月2日ATR研究発表会に参加した。ATR光電波通信研究所にとって今回が事実上最後の研究発表会であり、またATRを離れて2年5ヶ月の間研究発表会に参加する機会がなかったので、今回の参加は意義深いものであった。研究成果の多くがシステムあるいは要素技術の応用例として展示されており、到達目標と考えていたことが具体的に実現されていて感激した。図表「光電波通信の基礎研究−10年間の歩み」を見ると、研究活動の経過がよく分かる。
 約10年前の立ち上げ期には、多方面の方々にお世話になり、どの部分を欠いても今日の発展は考えられない。以下、立ち上げ期における研究活動に直接関係した事柄について述べる。
 研究所の研究分野、研究費、要員規模の大枠は、基盤技術研究促進センターに提出した出資申込書によって既に決められていた。具体的な研究計画の大枠は、1986年4月から約半年の間、私と3人の研究室長(敬称略;安川交二、相川正義、藤本勲)と2人の主任研究員(敬称略;樫木堪四郎、田中利憲)とによる討論と試行錯誤を通じて決めた。最初の半年間ほとんど毎日夜遅くまで議論し、京橋のツイン21ビルにあった暫定研究所の中を作業のため動き回ったことが懐かしい。研究テーマの具体化に当たって、基礎的研究に力点を置くか、応用研究に力点を置くかでかなり議論した。ATRの設立主旨は前者であり、基盤技術研究促進センターからの要請は後者であったため、両者のハイブリッドで行くしかなかった。これが研究計画の性格を決定した重要な要因の一つであった。応用に近い研究で成果を挙げながら、先行きの不透明でリスキーな研究を推進することにした。
 優秀な研究者の確保が最大の関心事であった。中でも研究指導者の確保が要と言える。最初の一年間、研究者を集めることができるかどうか心配であった。このため、出資会社を対象に年2回研究員募集のための説明会を行った。また主要出資企業に研究者の派遣をお願いして回った。結果として各研究分野で中心的な研究者を確保できた。こうした人材を派遣していただいた各機関のご協力に心からお礼申し上げたい。
 研究活動の評価については、大きく言えば後世に待たざるを得ない。従って、可能なことは精一杯追及し、後悔しないようにするという姿勢で通した。また、各機関の中でやりたいにも拘わらずできなかった研究を、自由にできるような雰囲気を作ったことが良かったのではないかと思う。自由に研究していただいて、結果で判断するという方向で臨んだ。ATRが成功したとすれば、“良好な研究環境を準備し、優れた研究者を集め、彼等による研究活動が優れた研究成果を生み、これが新たな優れた研究者の吸引力となる”と言う良循環を作ることに成功したことであろう。
 今後はここで得られた研究成果を然るべき機関に移転して、研究内容を継承発展させることが大切である。研究成果の成熟度によって、受け皿の性格が異なってくる。成熟度のレベルに応じた受け皿を用意できるかどうかに、研究成果活用の成否がかかっている。最後に、取りまとめを精力的に進められている現スタッフの皆様の努力に敬意を表するとともに、今後のご健闘を祈念するものである。