プロジェクト終了にあたって




(株)ATR光電波通信研究所 代表取締役社長 猪股 英行



 当所は、将来無線通信が最も重要な役割を果す移動通信・衛星通信に必要となる高機能伝送系および小型・軽量化通信系のための基礎技術の確立を目的として、1986年4月26日、基盤技術研究促進センター並びに民間企業百数十社からの出資を得て、関西文化学術研究都市の精華・西木津地区に設立された。研究所の建物・施設ができるまでの約3年間、大阪市東区城見のツイン21ビル内に暫定研究所を設置し、研究をスタートさせた。
 以来、1996年3月末日をもって10年間の研究活動を終了し、以後は業務の主体を成果管理に移行する。本稿執筆を10年間のアクティビティーを総括する機会としたい。

10年間の統計データ
 当所のプロジェクトの総称は「光電波通信の基礎研究」であり、表1にサブテーマとそれぞれの研究目標及び担当研究室を示す。( )内は各研究室に10年間在籍した研究者の人数である。また、当所10年間のプロジェクトに携わった研究者を分類したものが表2である。このほかに、当所の運営に大きく寄与した企画課の職員が6名と派遣社員による研究補助員が18名いる。また、豊橋技術科学大学をはじめとする約20名の実習生(学外実習生)を受け入れた。
 次に、当所における研究活動の成果としての対外発表を表3に示す。プロジェクト推進に携わった研究者総数130名の平均としてみると、(1)国内大会・研究会での発表が5.6回、(2)国際会議での発表が2.2回、(3)論文誌上発表が2.0回、そして特許出願が1.4回となる。研究者の8割を占める出向研究員(出資会社に本籍をもつ研究員)の平均的描像として次のような姿が浮かび上がる。3年弱当所に在籍する間、約半年のテーマの具体化・準備の期間を経た後、半年毎に国内大会・研究会で発表し、年に1回は国際会議で発表するとともに論文誌上に投稿し、採択される。そして、自分の研究上のアイデアに関する特許出願を1〜2回行う。在籍中又は復帰後に当所での研究を柱にして学位を取得した者は、既に15名を数えている。

研究成果の社会への還元
 表1に示した研究目標からわかるように、基礎的な、かなり先を見た、また、かなり多岐にわたる研究に取り組んだ。七つのサブテーマに関する研究内容及び具体的な研究成果の紹介はATRジャーナル10周年特集号(1996年4月26日発刊予定)に譲るが、10年間の研究進捗とともに成果の性格はかなり分化している。即ち、
[1]純基礎的な成果:GaAs高指数面の物性の解明、超格子非線形光素子の多機能性の解明、超格子内キャリア輸送に関する新メカニズムの発見と解明、超潤滑現象の理論的解明、など
[2]先導的な成果:衛星の1μrad以下の高精度捕捉・追尾に関する基礎技術の確立、光カオス現象の通信デバイスへの応用可能性の実証、光制御による広帯域マイクロ波アンテナの実証、など。
[3]システムとしての高機能性の実証:DBFアダプティブアンテナ・干渉除去システム、広帯域パーソナル通信用光ファイバ・ミリ波システム、レーザマイクロビジョン、など。
[4]要素技術としての高度化の実現:多層構造によるMMIC化方向性結合器、1.06μm帯光ファイバ型増幅器、横型トンネル接合トランジスタ、など。
[1]〜[4]のいずれも、学術的・工学的に高い評価を得ており、我が国が諸外国から強く求められ、また、ATRの発足当所からその第一の基本理念とした、「電気通信分野における基礎的・独創的研究の推進」に十分寄与できたものと考えている。さらに、[3]及び[4]については、時間的に近いところでの製品化を通じて実利用面での貢献が十分考えられる。しかし、当所のみの力では実用化は困難であるのでそこに至る未知として、現在、適当なパートナーの協力を求めている。実用化を促進することによって、基盤技術研究促進センター、郵政省、大蔵省等の直接的な要請にも応える所存である。

 以上のような成果を生む原動力となったのは、言うまでもなく人であり、その中核となったのは出向研究員である。研究意欲のある若手研究者を多く出向させていただいた出資企業及び研究者自身の頑張りに感謝する。当所での3年弱の経験を積んで出向元に復帰した研究者の何人かが、“ATRで仕事しても得ることは無いから、派遣するのはもう止めた方が良い”と言ったとすれば、このような仕組の研究所は成り立たない。結果として、一人としてそのような報告をした様子は無く、力一杯引っ張ってくれたグループリーダーや室長の見識と尽力に心から敬意を表する。折りにふれ、さらに新たな視点からの刺激をもたらしてくれた客員研究員の貢献も大きい。最後に、10年間にわたり多大なご支援・ご協力をいただいた内外の関係機関の方々に厚く御礼申し上げる。