ATRに期待する
大阪大学 総長 熊谷 信昭
ATRが大勢の方々のご努力によって誕生し、着々と充実・前進を続けておられる姿を拝見し、まことに喜びにたえません。私自身、長年にわたって電気通信の研究に携わってきた者の一人として、また昭和60年3月に関西経済連合会にこの研究所の基本構想を検討する設立準備研究会が設置された当初からこれに参画してきた者の一人として、感慨ひとしおのものがあります。
最近、経済のソフト化とか、ソフト産業とか、情報化社会の決め手はソフトであるとか、とにかくソフト、ソフトという声をいたるところで耳にします。この場合のソフトという言葉は、我が国で一般に、「技術」に対比する意味で広く用いられているものですが、しかし私は、産業や経済の発展の原動力となり基盤となるものは、何といっても技術であると確信しています。いかにソフトの時代とはいえ、少なくとも産業・経済に関する限り、基本的に重要で、最も尊重されなければならないのは科学技術の進歩であると思っています。サービス業や証券業のような類のものばかりが異常に繁栄し、技術や製造業に携わる者が労多くして報われるところが薄いとすれば、そのようなソフト社会は早晩衰亡の道をたどることになるであろうと私は思います。
色々な科学技術の中でも、電気通信に関する技術は特にその中核的・基盤的な役割を担うきわめて重要な分野です。ATRに期待するところきわめて大なるものがあるゆえんです。
特にATRに期待されているのは、独創的な基礎研究の推進です。ATRの皆さんにその本来の使命をよく自覚していただきたいことはもちろんですが、それにもまして強調したいことは、周囲や社会が、このATR設立の本来の主旨とその目的をよく理解し、性急に目先の成果を求めず、ATRの皆さんが安心してリスクの大きい冒険的、先駆的な基礎研究に取り組むことができるように、物心両面からの支援を息長く続けていっていただきたいということです。それこそが、この研究所設立の意義を定める決め手であると思います。
ATRの設立に際してかかげられた崇高な理念のもとに、官・産・学があげてこの意義ある事業を支援し続けるとともに、ATRの皆さんが失敗を恐れず、勇気をもって創造的な基礎研究に全力を傾注されることを願っています。