集積回路から配線が消える
−半導体量子効果デバイス−



1.はじめに
 近年、ナノ構造と呼ばれている小さな世界の現象が注目されています。このナノという言葉は長さの単位であるナノメーターからきています。これまでの集積回路ではミクロン(1000分の1ミリ)が話題の中心でした。一方、ナノはそれよりさらに1000分1小さいということから、いかに極微な世界かがお分かりいただけるでしょう。それでは、ナノの世界ではどんなことが起こるのでしょうか。一般に、ナノの大きさになると物質の運動は従来の力学では表せなくなり、量子力学といった小さな世界を記述する法則が必要となります。そして、量子力学の世界では電子は障壁が存在してもそれが薄い場合に、ある確率で通り抜ける現象(トンネル効果)を始め、多彩な現象を見せるようになります。これがまた、量子ナノ構造と呼ばれるゆえんなのです。
 それでは、量子ナノ構造はどのようなデバイスに応用できるのでしょうか。まず、ナノ構造は微小であるため、この小さな体積を満たすために必要な電子の数は従来のものと比較して小さくなります。そこで、たとえば半導体レーザーの発光部分にこの構造を用いると、少しの電流でも充分電子が満たされることになり、レーザー発振に必要な電流値(しきい値)が下がります。すなわち、極低しきい値のレーザーが実現できることになります。また、薄い接合領域を持つp-n接合に電界をかけていくと、トンネルによって電流が流れるようになります。当所では、この原理を利用し、横方向に急峻なp-n接合を形成することにより、新しいタイプの横型トンネル接合トランジスタを実現しました。
 以上はナノ構造を用いることによって従来のデバイスの機能を向上させた、いわゆる量子化機能素子の例ですが、やはり究極の目的は量子効果を用いた全く新しいデバイスの創造にあります。後述するように、このようなデバイスの例として、点のような形状を持つナノ構造(量子ドット構造)を何個か集めたセルを基本単位とした量子セル回路が提案されています。この回路ではセルを横に並べるだけで情報が伝達されるため、従来の集積回路において微細化の障害になっていた配線が不要となるとともに、消費電力も激減させることができます。
 また、このようなデバイスを実現するためにはナノ構造を制御性良く作る必要があります。その作製法として、最近このような微細構造を自然に造ることのできる自己形成法と呼ばれているものが注目されています。ここでは、このナノ構造の自己形成および量子効果を利用した新しいデバイスの可能性について紹介します。

2.ナノ構造をつくる
 微細な構造を造る材料としては何が良いでしょうか。当所は金属が広く用いられ、リソグラフィーによって微細パターンを形成するのが一般的でした。最近ではシリコン(Si)を始め種々の半導体材料が用いられるようになり、造り方も多彩になってきました。当所では、この中でも発光というSiにはない特徴を有するガリウム・ヒ素(GaAs)に注目し研究を行なっています。ここでは、自己形成法を用いたナノ構造の作製について説明します。まず、図1に示すようにGaAs基板上にGaAsとは格子定数の異なるインジウム・ガリウム・ヒ素(InGaAs)を分子線エピタキシー法を用いて結晶成長させます。この時、欠陥が生じないで成長可能な膜厚、すなわち臨界膜厚以下では2次元的に成長しますが、それを越えると格子不整合による歪みエネルギーに耐えられなくなりドット構造になります。このような成長はStranski-Krastanow成長モードとして以前から知られており、これまではデバイス作製の妨げになるので、避ける方向で検討されてきました。ところが、最近では逆にこれを積極的に利用してナノ構造作製に応用しようという動きが活発になっています。これは、ちょうどガラス板上に水をまいた時に表面張力を小さくするために水滴ができるように、自然の力を利用していることから、自然形成あるいは自己形成法と呼ばれています。この時、水滴の形状がガラスの表面状態に影響されるように、GaAs基板上に形成されたナノ構造の形状あるいは密度は表面構造に強く依存します。特に、結晶表面を特徴づける面指数が高い結晶面、いわゆる高指数面は従来広く用いられてきた面とは異なる原子配列、電子状態を持っていることから、この上に成長したナノ構造は特徴的な形状を持つことが予想されます。当所では、これまで困難であった高指数面GaAs基板上の結晶成長を最適化することで、各種の高指数面上にナノ構造を作製し、結晶面をうまく選択することにより、形状や位置を制御できることを明らかにしました。

3.量子効果デバイスとは今から約10年あまり前、Tougawらは図2に示すような量子セル回路を提案しました[1] 。これらは簡単な描像で理解し易かったため、ある種の感動をもって受け入れられました。この回路において、単位セルは5つのドットで構成され、2つの電子が入っています(図2(a))。そして、電子間に働くクーロン斥力によって電子は対角の位置に入りますが、この時図2(b)に示すように2つの配置をとります。そこで、これらを論理回路に対応させて、’1’,’0’と定義します。次に、これらのセルを図2(c)に示すように横一列に並べると、間隔が’a’以下の時にクーロン斥力が働き、隣合って電子が入らないということから、入力情報が次々に伝わっていきます。なお、この時セル内の電子の移動はトンネル効果によって起こっています。これらは、集積回路における配線のような働きをすることから、特に量子配線と呼ばれています。さらに、図2(d)に示すようにセルをルーフ状に配置すると、入力’1’の状態に対して出力’0’となるようなインバータ回路が実現できます。以上のような回路の理論検討は、これまで種々な研究機関で行なわれ、論理演算に必要なすべての回路が実現できるということが分かってきましたが、デバイス作製には至っていないというのが実状です。この主な理由としては、量子ドット作製の制御法およびその特性を把握するための評価技術の未成熟が挙げられます。しかしながら、最近の原子間力顕微鏡装置を用いた微細構造作製など、技術は確実に進歩しています。すでに、単電子トランジスタの動作報告等がなされていることなどを考えると、この種の回路の実現も近いものと思われます。

4.おわりに
 当所では、小さな世界が持っている新しい可能性に注目し、量子ナノ構造作製からデバイス応用まで幅広く研究を行なっています。これらの量子効果デバイスは単なるこれまでの既存のデバイスの高機能化というよりは、新しいデバイスの創造を目指すものです。今後、さらにナノ構造作製における制御性を向上させるとともに、量子配線等の量子効果デバイスの実現を目指して研究を進めていく予定です。この時、対象とするのは単に電子だけではなく、光あるいは磁気まで含めた量子ドット間の有効な相互作用を検索することも、もう一つの重要な研究テーマと考えています。



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