ゼロからのスタート(その2)




(株)国際電気通信基盤技術研究所 顧問 葉原 耕平



(5) 初代の役得−研究マネージのたわごと2回目の初めにあたって多少正直な気持ちを白状しておきます。私はどちらかといえば天の邪鬼なところがあり、多くの人と違った発想をすることがよくあると(自分で)思っています。もっと言いますと、他の人とはまともには太刀打ちできないことが多いものですから、あまり人のやらない方法ならひょっとしたら意外な展開があるかも知れないという魂胆です。無力なるがゆえの知恵とでも言いましょうか。しかしこれは研究の手法にも一部通じると思っています。
 前回、基礎研究の定義論と併せてマネージの常道もまた考えにくいということを述べました。研究のやり方そのものも同じで、そんなのがあれば是非教わりたいものだと思います。また、定番があれば苦労しませんし、世界中のどの研究所もどの研究者もすべてうまくいく筈です。しかし現実はそうではありません。こういう簡単な事実をみるだけで、一義的なやり方はありえないことがわかります。にも拘わらずそれを聞こうとする人がいるのは不思議なことです。かつて、私は昔の同僚から「基礎研究のマネージ」についての意見を聞かれたことがあります。私は「何もしないのがいいんじゃない?」と答えました。これは誤解を招くといけませんので、あとで少し補足します。
 ATRについても、ことに立ち上げ時期は周囲の方々から「大変でしょう」とよく言われました。しかし私にとってこんな楽なことはありません。「まあそうです」で済みますし、多少ヘマをやっても周りの方々も大目に見て下さる場合が多いからです。ですが、「もう、大丈夫ですね。もう楽でしょう」などと言われでもすればそれは大変です。ヘマは許されませんから。そういう意味で、これまでは逆説的には楽な10年間でした。他に例がないこともあり、極端に振ってみることを心がけ、またある程度それができました。その典型は研究テーマです。それまで多くの、ことに日本での研究テーマは、そと、たとえばアメリカでやっていれば安心して取り組むという面がないではありませんでした。私はむしろ「どこかで類似の研究やってる? やってるなら止めたらどう?」「やってない?  それじゃやってみようよ」というのが日課でした。極端にいいますとそこまでが私が心がけたことで、あとは「何もしない」ことを(なるべく一生懸命に)心がけました。もっとも、始めから高望みは危険でもあり、現実には我々自身の実力の程も考え、時として妥協もやむを得ませんでしたが。
 この一見乱暴なやり方は、それまで、やれ内外の状況はどうだとか、分厚い資料を用意しないと計画を認めてもらえなかった研究者にはかなり戸惑いであったかも知れません。しかし、上述のようないわば青天井の雰囲気の中から「何か新しいことを」というムードが醸し出されれば万々歳です。事実、長年の直感で、これは面白い、ことによると途撤もない発展をするかも知れないという、私自身がわくわくするような話題に出あうこともしばしばありました。そのきっかけは本人からの説明(それもたった1枚のプラン、私はそういうのが大好きです)であったり、外部発表調書にほんの数行書かれていたことであったりで、これまた一通りではありませんでした。このような時、私は後ろに廻って本人をあと押しするようなことをしました。本人にしてみれば、ややおっかなびっくりで(たった1枚の資料で大丈夫だろうかとか)説明にきたのが、拍子抜けでつんのめったり、おまけに気がつけば後ろからぐいぐい押されているといった具合であったかも知れません。思い当たる人もいるでしょう。このようなテーマに出あった時は、まさに研究マネージ冥利に尽きる気持ちでした。

(6) 無階層の世界−人脈のイントラネット
 ATRが発足した当初、各研究開発会社に所属する研究員は各社長を含めて総勢でわずか22名、大家業の国際電気通信基礎技術研究所の社員を合わせても技術系が30名に満たない陣容でした。この程度の人数でスタートしたことは、結果的にATRに大いに幸いしました。何しろ話しが早い。大きな組織のように、手順を踏むという程のこともないし、第一そんな余裕はありませんでした。ですから、肩書きにはお構いなく自由に議論が進みました。いわば実質無階層の世界です。前回、外国出張にからむ私と担当者のやり取りを振り返り、今回もテーマの議論の様子を述べました。このような場を通して私は若い担当者の生の声を聞くことができ、彼等もまた私の考えをある程度(100%とは思っておりません−後述)知ることができたと思っています。また全体の人数が少なかったため、組織や出身母体の枠を超えた交流が盛んでした。当時立地したのが大阪京橋という盛り場に近かったこともあり、夜も連れ立って行動することもしばしばで、この時の交流は今でも続いているようです。
 もう一つ、「10周年記念特集」のコラム(p.10)に当時の建設設計担当の下瀬氏の回顧録がありますが、彼は京阪奈の現在の本研究所の設計に当たって、研究者全員から個別に意見・要望を聞いて回りました(これも少人数だったからできたことです)。彼はそれまでもいくつかの研究所を手がけてきていましたが、それまでの組織対組織で聞いていた条件の他に個々の研究者のきめ細かい希望を聞いて大変参考になったと述懐していました。今のATRの建物はその所産です。
 建物に絡んでもうひとつ。大阪のツインビルの時から、室内のデザインは各研究所に自由にやってもらっています。その結果、どちらかと言えばグループで研究を進める通信システム研究所と光電波通信研究所はお互いの顔がすぐ見える位の低い仕切り、比較的個人活動に依存する自動翻訳電話研究所と視聴覚機構研究所は割に背の高い仕切りになったのは、興味深いことでした。なお、コミュニケーションを活発にするため、個室はなるべく避けました。

(7) 「何もしない」を実行すること−由らしむ可し、知らしむ可からず
 先に「何もしないのがいいんじゃない?」と答えたと書きました。これだけでは誤解を招き兼ねないので少し付け加えておきます。
 その前に、殆どの方が奇異に思われたでありましょうこの節の副題を説明します。この有名な格言は普通世の中では「民衆には知らせる必要はない」という悪い意味で用いられていますが、本当は全くと言っていい程反対の解釈が正しいそうです。つまり、「可し」には「・・ねばならない」ということの他に「・・ことができる」、英語ならcanとかpossibleに相当する用法があります。つまりこの格言(出展は論語)は「為政者は権威で民を従わせることは出来るが、その意味を正しく知らしめることはきわめて難しい」というのです。これを敷延すれば、「知らしむ可からず」は「大勢の人に本当の自分の意図や考えを正確に知って貰い理解して貰うことは所詮不可能(impossible)である」、そして「由らしむ可し」は「然らば、そうしなくても人心がついてくる、慕ってくるようにしなければならない。これが為政者の行うべきことである。そのためには、あの人なら黙ってついて行こうということになるように自ら知を磨き徳を積むべきである」というように解釈することもできそうです。
 さて、多くの、ことにATRに招聘されたり出向して来るような研究者は概していい素質をもっていて伸びる人は伸びます。なるべく自分で考え、時には苦しみそして達成の喜びを味わうのが本人にとっても最高でしょう。世の中には強烈な個性と能力で部下を引っ張っていく指導者がいます。しかし、二人や三人位が相手ならともかく、何百人もの人の面倒を細かく見、かつ自分の考えを100%浸透させるのは所詮不可能です。「知らしむ可からず」です。途中で投げ出すのは最低です。それに下が頼り切る危険もあります。「あれは上司に言われたからやったので・・・・」といった言い訳の種にもなりかねません。ですから「何もしない」ということは、本当は「あとは総て自分の責任だよ」という突っぱねた一番厳しい環境を研究者に課することを意味します。ですから、私は一旦方向付けしたら、なるべくそっと見ていようと考えました。ところがこれが難物で、言うは易く行なうは難し、です。私は多分におせっかいなところがあり、ぐっと我慢しているのは本当は大変苦痛です。「由らしむべし」がいかに難しく「由らしむべからず(この用法はもうおわかりですね)」を痛いほど味わうことともなりました。研究者は面白い発想や結果がでれば、嬉しくて放っておいても話したり、報告したりしたくなるものです。にも拘わらずマネージの立場からはつい誘惑に負けて「あれどうなった?」と先に聞きたくなります。魅力的なテーマであればある程、進捗を聞きたいのは人情というものです。ですから、現に何度もやってしまいました。首尾一貫しないことおびただしく、そういう意味では落第かせいぜい60点ぎりぎりだったと言えましょう。しかし、担当者が嬉々として進展状況を話してくれるのを聞くのは楽しいことですし、そんな中から思わぬ新しい方向が見えるということもありました。大抵は担当者の正攻法と私のおかめ八目で別の視点からのヒントの合作、いわばトランス・ナレッジの成果でした。
 最後に「それをいっちゃあおしまいよ」という類のことをばらしてこの項を終りにします。前回「原則自由、例外規則」を指導理念に据えたことを述べました。しかし現実は、たとえば各プロジェクトのスコープは決まっており、本当はそれほど自由度がある訳ではありません。そんな中で担当者にいかに「自由」を(それも気付かれずに)感じさせるか、それが私にとって一番難しいことの一つでした。譬えはよくないかも知れませんが、広々とした青空のように見えるけれど実は霞み網で被ってあるという仕組みです。それでも、たとえ霞み網の中であれ、担当者が伸び伸びと研究に打ち込んでくれれば、そしていい成果に繋がればそれでいいではないか。ただし、霞み網にぶつかって羽を痛める危険が感じられるような時は細心の注意が必要です。こうしてどれだけ多くの研究者を(善意で)騙してきたことでしょうか。
 この「それをいっちゃあおしまいよ」という類のことを書くのは勇気がいります。それは、純真な研究者に「実は裏で大変多くの人や機関が苦労しながら陰に陽に支えてくれているんだよ」ということを、いつ、どの程度知ってもらうかということとも関連しているからです。しかも、これもまた「知らしむ可からず」なのです。この話しを敢えて書いた真意を少しでも汲み取って貰えればということで、この話しはここで終わりにします。