研究所運営の現場から

−21世紀への大きな羽ばたきを視野に−−



(株)国際電気通信基礎技術研究所 代表取締役副社長 葉原 耕平



はじめに

 ATR発足10年の節目としてこのジャーナル特集号を皆様のお手元にお届けできることは、私共にとって誠に喜ばしく光栄なことです。ATRでは発足1年後にATRジャーナル創刊号を発行しました。それ以降、関西文化学術研究都市での本研究所開所、5周年、新研究開発会社発足などの節目毎に外部から御寄稿を頂戴し、また私自身も小論を述べさせて頂きました。今、10周年を迎えるに当たってこれらの記事を読み返してみますと、ATRに対する各界の御期待の大きさと温かい御支援に改めて感激と感謝の気持ちを強く抱きます。
 言うまでもなくATRの使命は電気通信分野における基礎的先端的研究の遂行で、それ自身大変チャレンジングな事ですが、私にとってはそれと同時に研究所運営そのものが壮大な実験の連続でありました。この機会に記録としての意味も含め、そして多くの私見を交えながら、その考え方を多少物語り風に以下に列記致します。

1.研究所の理念

 ATR発足の日、日裏社長から研究所のあり方について意見を求められました。私は「研究所には顔が必要です」と答えました。それは二つの意味がありました。一つは端的にいえばスター的な傑出した研究者がいること、もう一つは研究所としての特色を持つことです。この二つは実は鶏と卵の関係にあり、傑出した研究者の業績により特色ある研究所に発展するし、また特色ある研究所には優れた研究者が集まり勝ちで、良循環に持ち込むことが重要であるという認識でした。
 ATRにとって大変幸いであったことは、先ず発足直後から数ヵ月後にかけて、優れた研究者を結集することができたことです。これはNTT、KDD、NHK、郵政省始め関係機関の絶大な御理解の賜物でありました。ことにNTTは初期にエース級の研究者を大量に投入して下さいました。分野によっては本体の弱体化が懸念される程で、これは大変なインパクトでした。ATRに対するこれら関係機関の姿勢が引き金となって各社がこぞって優秀な人材を出向させて下さったと理解しています。この順調な滑り出しが、その後、企業だけでなく大学などからの極めて優秀な研究者の参集にも大いに寄与したと確信しています。中には派遣先の米国から直接ATRに参加してくれた研究者がいたお蔭で、その異動先であるATRとは何ぞやということで、電子メールを通してむしろ国内よりも先に米国内でATRの名が知れ渡り、米国からの研究者の早期の参加に繋がったというおまけまで付きました。
 次に研究所としての特色の打ち出しについては、結果として私自身の経歴にかなり左右されたと思っています。私自身はそれまでNTTつまり電気通信のキャリアとしてサービス提供側の立場で通信網などインフラの研究開発に従事して参りました。また、そのような仕事はNTTで引き続き大部隊で強力に行われるでありましょう。そこでATRの使命としてそれらインフラの大発展を前提に通信網の使い手である〔ユーザ側の視点〕から研究を進めることに重点を置くことにしました。それは必然的に最終のユーザである〔人間の研究〕あるいは〔人に学ぶ〕というキャッチフレーズに繋がりました。今でこそ〔人に学ぶ〕という言葉はよく聞かれますが、当時これらは(われわれが最初に言い出したのではなかったにしても)いずれも比較的新鮮なキッャチフレーズでした。
 もうひとつATRでは、将来必須であり、かつ世の中で手掛けられていないテーマにチャレンジすることもその使命として陽に意識しました。古濱洋治初代社長率いる光電波通信研究所でのMMIC(モノリシックマイクロウェーブIC)の研究は、世の中のディジタルICの研究開発の大きなうねりに対していずれその必要性が問われるであろうアナログICを対象に早くから手掛けたものでした。携帯電話に代表される移動体通信の爆発的発展にいつの日にか貢献するものと思います。これはほんの一例で、ATRの各研究所は程度の差はあれ、いずれもそういう側面を強く持っています。よくテーマ選定と言いますが、ATRではテーマ発掘と言う方が似合っていました。
 さて、これらのキャッチフレーズの下に具体的に研究を進めること、殊に〔人に学ぶ〕を実行することは口で言う程容易ではありません。それには多角的な研究が必要で、そのため、工学者に加えて心理学、生理学などの分野の研究者も糾合し、いわゆる学際的研究に挑戦してきました。世にいうインターディシプリナリー(学際的)アプローチです。人材の確保にはそれぞれ担当の研究開発会社の社長、室長が懸命な努力を続けてくれました。そしてこの思想は困難な中にも着実に醸成され、その一つの実りは1990年11月のATR視覚・認知ワークショップに表れました。正直に言って、私はその時までインターディシプリナリーという言葉に何か平板さと物足りなさを感じておりました。このワークショップで、ある研究者がプログラムの表紙にM.C.エッシャーのDay and Nightと言う題の有名な絵を使うことを提案し、実際にそれを使いました。白い鳥と黒い鳥が左右に行き交っている構図です。これを見て私は目の鱗が落ちる思いがしました。「インター」に代えて「トランス」という言葉が頭に浮かんだのです。私だけの解釈かも知れませんが、「インター」が異なる分野同士が境界面で単に接しているイメージであるのに対して「トランス」は一歩進んでお互いに乗り入れ、組合わさっているイメージを与えるからです。それ以降「トランスディシプリナリー」という言葉を使い喧伝することに務めています。7年間のプロジェクト期間を通してATR視聴覚機構研究所社長を勤めた淀川英司博士(現工学院大学教授)は「トランス」と「トランスディシプリナリー」に関する記事や発言を国内外から克明に見付けてきてくれました。ここにきて、ATRのもう一つのキャッチフレーズが確立しました。「トランスディシプリナリー」です。設立後4年余を要しました。そして、キャッチフレーズという面でのATRの顔は一応整いました。
 余談ですが、これまで述べてきた〔顔〕とは抽象的なものでした。私自身は、それが本当に〔顔そのもの〕の研究にまで発展するとは当初は思ってもいませんでした。しかし、担当者の熱意で昨年初頭「顔と物体認識に関するシンポジウム」を開催するまでになりましたが、まさに阪神淡路大震災の当日とぶつかり、内外の参加者には極めて思い出深い出来事となりました。引き続き第2回も今年1月に盛況裏に行われました。


M.C.エッシャーのDay and Night 『copyright(c)1938M.C.Escher
/Cordon Are-Baarn-Holland/HUIS TEN BOSCH』


2.自主性の尊重

 個々の研究、殊にそれが基礎的であればある程その内容の良否は研究者の資質に大きく依存します。センスの良い研究の芽を摘むこと無くいかに伸ばすかがポイントの一つで、それには研究者の自主性の尊重が重要です。しかし、これが放任に繋がることは厳に戒めねばなりません。私の立場としては個々の研究の細部に亘って逐一指示したりその良否を論評することはなるべく避けてきました。その代わり、自らの研究のフェーズを常に認識し、研究方向の軌道修正を行なう習性を身に付けるよう、自覚を促すように務めてきた積もりです。動物的直観で、スジが良いと思った研究テーマは無条件で持ち上げました。必ずしもそう思えないものにはそれとなくヒントを示しました。出だしで多少方向を誤っても適切な軌道修正を行なえば良い成果に繋がる可能性は大きいからです。
 研究フェーズとは次のようなことです。例えば同じ石を投げるのでも「霧の中の池らしいところに初めて投げ込んでそれが池であることを確認しようとしているのか、池であることが既に判っていて波紋によってより克明に調べようとしているのか」といった設問です。前者であれば必ずしも精度は問われないが、直観力と大雑把な方向性の善し悪し、つまり経験とセンスの良否が後世論じられるでしょう。二番手の石を投げるのであれば今度は精度を問われます。また、どこまでが既知で(それは自らの過去の仕事であっても他の研究者の仕事であっても)、今回何が分かり何が進歩したのかを峻別していくことも重要です。そして、ATRの研究者にとって(あるいは組織として)望ましいのは未知の池の発見とその概形の把握にチャレンジすることです。今ATRの売り物の一つに成長している『臨場感通信会議』も、映像時代を控えて広範囲に及ぶ研究テーマを効率よく追求するための共通のシステムイメージとして、ATR通信システム研究所の山下紘一初代社長を中心に考えに考え抜いた末到達した概念とそれを表す言葉で、その誕生には2年近い歳月を要しました。
 しかし、全ての研究者が一番手の能力を持つとは限らないし学問技術の流れのタイミングもあります。要はそれぞれの研究フェーズにより方法論が自ずと異なることを自覚し、実線してくれることであり、そのように意識付けることに努めてきた積もりです。その具体的手段として、自分の研究の位置付けや内容を非専門家にも理解して貰えるよう平易に表わす努力を続けることだけは口を酸っぱくして強制しました。それは物事の本質を理解・把握していなければ出来ないことで、研究者自身の頭の整理にも極めて有効だと、私は信じているからです。ATRジャーナル創刊号で、私はこのジャーナルを研究者にとっての「平易な表現」のための修練の、そして喜びの場の一つに使わせて頂く旨述べました。この試みはこれまでのところ概ね成功しているように自負しております。
 本質の把握という意味ではズバリではないにしてもアナロジーがしばしば有効です。光電波通信研究所の成果の一つである〔光ファイバ・ミリ波通信システム〕はその好例です。このシステムの骨子は、可能なところまで出来るだけ光ファイバを引き廻し、最後のところでミリ波にしようという移動体通信システムのアイディアですが、あたかも部屋という部屋、街路という街路には電灯線が行き渡り最後にソケットと電球で明かりに変換されているようなイメージであり、研究者が〔光の電灯線化〕〔電波の暗闇の追放〕というフレーズを考え出してくれました。一般の方々にはこれでイメージを掴んで頂けます。なお、敢えていえば、担当者にしてみればとかく些細なことまで気になり、ついつい木を見て森を見ない危険もあります。そのような時は私も傍目八目でヒントを示すことに心掛けてきました。

3.国際化

 先ずはやヽ次元の低い、しかし実際には日常しばしば説明に苦労する話題から始めます。ATR構想具体化の過程で今後国際化が重要であるとの認識から、それまでの仮の組織名〔電気通信基礎技術研究所〕の頭に〔国際〕を冠することになったと聞いています。それに伴って英文名称は原案のATR(Advanced Telecommunications Research Institute)の後にInternationalをつけてATR Internationalとし、ATRグループを統括する、いわば中核の親会社を国際電気通信基礎技術研究所=ATR Internationalと呼ぶことで今日に至っています。
 これはこれで、当時として真っ当な考えであったと思います。ただ、一般に“ABC International”というのは“ABC”という本体会社の国際部門とか国際関係子会社を意味することが多く、お客様殊に外国の方から「本体は?」と聞かれたり、日本人のお客様の中には「KDDの子会社かと思ってました」という方も結構多く、またATRグループの中核会社があたかもそのATRの子会社のような、矛盾したような誤解も与え兼ねず、説明やら解説に苦労しているのも事実です。また「国際電気通信基礎技術研究所? ああ、ATRですか。ATRならよく知ってます」という方も結構いらっしゃいます。ついでに私の持論を述べますと、本当に国際的に名の通った会社や組織には〔国際〕という言葉は余り付いておりません。敢えて言わなくても万人の常識となっているからでしょう。〔国際〕を付けるのは国際化したいという願望の現れで、ATR発足前後のATRを取り巻く日本の状況はまさにそうであったとも言えましょう。それでは、今のATRが胸を張って国際化されているかと問われれば答えは「まだまだ」です。しかし、私はできるだけ早い時期に敢えて〔国際〕と言わなくてもよい日が来るくることを願っております。いずれにしても、名称は大きな将来課題の一つでありましょう。
 国際化の一環として国際協力も重要です。殊に、自動翻訳電話研究所やその成果の多くを引き継いでいる音声翻訳通信研究所では外国語を研究対象とする関係で、これは必須のことでした。担当の榑松明初代社長を中心とした素早い行動で、極めて早い時期に外国の有力研究機関と密接に連携する枠組みを作ることが出来ました。その折り、私は、お互いに対等の立場(reciprocal)であることと、ATRが常に主導的、場合によってはボランタリーな貢献も厭わないことを陽に意識して貰いました。そして、これらの努力は国際研究コンソーシアムC-STARの形で国際共同実験に成功するなどの成果に結び付きました。
 ともあれ、『国際社会への貢献』はATRの4つの基本理念のうちの一つであり、極力その具現化に努めています。研究所の神髄は研究の質であり、可能な限りレベルの高い国際の場で重点的に発表することを奨励してきました。その際、例えばその国際会議の主催学会に対しては最低限その会員になるなど、礼を尽くす姿勢を半ば強制してきました。これは対等な大人の行動の原点であるとの認識によるものです。また、国際会議、会社訪問は人脈を作る絶好の場でもあります。研究リーダーには国際会議始め種々のチャネルを通して内外の優秀な研究者の招聘活動の自由度を与えました。ギブ・アンド・テイクということではATRのプレゼンテーションには魅力的な内容が多く、またATRが公的性格が強いことも手伝って、会社訪問も敷居は比較的低く、むしろ期待され歓迎される場合もあります。その結果「あの人がいるなら私も行きたい」という「類が友を呼ぶ」良循環の兆しもみられ、ATRの知名度は国際的に高くなってきていると思っています。今では、限られた予算枠の中で機器を求めるか人材を求めるかで、お断りする事例も発生しています。情報化時代とはいえ、欧州を中心に〔ATRの研究員に採用されるのは大変な難関だ〕という誇大評価が既に一人歩きしている分野さえ出てきております。
 ATRにとって幸いしたことの一つに、関西に立地したことが挙げられます。もし、ATR程度の規模の研究所が有名研究所のひしめく関東地区に立地していたとすれば恐らく殆ど話題にもならなかったでしょう。しかし、幸か不幸か関西では〔電気通信〕を標榜する研究所は希少価値があります。多くの訪問者は関西に足を伸ばしさえすれば(他にないので否応なく)ATRに立ち寄ってくれました。その方々の口コミ効果は絶大です。ATR訪問は関西へ足を伸ばす恰好の口実にもなったと思われます。かくして、世界のVIPがATRに関心を持つこととなり、国際的知名度の向上に大いに寄与して頂きました。その仲介役の各国大使館、領事館とは持ちつ持たれつ大変良好な関係を続けさせて頂いております。
 また、各国が計画実施している各種の国際交流プログラム、殊に学生の実習なども可能な限り受け入れることとしています。また、できるだけフォーマルなルート(たとえば国レベルの相互協定など)に乗せるよう努めています。これはとかく外国人研究者に対する基礎部門への門戸開放が少ないのではないかという一部の国の批判への積極的反論の材料も提供している積もりでもあります。また、長期的にみてATRで同じ釜の飯を食った若い研究者集団の世界的な輪が広がるという期待にも繋がっています。
 お蔭でATRでは常時2割強の外国人研究者が参画しており、国際色豊かです。そうは言うものの、これだけ大勢の外国人研究者を常時受け入れて行くのは事務的にも決して容易なことではありません。試行錯誤の連続でした。しかし、今では概ね諸手続きを含め定着化してきました。その間、入国管理局始め関係機関の大変な御理解、また、子弟の教育問題、日常生活の面などでは地元自治体、学校の絶大な御理解も忘れる訳には参りません。異文化交流というのも口で言う程簡単ではありません。初期の外国人研究者の一人から「私は何のためにATRに招聘されたのか」という率直な質問が出されたことがあります。ベテランなので全般的な助言を期待していたのですが、そのような阿吽(あうん)の呼吸というのは必ずしも通用しません。「あなたには全般的な助言を期待しています」「あなたはこの期間にこのアルゴリズムを別の言語系で実証して下さい」などと具体的に〔契約〕することが後々の問題を少なくします。プロ野球の契約条件と同じ様なものです。違いはプロ野球ではそのシーズンで即結果が出るのに対して基礎研究ではその評価が難しいことで、それだけに各マネージャーの力量が問われます。いって見れば当たり前のことです。本来は研究施設の整備とでもいった項目を起こして述べるべき事かも知れませんが、ここで国際化という意味で一つだけ付け加えておきたい事があります。今ではあまり目新しい事ではないかも知れませんが、ATRでは発足時に各グループがコンピュータ環境を整備するのに当たって先ず国際性を第一に考えてもらいました。簡単に言うと、内外の研究者がお互いに行き来するとき、自分のフロッピーを持ち歩くだけで、着いたその日から自分のオフィスと同じ環境ですぐに仕事が出来るようにしようということです。これは、その後の研究の効率化に大きく寄与したものと思っております。

4.マルチメディアとマルチモーダル


 1.で〔人間の研究〕あるいは〔人に学ぶ〕がATRが初期に打ち出したキャッチフレーズの一つであることを述べました。昨今、マルチメディアが声高に叫ばれるようになりました。この事を私なりにもう少し噛み砕いて申しますと、コミュニケーションの究極の姿は、どこにいても、あたかも日常のface-to-faceあるいは膝を交えたような自然な形での、更には言語の壁を超えたインタラクションであろうかと思います。ところが、これまではどちらかと言えば使い手である人の方が通信網や機械の機能に合わせてきました。これからの通信網や機械は、ユーザがその存在を意識しなくてもよいレベルにまで機能が高度化されるのが理想かと思います。私はこれを「通信網の隠蔽」と呼んでおります。日常のface-to-faceのコミュニケーションでは、人々は視覚や聴覚のような五感からゼスチャーまであらゆる機能すなわち「モード」を効果的に動員しております。つまり、face-to-faceというのは「マルチモーダル」な世界です。従って、通信網の使い手であるユーザが通信網の存在を意識することなく相互に「マルチモーダル」なコミュニケーションが出来るためには、通信網の方はもっともっと柔軟かつ頑健に発展することが望まれます。これが取りも直さず「マルチメディア」の今後の課題であり、「マルチメディアの飛躍的・多角的発展」によって提供される目には見えない通信網によって、ユーザ相互の「マルチモーダル」な生き生きとしたコミュニケーションが可能になる、というのが私の考えであり、夢でもあります。従って、「ユーザである人」とお互いに鏡像関係にある「通信網」の基本的あり方を探究することは極めて本質的なことと思います。

5.技術と文化

 ATRの立地している関西文化学術研究都市やその周辺殊に京都・奈良は古い仏像、木造建築などいわゆる文化財の宝庫です。これらの文化財は改めて考えてみるまでもなく、当時の最先端のハイテクの固まりです。優れた鋳造技術無しには仏像は有り得ないし、卓越した建築技術無しには法隆寺も現存しなかったかも知れません。古代の知識人はこれら最先端のハイテクの開発とその利用に極めて熱心で、これが今に残る文化財を生み出したのでありましょう。もし、技術と文化を異なった概念だと捉えるとすれば、当時はむしろこれらは渾然と融合していたのではないでしょうか。


飛鳥大仏(飛鳥寺提供)


 この種の例は古今東西を問わずいくらでも挙げることができます。前大阪大学総長熊谷先生は「印刷技術と製本技術の画期的進歩が文学を広く普及させるのに役立った。いい小説が書かれるようになったから印刷技術や製本技術が発明されたのではない」と喝破しておられます。安価で抗張力の優れた鋼の開発はピアノからフォルテまで強弱差の極めて大きい音が出せる楽器ピアノ(←ピアノフォルテ)を生み、作曲家と演奏家そして聴衆に福音をもたらしました。キャンバスと絵の具と筆は画家にとって重要です。
 それでは近未来を展望したとき、かつての鋳造技術や印刷技術や絵の具に相当するハイテクは何でしょうか。その一つは間違いなく通信・情報処理の技術です。ハイテクは新しい文化の創造に繋がる可能性を秘めております。私達はその可能性の一つはアート(あるいは創作活動)との融合だと思っております。たとえば、これまでのアートはどちらかと言えば制作者からの情報を鑑賞するという受け身の形態であるのに対して、鑑賞者も一緒になって制作に加わるという〔インタラクティブアート〕などの誕生が考えられます。ATR通信システム研究所の臨場感通信会議や奈良リサーチセンターの〔電子水族館〕とB-ISDNの結合実験などにその兆しを見ることができます。
 レオナルド・ダ・ヴィンチのような両刀使いの天才なら一人で何もかも出来るかも知れません。しかし、一般には、技術者には技術者の、アーチストにはアーチストの、お互いの得意技があります。「技術者は技術面から種々のシステムを開発提供していこう。これらにアーチストの感性や直観を組み合わせれば、これまでに無かった新しい使いやすいシステムが出来るのではないだろうか。これは、21世紀以降の新しい文化の創造に繋がる可能性がある。それはお互いに始めから一緒に仕事をするのが手っ取り早いし、いいものが出来る」。この発想は昨年春ATRの新しい研究開発会社〔知能映像通信研究所〕の発足に結実しました。今ATRには内外から若手の新進アーチストが参集して意欲的に仕事に取り組んでいます。断っておきますが、このような企画・発想は私のものではありません。若いリーダー達の提言が基になっています。若いパワーの時代です。私は年の功というか動物的直観でその芽を摘むことなく後押しをすることを心掛けただけです。
 これら古今の具体例に見るように、文化の中には技術が作り込まれ、また技術の中には国民性や文化が作り込まれるものだと私は思っています。ATRでは、分野や文化背景も異なる研究者が一箇所に集まって切磋琢磨するという優れた環境を作るよう常に努力してきました。このような、国際的且つ(超)学際的な人材と研究環境が、ATRにおける創造的研究の原動力であると思っております。そして、私は、ATRでは技術の中に国際的な文化を作り込んできたと信じております。昨年はATRの若手研究者・アーチストに対して国際的な賞が幾つか与えられました。国内でも、権威ある〔日本文化デザイン大賞〕が与えられました。若手の快挙に快哉を叫びたい気持ちが一杯です。


インタラクティブアートの一例


6.建物を巡って

 エピソード的ですが、ここで是非ATRの建物のことに触れておかねばなりません。ATRの建物はお蔭様で評判がよいようです。これをデザインするに当たって、文化学術研究都市の第1号研究施設にふさわしいものでありたいという一般論に加えて、私は御担当頂いたNTT都市開発(株)の関谷社長に予め「キャッチフレーズ」をお考え頂くよう、特にお願いしました。その結果〔温個知伸〕という素晴らしい言葉をお作り頂きました。これは

かい触れ合い空間〕
性化〕
、情報化〕
展性〕


の頭文字の集合で、ATRの建物はこれらの思想が具現化されたものです。また、(株)日建設計の薬袋(みない)社長(当時)は直々タイルの色にまで細心の気を配って下さいました。日々の研究生活に雰囲気の影響は無視できません。
 また、ATRの建物は研究施設であること、それに何よりも内外のかけがえの無い優秀な頭脳を守るためにも充分な強度を持たせて設計施工して頂きました。仮に阪神淡路大震災級の直撃を受けても恐らく健在であろうと思います。研究者に与える安心感は極めて大きいものと思っております。蛇足ですが薬品を扱う研究室などでの薬品瓶の滑落対策始めロッカーの固定なども、怠りなくやってきました。これは、毎週のように揺さぶられてきた関東からの研究者集団の自営本能でもありました。震災の後、地元消防署などからもお褒めを頂く結果ともなりました。
 建物といえば、ATR創立直後は完成したばかりの大阪のツインビルの一郭に入れて頂きました。オープンのセレモニーを待たずに入居させて頂いたり、更には暫定研究所にも拘らず実験設備のためにビル施設に特別の改造をして下さるなどの御配慮のお蔭で、順調なスタートを切ることができました。ただ、実験用の遮音ブースを幾つか用意しましたが、オフィスビルの階高では収まらず、寸詰まりの特注品になったのはお愛嬌でした。その一部は今でも現役で使われています。
 いずれにしても、これら多くの関係の方々の御尽力がこれまでのATRの成果に大いに寄与していることは疑う余地がありません。改めてお礼を申し上げます。

7.研究の進化論−結びに代えて−

 この小論もこの辺りで終わりにさせて頂きます。
 1.でATRのキャッチフレーズの一つが「トランスディシプリナリー」であることを述べました。しかし、この言葉自身既存の領域(discipline)が前提です。異領域が本当に融合すればそれ自身が新しい領域(discipline)を生み出す筈です。とすれば「トランスディシプリナリー」はそこに至る過渡状態であって究極の姿ではありません。〔個別のディシプリン群〕→〔インターディシプリナリー〕→〔トランスディシプリナリー〕そして〔フュージョン〕を経て〔新パラダイム(=新ディシプリン)〕というのが進歩の道筋でしょうか。ATRでは〔新パラダイム〕の一つとして〔進化〕をテーマとしています。ATRにおける研究内容の変遷、そして組織・マネージメント自身さえ進化の研究の具体的対象かもしれません。
 4.で通信網の基本的あり方の探究が今後重要だという考えを述べました。これからの通信網を取り巻く環境は想像がつかない程目まぐるしく変化するでしょう。その様相は複雑多岐にわたります。そして人類は否応なくそれに対処していかねばなりません。〔複雑多岐にわたる環境への適応的対処〕これは途轍も無い厚い壁かもしれませんが、今後を展望するならば極めて重要かつチャレンジングな魅力的課題のように思われます。ATRでの研究の次の柱の一つと心得ています。10年を経た今、ATRのキャッチフレーズの一つは〔次々に新しい(キャッチフレーズ)を創出していくこと〕かも知れません。
 この10年を一言で総括しますと、言わば新しい鉱脈探しと遮二無二原石を掘り出す努力をしてきたと言えます。これからも更にその努力が必要です。と同時に原石の中から光り輝く宝石を研ぎ出すことも併せて重要となります。それにはこれまでの手法とは異なった、新しいチャレンジの要素が多々ありましょう。研究現場を統括する立場で、これまでの私の石の投げ方が良かったかどうかは私自身には判りません。間違いも多々あったと思います。しかし今ATRは改めて設立の精神に立ち戻り、次の飛躍に向けて心を新たにすべき時期であることは間違いありません。
 あと5年で21世紀を迎えます。いや、その1年前に時計の針は1000年代から2000年代に変わります。たまたまとはいえ、千年に一度しか起こらないことです。千年とは気の遠くなる時間かも知れませんが、ここ〔京阪奈〕にはそれを超える歴史があります。今は次の千年に思いを馳せる絶好の時です。千年後の池の様子は私には想像もつきませんが、だからといって諦めることはありません。千年後までも視野に入れるという姿勢がまず大切でありましょう。ますます複雑化する社会で、この地球の未来と更には人類の幸福を願う時、情報通信技術の発展への期待は極めて大でありましょう。
 次の千年であるthird millennium(millennium:ときに千年紀という文字を目にするが残念ながら百年に相当する世紀のような一語の日本語はない)を念頭に置きながら直近の百年である21世紀を展望し、その中で具体的に今後の10年、20年を模索するのに、これまでの10年はそれなりに重みと価値があろうかと思います。一口に10年と言っても、それは一日一日、一年一年の絶え間無い積み上げです。1991年5月に、ATR生みの親の一人でいらっしゃる真藤恒前NTT会長がお見えの折り、芳名録に〔創立以来五年光が見えて来た〕と書いて下さいました。その3ヶ月後に竜谷大学の山口昌哉先生からも〔葆光〕(自己の智を覆い隠す)という含蓄のある言葉を頂戴しました。5年という時を経て外部の方々の目にも漸くそのように映るようになったものと思います。
 積み上げと言えば、ATRでは研究者の多数を占める出向研究者は平均3年で出向元に復帰します。ATRの研究成果はこれら大勢の研究者の努力の積み上げです。プロジェクト終了報告会で前記の淀川社長はこれを駅伝に譬えました。「最後にテープを切るのはひとりだけれど、その前に何人ものランナーがたすきを繋いできた」と。これを敷衍しますと、これからはプロジェクトからプロジェクトへと更に一回り大きいたすきを繋いで行かねばなりません。まさに〔継続は力なり〕を痛感します。
 ATR初期10年間の研究の具体的動きは本ジャーナルでプロジェクト別に紹介します。その際、裏に流れている考え方の理解にこの小論が少しでも役立てば望外の幸いです。

 引き続き関係各位の大所高所からのご理解、ご支援の程お願い申し上げる次第です。