人間、それは最後のフロンティア



人間情報科学研究所 平原 達也



 最近、カーナビや携帯電話をはじめとして様々なモノが私たちの声を聞き取ったり声でしゃべりかけてきたりする。また、コンピュータが人の顔や表情を見分けるようになった、などというニュースもテレビや新聞で紹介される。さらに、効果的な英語学習ができるという触れ込みのソフトウエアも店頭に並んでいる。それらを見聞きした多くの人々が、すごいものができたなぁ、コンピュータもずいぶん賢くなったなぁと感じ、まだ研究することはあるのですか?と問いかけたとしても不思議ではない。
 ところが、それらを実際に使ってみると、期待外れに終わることが少なくない。これは、大量に収集した音声や映像データに基づく確率・統計計算で、いわば力任せに、音声や映像を認識・合成する技術をベースにして、人間が視たり聴いたり話したりする機能の一部を表面的に実現しているからであろう。このような計算の基本方程式は、デリバティブ取引で話題になった金融工学の分野でも用いられている。いずれの分野でも、集めたデータがカバーする状況であれば、そこそこ期待どおりの性能がでる。しかし、データがカバーする状況から外れる事態に対しては馬脚をあらわす。私たちが生活する実世界は驚くほど多様であり、全ての状況についてのデータを集めることはできない。使い分ければいいだけのことだが、このような技術をベースとした現在のコンピュータに、人間と同じように視たり聴いたり話したりすることを期待するのは的外れかもしれない。
 人間の脳は、五感を通じて取り込んだ情報の断片から外界の状況を把握するための脳内情報を再構築する仕組みと、身体を通じて自らが能動的に外界に働きかける仕組みを長年にわたって磨いてきた。驚くことなかれ、この脳の情報処理の仕組みに関する理解の度合いは、物理学の歴史になぞらえれば、ガリレオやニュートン以前といわれている。量子力学はおろかプリンキピアさえまだ無い時代である。したがって、人間が備え持つ情報処理の仕組みを明らかにし、その本質に基づいた新しい技術を創りだすために取り組まねばならない課題はいくつも残されている。
 このように人間の情報処理の仕組みはベールに隠されたまま、情報通信技術はどんどん発展している。情報を加工・蓄積・伝送する技術は二十世紀後半に飛躍的に向上した。その結果、地球規模に張り巡らされたネットワーク上に偏在する様々な情報へアクセスすることや情報をネットワークに配信することが、個人レベルで簡単にできるようになった。確かに、調べ物や買い物や情報発信は便利になった。と同時に、思いがけない「情報」に遭遇する頻度も高まった。例えば、コンピュータ機能を麻痺させるウイルスがその一つである。また、ポケモン事件で顕在化したように人間の機能を麻痺させる「情報」も少なからずある。人間の情報処理の仕組みとの整合性を保たない「情報」や「情報を操る道具」は、無用なだけでなく私たちに害をも及ぼす。このまま仕組みを知らずに済ませることもできるが、そのつけを払うのは私たち自身や私たちの子孫である。
 ATR人間情報科学研究所は、人間が視たり聴いたり話したりする情報処理の仕組みを明らかにする研究を異分野の壁を超えてすすめている。その目的は、コミュニケーションの主体である人間の情報処理の本質をより深く理解することにより、人間やコンピュータの能力を拡張したり、人間と人間、人間とコンピュータとの間でより自然で快適なコミュニケーションができる新しい技術の基盤を創りだすことにある。その昔、電話やテレビの技術仕様は私たちの「耳」や「目」の基本的な特性に基づいて定められた。今後一層の高度化が進む「情報」を操る技術や情報通信機器、そして配信される「情報」そのものは、ユーザである人間の情報処理の仕組みと無縁ではありえない。「情報」を受容・生成する人間の仕組みの理解を深めることは、今後ますます重要になる。
 科学はこのような自然の仕組みに対する自由で開かれた営みである。その機会を与えられている私たちは、これからも、自分たちだけでなく周りの人々もワクワクさせるような研究をしようと思う。そして、地球環境と私たちの生活を豊かにする技術を創りだそうと思う。誰もがニュートンやアインシュタイン、そして、グラハム・ベルやゼフラム・コクレインになる可能性を持っているこのフロンティアで。