
あなたはトルシエ監督を超えられるか?
−マルチエージェントの相互作用を操作する−
1.もし,あなたが監督になったら?
最近、「日本のサッカーは強くなった」という声を耳にするようになりました。確かに、シドニーオリンピックでベスト8までいったり、アジアカップで優勝したことを考えると強くなったような気がします。でも、日本代表選手のメンバは以前と比べて大幅に変わっていません。だとすると、トルシエ監督は日本代表選手に何を吹き込んだのでしょうか?
ある程度の答えは予測できますが、正確な答えはトルシエ監督自身に聞かなければ分かりませんので、ここでは、あなたが監督になったことを想像してみることにしましょう。あなたなら試合で勝つためにどうしますか? ちょっと考えてみて下さい。ある人は「フォーメーションの戦略を練る」と言うでしょう。また、「試合の戦略よりも、試合に至るまでの各選手の目標設定や個別評価が大事だ」と指摘する人もいるかもしれません。はたまた、「スルーパスの効果など、もっとダイレクトに選手に有用な知識をたたき込むことが一番!!」と力説する人もいるでしょう。
どれも一理あって、一番良いものを選ぶことはできそうにありません。でも、それはそれでいいのです。何も一番を決めることはありません。試合に勝つための指揮として何が必要であるかの項目を考え、適材適所にそれらを採用する方が大切なのです。その意味で考えると、フォーメーションは集団レベルの指揮、各選手の目標設定や個別評価は個体レベルの指揮、そして、知識に関する教育は知識レベルの指揮と分けることができ、それぞれ必要不可欠であると言えます。
2.監督はシステムデザイナだ!!
前節ではサッカーの話を題材に、監督としての指揮について考えてもらいましたが、これは何もサッカーの研究をするためにして頂いたわけではありません。実は、マルチエージェントのシステム設計と大きな関係があるのです。一体どのような関係があるのでしょうか?
まず、サッカーは選手が11人まとまって一つのチームが構成されることを考えて下さい。ここで、一人一人の選手が自律したエージェントと捉えると、チームはマルチエージェントシステムと見ることができることに気づくかと思います。このように捉えると図1に示すサッカーでの「監督」はマルチエージェントシステムでの「システムデザイナ」に相当するわけです。そして、試合に勝つために「監督の良い指揮」が必要であるように、人間に役に立つシステムを構築するために「システムデザイナの良い設計」が必要になります。
3.システムデザイナは何を考えるべきか?
それでは、良い設計をするにはどうすれば良いのでしょうか? これは「良いシステムを作るためには、何を考えるべきでしょうか?」という質問に言い替えることもできます。この答えは誰もが求めているわけですが、残念ながら現状では適切なものはありません。ましては、エージェント間の相互作用が入り組んでいるマルチエージェントシステムではなおさらのことです。別の言い方をすれば、マルチエージェント環境ではちょっとしたエージェントの相互作用の変化がシステム全体に大きな影響を与えますので、何を考えれば良いシステムができるだろうという指針すら立てることが難しい状況なわけです。
しかし、電話回線網や信号器に代表されるように、世の中には複数のシステムから構成させるマルチエージェントシステムが多数あり、それらを効果的なシステムとして構築したい要求は昔からあります。そこで、我々はサッカーの例で出てきました3レベルの指揮(システムデザインでは設計)の重要性に着目し、その影響を模索することにしました。つまり、集団レベル、個体レベル、そして知識レベルの3レベルの設計がシステム全体にどんな影響を与えるかをシミュレーションを通してさまざまな角度から調べました。
その結果、集団レベルでは社会科学の組織論における“組織学習”という概念がパフォーマンス向上に大きく貢献することを発見し、その組合せから集団レベルで考慮するべき要素を見出しました[1]。また、個体レベルでは各エージェントに与えた種々の目的と評価が集団全体にどのような影響を与えるかを調査し、集団の特性を大きく変化させる目的と評価を突き止めました[2]。そして、知識レベルではスケジューリング問題を例題にさまざまなルールを設計することによって、良い解を早く見つけるルール(一般的に“解”と“計算量”はトレードオフの関係にあります)を見出しました[3]。
これらの知見はそれぞれのレベルで重要な役割を果たしており、工学的な観点から見て有効であると言えます。特に、マルチエージェントシステムでは、エージェント間の相互作用が複雑なため、どのような要素がどのような結果を導いているかの因果関係が明確でないことを考えてみると、その有効性が分かるでしょう。厳密に言えば、上記の知見は、各エージェント間のミクロの相互作用がマクロ現象に影響を与え、再び、その影響がエージェント間の相互作用に影響を与えるというミクロ−マクロダイナミクスの特性を操作するうまい切口を見出していると言えます。しかし、各レベルの知見はお互いに独立しているものの、あるレベルの悪い設定が他のレベルに悪い影響を与えないとも限りません。かと言って、あるレベルだけを考慮しただけでは良いシステムの構築には限界があります。その意味で、3レベルの全てを適切に考慮することが重要になります[4]。
4.トルシエ監督を超えられるか?
以上より、良いシステムを構築するためには、マルチエージェントの相互作用をうまく操作する必要があり、その操作を可能にする鍵のいくつかは3レベルの設計の中に存在することが分かりました。もちろん、これらの3レベルの設計だけでマルチエージェントシステムとして考慮すべき項目を網羅し尽くしたわけではありませんが、これらの設計から得られた知見は、複雑に影響しあう世の中に対処できるシステム構築に役立つ設計指針に成り得るのではないかと考えております。そして、日本のサッカーがトルシエ監督によって強くなったように、提案した設計指針によって良いシステムが構築されることを期待しつつ、トルシエ監督を超える設計指針を打ち出したいと考えております。
最後に、上記のようなマルチエージェント設計指針はマルチエージェントで構成される社会や組織の解析や理解にもつながります。例えば、組織のパフォーマンスを向上させるためにはどのような要素を考慮しなければならないのか、あるいは、動的な環境に強いロバストな会社に構築するにはどうすればよいかなどがあげられます。我々は、その立場でも研究を進めており、組織のダイナミクスの特性理解に力を注いでおります。また、これら以外にも、真の意味での自律したエージェントを構築するための要素も模索しており、評価と目的の自己生成、価値観、自他との境界設定の三つの観点から研究を進めております。御興味ある方はお気軽にお尋ね下さい。
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