ATRに学んだ15年
− 新しい文化の創造を期待して −
(株)国際電気通信基礎技術研究所 研究開発本部 顧問 葉原 耕平
「ATR Monologue」シリーズをお引受けしてからいつの間にか4年、ATR草創期から15年が経ちました。この間、一見普遍性を持つかのような科学技術も深い文化的歴史的背景抜きには論じられない、という主旨のさわりを何度か述べてきました。それはこれからの科学技術が「人」にかかわる問題をより多く扱う機会が増え、この種の背景の違いが問題意識や手法の違いにも及ぶ可能性があり、それらを無視すると無用な誤解や間違いを引き起こすことにもなりかねないと常々思っているからでもあります。
(1) あるフオーラムのあとで
平成12年6月10日、フランス大使館科学技術部主催で「科学における創造性と芸術的創造(CRE´ATIVITE´ SCIENTIFIQUE & CRE´ATION
ARTISTIQUE)」というフォーラムが開催されました。前東大総長、元文部大臣の有馬朗人先生が基調講演で大変興味深い話をされた上に、最後はパネラーとしても含蓄のある発言をなさっておられました。私はテーマの冒頭の「科学」という文字から全体を通して思想的に深い話が聞けるかもしれないと思って参加しましたが、実際は「科学」を「技術」に置き換えてもよく、ATRで「アートと技術の融合」を意図してとくに知能映像通信研究所を中心に取り組んできた分野と近い内容で、親近感を持って一日を終えました。多くの日仏講師からは、これまで数世紀に亘って離れ離れになってきた「科学(私の感覚では技術も同じ)」と「芸術」がもっと歩み寄ることが今後重要だ、という意見が聞かれました。そこで私は、あとのパーティの折、直接有馬先生に私の個人的な考えをお話ししてご意見を伺いました。以下は私が先生に申し上げた内容の骨子です。
今日のフォーラムは日・仏の通訳を通して進められたが、フランス人の思っている“SCIENCE”、“ART”とわれわれの「科学」、「芸術」は同義語だろうか。私は多分に違うように思う。“SCIENCE”⇔「科学」、“ART”⇔「芸術」と通訳するだけでは(やむをえないことだが)お互いに異なるイメージで議論を進める危険があるように思う。日本の「科学」は文字通り[科]の学で、[科]は際限なく分けていく(専門化していく)思想を表わしている。“SCIENCE”にもそのようなニュアンスはあるだろうか。一方、内外を問わず学問分野は「科学」と「工学」さらにはもっと広く各大学の学部・学科名に示されるように分化に分化を重ねてきて、「科学(技術)」と「芸術」はお互い遠い存在になってきた。それは私の考えでは16世紀ごろからの西欧でのいわゆる「科学」の発達に起因する。科学は客観性、再現性を重んじるがゆえにその観測対象を観測者である人間の外、つまり対極に置いた。こうして人間的要素の多い「芸術」とは否応なく離れていく方向を指向したのではあるまいか。さらにその源は旧約聖書創世記第一章26節にあるように、神が「海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう」と、自然の支配者として人間を作ったことにまで遡るのかも知れない(実は有馬先生は講演の中で一神教と多神教にも触れられた)。それに対して東洋系の科学技術は一見西欧に遅れを取ったかに見えるが、技術と芸術とはもともとさして分かれていなかった。古代の日本人は当時の最先端のハイテクを文化に結び付けていたように思われる。優れた建築技術なしには法隆寺も現存しなかったであろうし、飛鳥寺のあの素朴な顔の仏像も鋳造技術の賜物だ(これらの話はATR
Journal 10周年記念特集号に述べてあります)。そしてATRでは大分前から「アートと技術の融合」を標榜して研究を進めている。いまさら、ことに西欧系の各講師が両者の歩み寄りの重要さを指摘するのは千年遅れているのではないか。そう言う文脈からも東洋的視点もより重要になるのではないか。
とまあ大略こんな話を申し上げたところ、有馬先生はお世辞でしょうがおおむね私の意見に賛同して下さいました。上に述べたのは極めて個人的な考えに過ぎませんが、皆さんはどうお思いでしょうか。
(2) 一方向型の文明と回帰型の文明
大変差し障りのある話ですが、ATRで人間情報通信研究所 感性情報処理特別研究室長をお願いした大橋力先生が数年前、あらかじめ「自己解体」のメカニズムを内蔵した進化モデルを提案され、実に見事なシミュレーション結果を示されたことがあります。このモデルは平たく言えば生物は自らを解体してまたもとの自然(土、あるいは栄養素)に戻り、次の世代の(異種)生物のかてとなる、というものです。ところが、このアプローチは中々西欧系の研究者の理解が得られなかったようです。その根底には西欧人には自然現象は一方向に進む一方だ、という思い込みがあるのかも知れない、と私には思えました。それは、一神教文明の「神がすべてを創った。時間も例外ではない。したがって、神はいつかは時間を終わらせる。それは今日かもしれないし、明日かもしれない」という終末論的思想に遠因があるのかも知れません。それに対して日本人を含む東洋系諸民族が大きな影響を受けているインドの時間概念の基本はよく知られているように周期的・回帰的な「輪廻」です*。
(3)「人に学ぶ」「自然に学ぶ」そして「ATRに学ぶ」
私は「人に学ぶ」をATR初期のキャッチフレーズのひとつとして喧伝してきました。その後、ATRの研究者の努力でさまざまな現象が見出されあるいは解明されてきました。これらの知見は私に大きな驚きを与えてくれました。たとえば視覚と聴覚が密接に関係していることを示したマガーク効果はその一例です(ATR
Journal 40号 ATR Monologue(15))。私はこの現象が「自然界に存在しない人工の事象は人の脳を混乱させる危険を孕む」ことを気付かせてくれたことに大きなショックを受けました。これはほんの一例に過ぎません。こうして私は「何十億年の進化の歴史を持つ自然に対して、人間は謙虚であらねばならない。自然界に存在しない状況を作り出し、人々がそれらにさらされることにはよほど慎重であらねばならない。」と強く思うようになりました。そして仏教の「自然(じねん):あるがままに」の意味もそういうことであろうか、とほんの少し分かったような気もしました。これまで数世紀に亘って科学技術を先導する源となったとも思われるデカルトの二元論とあらゆる意味で対極といってもいい「西田哲学」などの思想の持つ意味がいまさらのように身に迫ってくるようにさえ思えます。
私自身振り返って見るとATRに身を置くことがなければ、ここに述べたようなことは恐らく考えもしなかったと思います。こうして、この15年の間に、大げさに言えばATRは私の人生観を変えたと言っても過言ではありません。加えて、これが奈良・京都の歴史の地でなければまた違った展開であったことと思います。出身地(国)のいかんを問わずATRに籍を置いた方々、ATRらしい文化に根ざした新しい科学技術の創造にご精進頂きたいと願う次第です。それが「関西文化学術研究都市」に立地したATRの使命でもありましょう。ATR
Journal 10周年記念特集号にはこのことを「ATRでは技術の中に国際的文化を作りこんできた」(p.21)と書いておきました。実は、これは一部の識者が「関西文化学術研究都市は単なるテクノポリスで文化がない」と言われたと仄聞したことへの、碌な道路さえない時期から落下傘降下したようにして学研都市第一号の研究施設建設にチャレンジしてきたATRを代弁した私のささやかな反抗でもありました。こうしてATR立ち上げの時から「人に学ぶ」をひとつのキャッチフレーズにATRカルチャーの醸成に多少なりとも貢献してきた自負もありますが、ひるがえってみれば私自身がその「ATRカルチャーに学ぶ」ことになったことに今更ながら感慨を覚えます。
ATRも15年を経て、ATR Journalも装いを新たにすると聞きました。このシリーズもこれを機会に終わらせて頂きます。毎回、こ難しい話で2ページを独占させて頂いたこと、それにもまして貴重な時間を割いてお読み下さった読者の皆様にあらためてお礼申し上げて、筆をおくこととします。長期間、ありがとうございました。