−人間情報通信研究所プロジェクト終了
プロジェクト終了にあたって

ヒューマンコミュニケーション
メカニズムの研究




(株)ATR人間情報通信研究所 代表取締役社長 一ノ瀬 裕



人間の優れた機能に学ぶという視点に立ってその情報生成・処理機構を研究し、豊かなヒューマンコミュニケーション実現のための要素技術を確立することを目的として、1992年3月から「ヒューマンコミュニケーションメカニズムの研究」を行ってきたATR人間情報通信研究所は2001年2月末で研究活動を終了する。本特集では、研究所の概要、研究室(分野)毎の研究成果 を紹介し、最後に1分野あたり5件の代表的論文を掲載する。
 当研究所では、視覚、聴覚、認知機構と言った主として人間の情報受信機能に着目したATR視聴覚機構研究所での研究を、人間の情報生成・処理機能すべてに拡張するとともに、生物の進化の考え方を情報処理システムに応用するという研究にも取り組んだ。図1に対象とした研究分野を示す。
 研究の実施に際しては、「人に学ぶ」ということを前提にして、a)人の情報生成・情報処理のメカニズムを知り、b)それと同じメカニズムで動く機械を創ったり、c)そのメカニズムを利用した機械を創ったりすることによってa)の結果 を検証しさらに研究を深めるという手法によることとした。これを実現するため、工学分野の研究者と心理学・医学・歯学・生理学・数学・生物物理学など多様な分野の研究者とによる「トランスディシプリナリ(超分野的)」な体制を構築した。研究資金は合計で約160億円、研究要員は約60〜80名である。
 代表的な研究成果を学術的な面と工学的応用の2つの面から整理すると図2のようになる。学術的には、小脳の逆ダイナミックスモデルや多重内部モデルの存在といった脳の運動制御理論に関する研究成果 が英国科学誌Natureや米国科学誌Scienceに、また、顔の印象や表情の認知を左右する要因の研究の一環である性差による顔の形態と魅力との関係の研究成果 がNatureに掲載されたり、生物の進化の考え方を取り入れた研究が認められて米国経済誌Business Weekの研究所ランキングの「生物に学ぶ情報技術」部門で世界第4位にランクされるなど、本試験研究の成果 は質的にも高く評価されている。工学的応用に関しても、語学教材として出版したCD-ROM付きの書籍が好調な売れ行きを示しているほか、音を聴き分けて警告を発する音響監視装置が通信設備の監視用に試用されるなど、実際の応用にも結びついている。
 研究成果の活用分野は、その効用から大きく二つに分けられる。ひとつは、人間の運動・学習のメカニズムを明らかにすることにより、無理・無駄のない外国語学習やリハビリテーションなどが可能になることである。もうひとつは、人間と同じ情報生成・処理のメカニズムを有するロボットやサイバーヒューマンの実現、すなわち、今のコンピュータが賢くなるということ(機械の延長)あるいはコミュニケーションの相手が目の前にいると感じさせてくれること(機械の向こう側にいる人の延長)である。もちろん、今のパソコンが有能な秘書のように働くようになったり、遠くにいる恋人とテニスができるようになったりするまでには、まだまだ時間がかかるだろう。しかし、「人に学ぶ」、「トランスディシプリナリー」といった考え方のもと、ATRでともに研究を進めてきた研究者集団は、これからもその世界に拡がるヒューマンネットワークを活用して21世紀における世界の脳研究、ヒューマンインタフェース研究をリードし、これらの実現に大いに貢献するものと確信している。