
新世紀を迎えて
〜壮大な科学的挑戦の幕開け〜
(株)国際電気通信基礎技術研究所 取締役企画部長 東田 正信
本年2月末をもって人間情報通信研究所が研究活動を終息させる。東倉前所長の「人間に学ぶ」という構想に基づきスタートし、これまでに人間の情報処理、知覚、通信能力などに関して数々の知見、成果を出してきているが、当初の想いと比べていかばかりであろうか。恐らくわかったことよりも、わかったことでさらにわからないことが増えたというのが正直な感想ではないだろうか。
考えてみれば、「人間」は地球が誕生して以来、四十数億年の歳月の試行錯誤の集大成である。まず、有機物を生成し、次に生物生成へと道を進めた。細胞という概念を導入し、核を設け、細胞分裂によって増殖できるメカニズムを考案した。次にこれを植物と動物に分化させ、さらに何十億年かをかけて、類人猿と呼ばれる人間の祖先を生み出した。この間に遺伝子を導入して、動物の世代交代とそれによる進化の方策も手に入れてきたのである。最初にプランがあって実行されたとは思えないような偉大な科学の歴史が「自然」(あるいは「神」)の手で刻まれてきたことに畏怖の念を禁じ得ない。
類人猿の出現には諸説があるが、最近ではケニアの400万年前の人骨らしきものが最古ではないかとの報道もある。私が歴史で習ったころはピテカントルプス(ジャワ原人)が100万年前で最古の類人猿と言われていたが、いずれにしても人類の歴史は地球の歴史からみるとほんの一瞬にしかすぎない。その一瞬の中でも我々人類は今日までに数万の世代交代を繰り返している。この間に我々は単に生きるというだけでなく、「知能」を大きく発達させ、他の動物では成し得なかった「文化」や「文明」を築いてきた。そしてこの歴史は僅か1万年のレベルなのである。ATRが拠点を置く「けいはんな地区」が大和朝廷から、奈良・平安時代の中心で、平安貴族が栄華を極めていた時代は遠く昔のようであるが僅か40世代くらいまえの出来事なのである。
前置きが長くなったが、要は人間は40億年のキャリアを持つ「自然」という科学者にこの数世紀果敢に挑戦してきたということを言いたかったのである。ここ何世紀かをかけて、我々は種々の分析のための道具、測定器などを発明して、まず「歴史的遺産」を分析し、「自然」の解明を進めてきた。ようやく、メンデルが現象としてとらえた自然の摂理を遺伝子の操作としてとらえることまでできるようになり、遺伝子を操作することでこれまでになかった性質を持つ動物や植物を人工的に作れるところまで到達した。この結果
「肉体を持つロボット」クローン人間の是非が倫理の新たな課題として人間にあたえられることになった。
一方、「自然」に対して挑戦をする「人間の知能」を司る「脳」に関しても、いろいろな試みが行われている。fMRI1などにより機能的な知見はいろいろと得られているものの、「脳を作る」ということに関してはまだまだと言わざるを得ない。「脳を作る」ということは、究極的には「肉体を持たないロボット」をつくることである。二足歩行、踊り、音声対話などの先端機能を見せる華やかなロボットの展示会でもインタビューに答える技術開発担当者が、「鉄腕アトム」の100分の1の能力も具備できていないと述懐しているように、人間のレベルにはなかなか追いつかない。解明するだけでなく、合成してみることで「自然」の奥深さを知ると同時に次のステップの課題を見つける事もできることから、このような試みはきわめて重要である。
我々の旺盛な好奇心と飽くなき挑戦心は新世紀を迎えて、さらに未来を見据えて、目標をしっかりと頭において研究に邁進していくことになるであろう。この100年の間に我々は、「自然」が創り賜うた「神秘」という名の「精密機械」にどれだけ迫れるであろうか?
22世紀の初めには、「鉄腕アトム」と人間が手に手を携えて、この地球を舞台によりよい生活環境を作り出していることを是非とも願いたいものである。
科学を武器に「人間の知能」の21世紀の壮大な「自然への挑戦」の新たな幕が開いた。