レーザカオス同期
1.はじめに
開かれた通信環境において、複数のユーザが一度に同じ通信回線を使うと相互干渉とプライバシーの問題が生じる。干渉を克服し、同時に使えるようにするのが「多重化」技術の目的である。多重化を支える一つの重要な技術はコード化技術である。例えば、データ信号を疑似ランダムなコード信号で変調する、いわば「スクランブル」という種類のコード化技術である。「スクランブル」をすることによって送信信号が他の信号と混ざっても特定の受信器によって認識できるようにするのと、その他の受信器にとって認識しにくくするという二つの効果が得られる。
「スクランブル」のために有効なコード信号の発生が重要な課題である。われわれはより高効率、高速、そして柔軟なコード化技術をめざし、「カオス振動子」と呼ばれるものを使った、新しいコード発生と検出方法を検討している[1-4]
。カオス振動子のコード発生には汎用計算チップで実行されるアルゴリズム、専用電子回路、またはレーザなど、さまざまな発生方法があるが、ここでは、特に光データ信号の「多重化」への応用に着目した、レーザを使ったコード発生に関するわれわれの研究を紹介する。
2.「スクランブル」データ通信
「スクランブル」コードを使ったデータ通信の一般的な仕組みを図1に簡単に示す。データを送信するとき、データ信号を疑似ランダムなコード信号で変調する。データを復調するために、送信に使われたものと同じようなコード発生器を準備し、そのコード発生器から出たコード信号を送信信号と照らし合わせればデータを読み取ることができる。受信信号に他の信号が妨害信号として加わった場合、他の信号がコードに対して十分ランダムであれば、コードとの相関を検出する回路を通すと、妨害信号の成分が消え、指定の通信相手のデータだけが残る。これは携帯電話のCDMA方式等にも利用されているデータ認識方法である。
通信相手を特定するのはコードである。異なったコードを発生するのに必要なパラメータが「鍵」となる。同じようなコード発生器と「鍵」が分かる相手はデータを復調でき、「鍵」が正しく設定されていない受信器ではデータを読み取ることはできない。コードは相手を確実に特定するために長くて複雑なほどよいが、データ転送レートの低下やコード発生と検出回路の大規模化をさけたい。したがって、コード発生と検出を効率よく行うために工夫が必要である。
3.レーザによるコード信号の発生
光データ信号は光ファイバ通信に加え、近年、光無線通信、メモリデイスク、スマートカードの光読み取りなどに利用され、情報ネットワークにますます重要になってきている。各々がより高効率、高速、そして柔軟なコード化技術を必要としている。
われわれがコード信号発生器として着目しているのは多数の波長の光を発生するレーザである[3,4]
。図2にはレーザの出力の例を示す。全体の出力は時間的にほとんど変動しないが、レーザの出力信号に複数の異なった波長成分が含まれ、各々の波長成分が複雑に変動している。この複雑な変動がコードの役割をする。ある時間間隔の間の波長成分の変動を一つのデータビットに対応させてコード信号として利用できる。
このような複雑な変動をする光信号を発生するには二通りの方法がある。一つは電子回路でコードを発生し、電気信号で光源の波長と振幅の変動のすべてを駆動する方法である。もう一つは光源自身の働きでコード信号を発生する方法である。このために、レーザは自律的な働きができる動的な発振デバイスであることが重要であり、レーザ以外の光源、例えば、リモコンに使われるLEDなどを使ってはできない方法である。もし、複雑な変動信号は送信レーザが雑音で揺らいでいるために発生されたのであれば、受信側で同じコードを発生するのは不可能であろう。送信と受信で同じような複雑な信号を発生できるのはレーザの設定に依存したはっきりした発生の規則があるからである。
4.同期
受信側で同じコードを発生し、データを復調するために特に重要なのはコード発生の同期である。受信器が受信した信号に使われたコードと、受信器自身が発生したコードのタイミングを合わせる必要がある。送信側と受信側の二つのカオス振動を容易に同期できるということが、コード化技術へのカオス振動子の利用の重要なポイントである。光データ通信の場合には、電気回路でコードを発生し、レーザの出力を変調する方法と比べ、レーザ自身がコードを発生する方法が、より高速、かつ高効率のコードを発生できる可能性を持っている。われわれはこの可能性をより明確にするために研究を進めている。
5.内外の動向
現在の研究状況の一側面を図3で示す。電気や光のカオス信号発生の工学研究としての取り組みが10年前に始まり、各国でさまざまな安定したカオスの発生ができるシステムが確立されてきた。その土台の上に、今現在、本格的な応用実験において、従来の技術との比較を具体的に評価できるようになった。また、その評価を目標とするプロジェクトが最近、米国とヨーロッパで立ち上がっている。ATRはデータのビットレート、コードのチップレートそれぞれにおいて、現在最先端のレーザカオスデータ通信実験を行っている。実際の応用における課題を明確にしてゆく姿勢が内外から注目され、期待されている。
Copyright(c)2002(株)国際電気通信基礎技術研究所