



音声翻訳通信研究所プロジェクト終了
プロジェクト終了にあたって
日本の研究開発に対する期待
京都大学総長 長尾 真
米国での音声認識研究の歴史は50年に近く、研究を継続的に支えて来たのは国防総省の高等研究計画局(ARPA)であった。数年から10年間続く研究プロジェクトを数件同時並行して行い、その結果を評価してから、次に行うべき研究テーマを設定するという形で、伝統と実力のある幾つかの研究グループを育て上げ、技術を発展させて来た。これは音声研究だけでなく、コンピュータネットワークの研究や、この数年間やっている電子図書館システムの開発などでも同じである。このような競争的であり、かつ長期的な研究プロジェクトを実行できるのはARPAのような特別な機関だけかも知れないが、そういうことがなければ難しい課題については研究成果が上がらず、実用につながってゆかないだろう。
音声認識や音声合成のすばらしい実用装置が米国で発売されると、あわてて日本でも同種の日本語音声システムが作られ売り出されるということが繰り返されて来た。日本は米国に劣らない音声技術を持っているにもかかわらず、なぜ先頭を切ることができずに来たのかをよく考えることが必要であろう。課長や部長、さらには技術担当重役がこれは良い製品になるという判断をする能力を磨き、研究者がすばらしい製品が作れそうだという提案をしたとき、決断のできる体制をうまく作り、ユーザの立場に立った製品開発を短時間でできるようにしなければ、日本の研究開発者がいくら高い技術力を持っていても革新的な製品を世界に先がけて作り出すことは難しいだろう。
機械翻訳については日本は世界をリードしているといってよいだろう。日本の研究者は欧米の研究者と違って、言語はけっしてきれいな理論的枠組のみによって捉えることはできないという認識の上に立ち、種々の経験的方法を導入することによって、かなり良い日英、英日翻訳システムを作って来た。私が1981年に提唱したアナロジーによる機械翻訳方式も、その有効性が数年前から世界的にようやく広く認識されるようになり、実用システムにも取り入れられるようになって来ている。こうして具体的な言葉の表現を集めて利用することの重要性が認識されるようになった結果、欧米では大規模なテキストデータベース作成のプロジェクトや辞書についての地道な研究が進んで来た。こういった息の長い一見何も生み出さないような作業は日本ではなかなか認められず、予算がつかず、遅れをとっているのは残念である。
結論的に言えることは、(1)20年〜30年という長期にわたる研究をしなければ音声や言語といった人間にかかわる研究は成果が上がらない、(2)理論的、形式的なことで論文の書きやすいことでなく、経験的なデータの積み上げをしないと実用になる有効なシステムは作れない、(3)実用システムは利用者の立場に立って徹底した技術の総合化を集中的に行うことが必要で、これには決断力を伴った統一への意志が必要である、といったことであろう。外国で成功したから日本でも大急ぎで開発するというのでは情けない。音声翻訳通信の研究成果の継承的発展が望まれる。