シナリオを書こう、そして変えて行こう




(株)ATR国際電気通信技術研究所 顧問 葉原 耕平



 前回、研究は過去の成果の上への積み上げである、また時には後戻りのようでも原点に立ち戻ることも必要だということを述べました。今回はその積み上げや後戻りの筋道の話です。

(1) まずはシナリオを書こう
 研究を始めるとき、大抵は何らかの目算があることと思います。組織であればそれを提案書などに纏めるなどの手続きも必要でしょう。それらをどのように書くかはその人の置かれた位置や性格、考え方などで変わるでしょうから一概にどういうものがいいとは言えません。調べに調べて体裁を整えなければ格好が付かない、と思う人もいるでしょう。しかし、私は個人的には、ことに初期の段階ではあまり肩肘張る必要はないと思っています。極端な話、最初は「こんな研究が価値がありそうだ」という程度のことから始まる場合もあるでしょう。まずはそれを正直に書き出してみることです。それも1枚の紙にです。イメージ図でも描ければ立派なものです。その上で、日々考えが変わって行くでしょうから、その都度新しい紙にそれを描いて行くのです。海のものとも山のものとも分からないで出発したものほどどんどんと変わるでしょう。こうして最初に描いた図と何日か何週間か何ヶ月か後のそれらを比べて見るのです。その変化がその期間での進歩を示します。

仕事でも何でもそうですが、新しいことを始めるときには誰しも驚いたり戸惑ったりします。新入社員のころやベテランでもそれまで経験のない組織や分野、例えばATRに出向するなどという機会に出あうと、暫らくは西も東もわからない、先輩や周囲の人達の言うことがさっぱり理解できない、という場面に遭遇するでしょう。しかし、数ヶ月も経つと案外一人前の顔をして、しかも専門語をポンポンと使いながら仕事を進めている自分にびっくりする、というのが実態でしょう。パソコンの習得などでも同じです。そこまで来てしまうと最初に自分が困ったり戸惑ったことはすっかり忘れてしまっていることが多く、その時点での知識で今度は新参者を悩ますことになり勝ちです。その数ヶ月の間に自分自身がとてつもなく進歩している、ということには案外気づかないものです。研究も同じことです。だからこそ、一番始めの段階での発想を記録に残しておくのです。そうすると、それとの違いが大きければ大きいほど考えが進んだ、ということが実感できることになります。ですから、私はことに立ち上げ時期の研究には「最初の頃との違いは何?」とよく聞いたものです。それが進歩だからです。

(2) シナリオには終点を意識しよう
 もう一つ、シナリオを書くに当たって漠としていてもいいから「それがうまく行ったらどういういいことがあるか。世の中にどういう効果をもたらすか」と言うことを最初から陽に意識して欲しいということです。その到達点自身が時間とともに変わってもいいし、むしろ変わるのが自然です。「山の辺の道」を散策する積りで出かけたのが結果として「法隆寺」になった、でもいいのです。それにはそれなりの理由があるのでしょうから。そして「そうだ。次は飛鳥に行こう」などという発展もそこから出るかも知れません。最初浮かんだ「山の辺の道」に固執するのがいいとは限りません。基礎研究、ことに初期にはそういうことがむしろ当たり前です。それだけに自分の軌跡を残すことは次の展開へのヒントも与えてくれる可能性を含んでいます。ただし、あまり欲張ると、最初目論んだ「山の辺の道」はおろか法隆寺にも飛鳥にも行きつかないうちに日が暮れてしまうこともあるかも知れません。
 こうして研究の道筋(自分の軌跡)が見えてくると、これを先の方向に延長することがより容易に、またより確かなものになる可能性が大きくなります。こうして大きな枠組が見えてくればしめたもので、あとはその道筋に沿って具体データを採って集大成する、という段取りになります。実際にはこのように単純ではなく、途中のデータの結果いかんでその後の研究方向の選択肢のいずれかを選ぶ、というようなことも起こり得ます。いずれにしても、そういう節目もより明確にできる可能性があります。極端なことを言えば、ある程度のシナリオが書ければ論文や報告書の章立ては出来たも同然です。埋まってないのは具体データだけ、ということも不可能ではありません。一通りデータを採り終えてから「さあ論文にしよう。どう纏めようか」とそこで初めて「しまった、あのデータが欠けている」などとなるより遥かにスマートかつ効率よく纏めることができます。ただし、あまりにきっちりと道筋を付け過ぎると、道端に転がっていた大切な素材を見落としてしまう危険もあります。場合によっては気がついても構っていられないこともあります。そういうときはあとのために記録に留めておくことも無意味ではありません。それによって頭の隅にそれが残り、何かのはずみで陽の目を見ることもあるからです。

(3) レスポンスタイムと精度

 研究でも仕事でも何でもそうですが、しばしば先の「見通し」を求められます。これは何も受身の場合だけではなく、自問自答という場合も含みます。研究を始めたばかりでまだ殆ど先が見通せない場合にそれを求められるのは一番困ることでしょう。そのような場合、何も答えないで知らぬ顔の半兵衛を決め込むかどうか悩ましいところで、中身が漠としていればいるほど「時間を下さい」と言いたくなるのは人情です。では一寸延ばしで時間を稼げばいい答えが出るでしょうか。普通はなかなか難しいことです。それならばいっそ「まだそれは分かりません。だからまずはその見通しをつけるために研究を始めるのです」という率直な答えがあってもいい、と私は思います。「まだアイディアだけ」を最初の紙を書くのとおなじ思想です。そして「うまく行けば○○頃にそれをはっきりさせることができるでしょう」というように、その時々でできる最善の答えを用意することです。まずはクイックレスポンスです。温め(あたため)れば温めるほど次は高精度の答えを用意せねばなりません。そうするとますます苦境に陥り、催促されても「今更この程度では・・」ということでまたまたタイミングを逸するということになりかねません。レスポンスタイムと要求される精度は比例します。早いレスポンスには1桁の誤差が許されても時間が経てばそうはいかなくなります。

 私はしかし何も拙速でいい、と言いたいのではありません。まずは最初のレスポンスをしてもその次のことは当然考えねばなりません。その過程で精度を高めるための方策に頭が廻ります。例えてみれば聞く方と答える方のボールの投げ合いです。できればボールは直ぐに投げ返すことです。そして、今ボールはどちらにあるのかを常に意識することです。ボールが相手側にある間に先回りができ、次の機会にも間髪を入れず、かつより的確にレスポンスするだけの余裕がでてきます。それ以上に自分の仕事の位置付けが常に明確になる、それが大切で自分のためでもあります。
 さらにレスポンスの価値はレスポンスタイムに反比例し勝ちです。私は「どんなときでも5点でも10点でもいい、とにかくその時点々々での答えを持つように。60点もあれば満点だ。タイミングを逸したら60点を超える分だけマイナス点をつけるよ。100点狙いでタイミングを失したらマイナス40点だ」とよく言ったものです。

(4) 行きがけの駄賃

 何でもそうですが、最終目標に到達するには色々の道筋が考えられます。図にはその典型を示しました。Bのように周到な準備を整えて一挙に最終点を目指すという方法もありますが、息の長い基礎研究では息切れしてしまう危険もあります。その対極としてAでは途中、5点とか10点の段階でもそれなりのバイプロダクトが得られる可能性があります。いわば行きがけの駄賃です。そしてその途中結果をあとの進め方に反映できる利点もあります。ですから私はなるべくならAに近い手法を薦めたいと思います。それがよしんば結果的にBよりもトータルの時間が掛かったり、到達度が多少落ちたとしてもです。ただし、あまりにもバイプロダクトに血道をあげるのは本末転倒ですから、組織であればこういうバイプロダクトを目ざとく拾い上げる機能が別途あるのが望ましいことです。