視覚像精細度の感性評価



1.はじめに

 大容量通信や高品位放送、高速コンピューティングを背景として今後展開されるマルチメディア時代においては、従来より高品質の映像情報が求められていくでしょう。その方向性のひとつとして、脳の生理機構との適合性がより高度に保証された、その結果として脳に対する負担がより小さい視聴覚信号を提供することが期待されます。一般に、メディアを介した視聴覚情報は、わたくしたち人類が進化の歴史のなかで慣れ親したしんできた自然の視聴覚情報と異なる性格を有しており、注意を要します。たとえば、視覚メディアを介した視覚像の精細度は、そのメディアの解像度に依存し、もともとの自然の視覚像の事実上無限に近い精細度とは異なっています。だとすると、この差異がメディア映像視聴時に脳の負担を増している可能性がないとはいいきれません。同じ視覚情報のつもりであっても、脳への負担の差が影響し、異なる反応を引き起こすことになるかもしれません。視覚像の精細度の違いに対する人間の反応を調べることは意義深いと考えました。
 これまで、音質や映像の質の評価を目的として、主として内観に依存した実験心理学的なアプローチに基づく評価手法が整備されてきています。しかし、言語を用いた評価は、言語が多義性をもつという限界,そして意識にのぼることしか表現できないという限界をもっています。一方、映像情報は脳神経系に極めて強く働きかけ、意識にのぼりにくいが生理的には無視できない影響を人に対して与えている可能性を否定できません。そのような面を視野から排除しないようにして映像・音声情報の人間への影響を調べるために、これまで、脳波α波(Electroencephalographic alpha activity)ポテンシャルを指標としたメディア情報の評価法を体系的に開発してきました[1-3]。脳波α波の活性は、ストレス刺激によって低下すると考えられています[4]ので、視聴覚情報の脳に対する負担をはかる尺度として妥当でしょう。また、脳波は、脳活性計測法のなかでも比較的簡易に、被験者へのストレスも少なく計測できるというメリットがあります。自然景観の合成画像ならびに実写画像を呈示試料として、精細度の違いが脳との適合性の違いを導くかどうかを、生理的・心理的に評価することを試みました。

2.生理的評価実験
 脳に対する負担は減点法で効いてくることが予想できます。そこで、呈示試料には、注目している特徴量(今回の場合は精細度)以外の部分を原因とする脳に対する負担が極力少ないことが求められます。進化の過程でなじんできた、すなわち人類の生物学的本来性に合致した自然環境から得られる森や空などの視覚像は、そのような背景をもたない人工物の視覚像に比べて、脳への負担はより小さいと推測できます。そこで、深い森を、その上に浮かぶ白い雲よりもさらに高い視点から俯瞰した自然景観に見えるテクスチャを、独自に開発したフラクタル画像生成アルゴリズム[5]によって、幅512ピクセル(低精細度)、1024ピクセル(中精細度)、2048ピクセル(高精細度)の3種類の細かさで合成しました。また、熱帯雨林の自然景観のスチル写真をフィルムスキャナで上記と同じ3種類の細かさでデジタル化し、呈示試料の元データとしました。これらの画像をフィルムレコーダで35mmスライドに撮影し、呈示試料としました(図1)。
 これらの各画像をスライドプロジェクタで180秒間呈示し、その間の被験者の脳波を計測しました(図2)。その結果、合成画像についても実写画像についても、より細かい視覚像をみているときほど後頭部に脳波α波が統計的に有意に強くでることがわかりました(図3)。

3.心理的評価実験
 合成画像に対して、生理的評価実験と同じ被験者についてシェッフェの一対比較法による心理的評価を行いました。精細度の異なるふたつの画像を数十秒間隔で交互に呈示し、14の評価語対に対する5段階の相対評価を行ってもらいました。その結果、より細かい視覚像がよりよい印象を与えていることが統計的有意性をもって示されました。

4.精細度の高い視覚像ほど脳の負担が少ない
 前に述べたように、脳波α波の活性は脳への負担度合の指標とみなすことができます。実験結果から、静止画像がつくりだす視覚像において、精細度のより高い視覚像の方が脳に対する負担がより少なく、脳との適合度合が高いことを意味していると考えることができます。また、心理的評価実験の結果は、精細度がより高い視覚像のほうがよりよい印象を与え、ストレス因となりにくい傾向を示すことを示唆しています。これは、生理的評価実験の結果と矛盾せず、視覚像精細度と脳負担との関係を支持しているといえるでしょう。
 ここで得られた知見は、前述したように自然の視覚像が事実上無限の精細度をもっていること、そして、その自然の視覚像に適合する方向で人類の視覚が進化してきたであろうことを考えると、納得のいく結論といえます。では、精細度が無限に細かくなるほど脳との適合性は増大していくのでしょうか? どの程度の細かさまでこの傾向が持続するかは今後検討する必要があります。
 この設問に関連して、今回の実験において興味深い結果が得られています。実験に協力して下さった被験者の方々の視力は0.7〜1.0に分布していました。視力の定義から、被験者の弁別限界は、視覚像精細度0.7〜1.0ピクセル/分(視角、1分=1/60度)と考えられます。つまり、視覚像精細度1.0ピクセル/分をこえる細かい像は弁別できないとみなされるわけです。それにもかかわらず、1.18ピクセル/分(高精細度)の視覚像精細度をもつ画像の示した脳波α波ポテンシャル値が0.59ピクセル/分(中精細度)の画像よりも高かったことは非常に興味深いことです。というのも、視覚像精細度0.59ピクセル/分の画像の1ピクセルは、1.18ピクセル/分の画像における2×2= 4ピクセルと等しい大きさをもっているので、その間の違いを知覚することは、1.18ピクセル/分の画像において隣あうピクセルの違いを知覚することに等しいからです。弁別限界以上に細かい画像間の差異を人間は知覚できているのかもしれません。私たちは、呈示画像がフラクタルの性質を有するテクスチャだったことが重要な要因になっているかもしれないと考え、検討を進めています。
 本感性評価法を精細度以外のメディア質の評価に応用することも考えています。また、脳波α波は、脳深部構造の活性との正の相関も報告されており、今後その生理学的な意味はさらに明らかになってくるでしょう。

参考文献


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