ミクロなサンドイッチで光を操る
─化合物半導体超格子光デバイス─
1.はじめに
1970年、IBMのワトソン研究所から、半導体技術の進展にとって、非常に重要な示唆を与える一つの論文が発表されました。江崎玲於奈博士およびR. Tsu博士により発表されたこの論文[1]では、半導体の膜を作製する過程でその組成を非常に短い繰り返し周期で変化させることで、自然界に存在する結晶では実現できない“特異な電子状態”を作り出せるという考えが述べられています。このような人工的な半導体周期構造を作製し、特異な電子状態を作り出すという考えは、研究者の熱い注目を集めるところとなりました。希望の特異な電子状態を作り出すには、原子層のオーダ(Åオーダ:1Åは10-10m)で周期構造を作製しなければならないため、分子線エピタキシ法や有機金属気相成長法と呼ばれる超薄膜作製技術の開発が進みました。また特異な電子状態を利用した新しい機能デバイスの実現をめざして、現在でも多くの研究機関が周期構造の物性解明に取り組んでいます。今日では、このような周期構造、すなわち、図1に示すような種類の異なる薄い膜を交互に積層したミクロなサンドイッチのような構造は、超格子と呼ばれ、半導体研究の一つの分野を形成しています。また実用的にも、超格子は、半導体レーザの光を発生する部分にも採用され、確固たる地位を築いています。
このように、超格子の研究は一部の分野では実用的なレベルまで到達していますが、当研究所ではその特徴をさらに活かした新しいデバイスが実現できるのではないかとの考えで、これまで精力的に、物性探求とデバイス応用の探索に取り組んできました。ここでは、高機能かつ高性能な通信用光デバイスの開発を目的として進めてきた化合物(ガリウムひ素系)半導体を用いた超格子光デバイス研究の一部概要について紹介します。
2.長い波長の光を作る
現在、光ファイバ通信では、ファイバ内での光の分散と損失の少ない波長1.3μmないし1.55μmの光が主に使われています。また、近年、可視光でも青色(波長0.4μm程度)のレーザが開発されました。このように波長1.55μm以下の発光デバイスは数多く実用化されていますが、これ以上の波長(長波長)の半導体発光デバイスはほとんどないのが実状です。図2に示すように、長波長の光は光通信をはじめとする幾つかの分野への応用が期待できるため、特に小型で低消費電力な半導体レーザの開発が望まれています。
しかし、図3(a)に示すように、従来の半導体レーザでは、禁制帯(電子も正孔も存在できない領域)を挟んだ電子と正孔の再結合によって光を発生させるため、放射される光の波長は、材料に固有な禁制帯の幅(バンドギャップ)によって決定されてしまいます。原理的に、バンドギャップが小さいほど長い波長の光を得ることができますが、利用できる材料が限られるとともに、正常な動作を行わせるには素子を冷却しなければならないなどの問題がありました。
そこで、1994年、AT&Tベル研究所(現在のルーセントテクノロジー ベル研究所)は、超格子の特徴を利用した新しい動作原理に基づく長波長半導体レーザ[2]を発表しました。図3(b)にその動作原理を示します。このレーザは、超格子が作る特異な電子状態の一つであるサブバンド(電子が存在できる領域)を利用したもので、電子がエネルギーの高いサブバンドから低いサブバンドに移動(遷移)する際に失うエネルギーを光に変えるものです。従来の半導体レーザのバンドギャップに比べて、サブバンド間のバンドギャップは小さくできるため、長波長の光を得ることができます。また、原理的にレーザを冷却する必要もありません。このように電子の遷移のみを利用した本レーザは将来の長波長光源として有望ですが、大きな問題点はレーザの構造が非常に複雑になること[2]です。
そこで、この問題を解決するため、これまで提案されていたものとは異なるサブバンド(Г-X量子準位)を利用した長波長レーザを提案し、その開発に取り組んでいます。現在、超格子構造を試作し、新しいレーザの実現の可能性を確かめている段階です。本研究により、将来の安価な長波長光源の実現に寄与できるものと考えています。
3.光を高速で変調する
上述した通信用光源の研究・開発に加え、当研究所ではレーザから放射された光に高速(数十GHz)で情報を重畳することのできる光変調素子の開発も進めています。この素子には歪超格子という特殊な構造を採用する方針で研究に取り組んでいます。
一般に、超格子を作製する場合、基板の上に種類の異なる薄膜を交互に積んでいきますが、基板および薄膜材料の選定にあたっては、結晶の周期間隔(格子定数)がほぼ等しいものを用います。これは、格子定数が異なると主に薄膜に応力(引っ張り力または圧縮力)が加わり、薄膜内の電子状態が通常の超格子とは違ったものになるためです。一方、このような現象を有効に利用して、通常の超格子にはない電子状態を作り出す研究も行われており、薄膜に応力が加わるような超格子を一般に歪超格子と呼んでいます。
では、なぜ、高速で光を変調する素子に歪超格子を採用するのでしょうか?
図4に通常の超格子を用いた光変調素子の動作概念を示します。例えば、超格子に光を入射させると、印加電圧が0Vでは、光は薄い超格子を透過しますが、ある電圧を印加すると、光のエネルギーが吸収され、電子と正孔対の生成に使われるます。このようにして外部電圧制御によって、光の透過および吸収(ON/OFF)が制御できるのですが、通常の超格子では、光によって生成された電子と正孔の内、主に正孔(通常、重い正孔)をすばやく外部に取り出すことができません。その結果、高速の信号(高速で変化する電圧)が超格子に加えられた場合、重い正孔が膜内に蓄積するため、光の吸収が阻害され、正常な動作が期待できなくなります。
そのため、当研究所では、上述した歪超格子を採用することで、内部の電子状態を変え(重い正孔と軽い正孔の量子準位を入れ替える)、正孔をより早く取り出す研究を進めています。これまでの歪超格子の物性解明により、高速光変調素子の実現に、ある程度の見通しが得られつつあります。
4.おわりに
当研究所では、高性能で高機能な、半導体デバイスの開発を目的に、超格子を用いた新しい光デバイスの研究に取り組んでいます。ここでは、長波長レーザおよび高速光変調素子の研究概要について紹介しましたが、この他にも、超格子内でのキャリアドメイン生成という特異な現象(電子の固まりが超格子内に生成される現象)を利用した光励起による発振素子の研究も進めています[3]。このような研究は、現状では、まだ基礎的なレベルですが、将来の光通信の発展を支える要素技術として非常に重要なものと考えています。今後も、超格子を利用したこれらデバイスの開発に精力的に取り組む一方、さらに機能性や実用性を高めた新たなデバイスを提案および開発していく予定です。
参考文献
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