文化の発信

(株)国際電気通信基礎技術研究所 渉外部長 田中 恒



 「関西文化学術研究都市」、この構想が打ち出された時に「文化」の2文字が入ったのは、古来日本固有の文化が蓄積されてきたこの関西の地から世界の文化に貢献する何かを「発信」したい、との希いが込められていたからだと聞く。
 また、ATRがその基礎を措く「基盤技術研究円滑化法」は、当時欧米から日本に対して言われた「基礎研究只乗り論」に対抗する意義も担っていたと聞く。物の貿易は黒字を重ねて久しいのに対して、技術貿易、特に対欧米のそれは久しく赤字が続いていると聞いていたが、先の新聞報道(’99. 1. 25日経)によると’97年度をもって米国を含む世界の全ての国・地域に対して黒字に転じたとある。このことが直ちに基礎研究での優位を意味するものではないにしても、感無量の想いでこの記事をご覧になった方も多いのではないか。
 こうした流れの中で生まれ、十何年かが経ち、ビジネスウィーク誌が米国の研究者に対して行った調査の結果、「人工生命」に代表される生物型の情報技術の分野で世界第4位の研究所にランクされるなど、国際的にも少しは知られるようになったATRに今求められるものは何か。
 昨年の文化の日の日経社説は「科学技術の文化的側面を重視しよう」と題するもので、「かつては宗教や哲学が人々の世界観構築に大きく貢献したが、近代は科学技術の成果に基づいて宇宙・物質・生態系・生命などを理解することで世界観が形作られており、科学技術が文化の基盤になっている。文化とは人々がいかに生きるべきかの指針という役割を担っているところから、日本が科学技術を基盤とした新たな生き方・文化を世界に向けて発信できれば、世界の尊敬を勝ち取ることができる。産官学の関係者は科学技術の文化的側面を認識する事が大切である」とするものであった。
 実際、科学的知見は多かれ少なかれ文化的側面を保有するものだと思うが、近年では遺伝子やその機能、構造の解明といったことは従来の生命観に決定的な影響を及ぼしたし、ATRでの人工生命の研究、取り分けコンピュータ上でのある種の進化の再現、種の多様性や死の持つ意味の確認、自己解体といった東洋的思想にも通じる考え方は新鮮な驚きであった。学生時代からアルベルト・シュヴァイツァーの生命の畏敬の思想やマリー・キュリーの純粋な科学探求の生き方に多大の感銘を受け、「科学技術と正しい生命観こそが世界を支え、正しく変化させて行く」と考えてきた自分にとって、ATR人間研 下原招聘研究員の「人工生命と進化するコンピュータ」(’98年6月・工業調査会)は、大いにイマジネーションを刺激するものであった。特にその目線を一般市民である我々に合わせて書いていただいているのが嬉しかった。科学技術の新たな知見を世界観に反映させるのは、あくまでもその知見に接した個々人の問題であるが、知見の持つ文化的側面を研究者の側から一般市民に示唆する試みは非常に大切なことだと思う。
 21世紀を目前に控えて世界経済は混迷を脱し切れるかどうか定かでない状況が続いており、電気通信技術の発展につれて、経済社会はますますバーチャルの度を深め、市場原理やグローバリズムとも相俟って企業や個人の行動の影響はより迅速により広範に及ぶようになり、人の欲望も際限なく拡大してゆく。こうしたことのもたらす経済弱者の破綻や文化の均一化といった負の側面を何とか克服する手だてはないものか、といった想いは昨今多くの人々の脳裏にあるのではないかと思う。
 ATR を含む関西の「人工生命」や「脳科学」等の研究の中から、経済や社会の今後の在り方や上述の負の側面の克服に資する新たな知見が生まれ、これまでの知見と併せて世界に向け強力に新たな「文化」を「発信」する工夫と努力が続けられるよう、学研都市の一市民の立場から強く願うものである。