顔とコミュニケーション

(株)ATR人間情報通信研究所 代表取締役社長 一ノ瀬 裕



 当研究所の顔の魅力に関する研究成果が昨年8月に英国科学誌Natureに掲載されたことから、顔を話題に取り上げることにした。いろんな顔写真が載った巻頭言でびっくりさせたかもしれないが、正月の「福笑い」の続きぐらいに思って許していただければ幸いである。
 誰かと話をするとき、相手の顔が逆さまになっているのは特別の場合だろう。自分の顔を鏡や写真で見る場合も同様である。だから、逆さまの顔を見せられると、「自分の顔かな?」くらいは分かっても、ちょっと似た人を並べられると判断に困る。例えば口と目の向きを180度ひっくり返して作った一目で変だと分かる顔でも、逆さまにして見せられればどちらが変だかちっとも分からない。ちなみにこのページの下部にある2枚の逆さまの顔は、どちらが変だろうか。一目で分かる人は少ないだろう。本を逆さまにして、正解を見て大いに笑って欲しい。世の中で美男・美女と騒いでみても、ちょっと向きを変えるとこの程度のことでもある。気持ちの持ちようでどうにでもなろうというもの。そう考えて明るく行きたいものだ。
 冒頭のNatureに掲載された成果は「男性の顔も多少女性的にした方が魅力的に見える」というものであるので、私の顔に30歳代の女性の平均顔を入れて少し女性的にしてもらった。上段右の顔である。その下の顔と比べてみれば確かに女性っぽくなったような気もするが、魅力的になっただろうか。さらに遊びついでに、下段のように、昔の顔と今の顔から、ちょっと昔の顔と将来の年老いた顔を合成してもらった。ちょっと昔の顔は確かにアルバムの中で見たような顔であるが、年老いた顔は当然ながら初対面であり、(+と0を結ぶとその先は−になるという理屈のため、無くなった黒い髪が白い髪として甦って見えるのは、ちょっぴりうれしいご愛嬌としても)さすがに不気味である。
 さて、この顔、コミュニケーションに大きな役割を果たしている。もちろん、目を閉じてもコミュニケーションはできるが、それは声に含まれる言語以外の情報が多弁に語ってくれるからだ。表情を変えないで感情豊かな声を出すことも、豊かな表情で平坦な声を出すことも、どちらもとても難しい。電子メールは、手紙よりも気軽に送ることができるのと、手紙のように筆跡やイラストなどで感情を補うのが難しいことから、相手に思わぬ誤解を与えてしまうこともあり、最近は顔文字を入れることが良く見られるようになった。(^_^)とにっこりしたり、(;_;)と泣いてみたり、m(_)mと謝ったり。異性から、(^_-)☆とウィンクされれば悪い気はしない。数文字分で感情が少しでも伝えられるなら安いものだ。ただ、これはまだ定着していないので、こちらが思ったように相手に伝わるかどうか、場合によっては事態を一層混乱させることがあるかも知れず、やはり文章そのものに注意する必要がありそうだ。
 コミュニケーションはキャッチボールと同じだとか。相手の顔を見て、相手の構えているところに、受け取りやすい速さのボールを投げることがキャッチボールのコツであろう。プロ野球の投手でも小さな子供相手に剛速球を投げたりはしない。でも、現実は、とても相手の取れないような速いボールを投げてみたり、続けざまにたくさん投げてみたり、あるいは野球のボールではなく砲丸を投げてみたり。本当のキャッチボールと違って、投げたボールの行方は見えないし、受け取ったボールは本当に相手の投げたボールかどうか分からない。コミュニケーションの研究をしてはいても、実際のコミュニケーションは遙かに難しい。せめて、相手の顔をちゃんと見て、あるいはちゃんと思い浮かべてボールを投げる/受け取ることを心がけたい。