頭を使うけん玉



1.はじめに
私たちの日常生活の中での何気ない動作は、脳の複雑な情報処理機構や運動制御機構のもとに行われています。たとえば、テーブルの紙コップに手をのばして掴み、水をこぼさないように運んでトレーの穴に入れる、といったことです。これは人間にはとても簡単な作業です。ところが同じことを現在のロボットにやらせようとすれば大変な準備か必要となります。上に挙げた例では、安定把持のために、操作対象物の形状認識、指先と対象物との接触面の決定、指先の形状の決定等がまず行われなければいけません。さらに、紙コップを握りつぶさないように触覚や力センサを用いた力のフィードバック制御、なめらかな異動のための軌道計画や、ロボット自体だけでなく操作対象物との相関までも含めたダイナミクス(力学的特性)の考慮も必要となるでしょう。
 工場で使われる産業用ロボットに作業をさせるとき、直接教示やティーチングプレイバック(記録して再生する)等の教示方式が広く用いられます。工場内等、種々の条件を整えやすい作業環境のもとで限定された繰り返し作業を行わせるときには、それらの教示方式は有効です。しかし、外部環境の変動や不確定性に対処することに関してはそれらの教示方式だけではまだ不十分と考えられます。見まねによる学習は、それらの困難の解決に有効であると期待されます。
 本稿では、筆者らの所属する研究室で行われた見まねによるけん玉学習ロボットの開発例を紹介します。

2.見まねによるけん玉学習ロボット

ヒト腕の目標到達運動の制御問題は、軌道計画、外部座標から身体座標への座標変換、運動指令の生成の3つの基本的計算問題に分けることができます。これらの計算問題には解決の難しい不良設定性が含まれます。まず軌道計画では、手先の現在位置から目標位置までの無数に存在する軌道のうちひとつを決めなければなりません。このとき手先の位置は視覚によって得られるので、目標軌道は視覚の作業座標で計画されると考えられています。次に、座標変換では、作業座標で計画された軌道を関節角や筋肉の長さといった身体座標に変換します。このとき手先の位置や向きが決まっても腕全体の姿勢は肘の位置をどのようにもできるので、身体座標は一意には決まりません。最後に運動軌道を実現するための運動指令を生成します。運動指令は最終的には筋肉にかかる力となりますが、人間の腕は主働筋と拮抗筋との張力の釣り合いの変化で動く仕組みになっていて、それぞれの筋肉にかける張力はどのような組合せでもできます。このように、上のそれぞれの問題は解が一意に得られないという特徴があり、解くことが難しいものばかりです。
 上の3つの基本問題は、ダイナミックな最適化原理に基づく双方向神経回路モデル(図1)で解決できます。このモデルを用いると、ヒト腕の運動軌道データから運動の特徴を少数の経由点で抽出し、経由点から元のヒトの運動を精度よく再現する軌道が再構成できます。経由点は一種の情報圧縮とみなすことができ、運動の重要な部分(けん玉の場合では玉を引き上げる瞬間など)が抽出されます。私たちは経由点を少し修正すると運動の結果が少し変化するという特性を利用してロボットの運動学習に応用しています。
 実験の概略を図2に示します。制御対象はヒト腕と同じ7自由度を持つサルコスアームです。玉が適切な高さに上がり、受け皿の中にちょうど入るような角度で投げ上げられれば、けん玉は成功します。そのために、まず、経由点をいろいろ変化させたときの玉の動きを観察しておいて、たとえば「玉をもう少し高く上げるためには経由点をどう動かせばよいのか」を調べておきます。その情報を使って玉がうまく上がるように経由点を修正していきます。
 ヒトのデモンストレーションを計測して、サルコスアームにけん玉をやらせる実験を行いました。最初はヒトのけん玉運動を単純にまねただけで、ヒトとサルコスアームの機械的な特性が違ったり、けん玉の握り方の違いてどで、玉がうまく上がらず、けん玉は成功しませんでした(図3上)。経由点を学習によって修正させてみると、7回の繰り返しで玉がうまく上がるようになって、けん玉が成功するようになりました(図3下)。

3.今後の研究課題
けん玉では、玉をうまくほうり上げるように学習を行い成功させることができました。現在、テニスのサーブを実験課題として取り上げています。テニスのサーブといっても、ラケットにつけた皿の中のボールを一度うほり上げて、落ちてきたボールを打って、2メートルほど先のゴールに入れる、という単純なものです。ラケットの中心で打つということと、打ったボールをゴールの方向に飛ばすという、2段階の学習が必要で、けん玉よりもかなり難しくなっています。人間がやってもなかなかうまくできない作業です。これらの作業をロボットに行わせる試みを通じて、新しい脳のモデルの構築や、理論的理解のために少しでも貢献したいと考えています。



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