


代表取締役社長就任にあたって
(株)国際電気通信基礎技術研究所 代表取締役社長 三浦 一郎
去る6月21日に開催された株主総会・取締役会でATR-Iの社長に就任いたしました。研究所関係の仕事に携わるのは初めてであります。郵政省の(旧)電波監理局審議官の時、電波研究所(現在の通信総合研究所)の予算を手がけたことがありますが、これを以て研究所関係の仕事をやったことがあるというのは強弁に過ぎるでしょう。しかし、研究への関心とその重要性に関する認識は十二分に持っているつもりでおります。できるだけ早く仕事の中身を把握し、速やかに対応していきたいと心がけております。
ATRの事は、設立の頃から、多少、耳にしておりました。
私は、昭和57年から58年まで、僅か1年でありましたが、近畿郵政局長として在勤いたしました。その時、関西財界関係の会合に時々顔を出させて貰いましたが、当時の関西財界の最大関心事、最大テーマは、関西経済の地盤沈下ということでありました。私は戦前に小学生時代を送った者でありますが、その時の教科書には、水の都、煙の都として活気溢れる大阪が紹介されていたのを記憶しています。その大阪を中心とした関西経済は当時の日本経済全体を牽引していたと言えるでしょう。
然るに、戦後の日本経済は、政府の主導する関東経済に重点が移り、民間主導型の関西経済の比重は転落を続け、私の着任頃には、関西経済は、関東に対抗するどころか、日本の一ローカル経済圏に過ぎないものになっているという危機感がみなぎっておりました。そのため、関西財界の各会合で、関西経済再浮上のための議論が活発に行われ、様々のプロジェクトが提案されておりました。それらのプロジェクトの中から実現に移された大きなものの一つが関西国際空港であり、他の一つが、関西文化学術研究都市であったわけでありましょう。関西経済を活性化するために、ハードウェアへの投資だけでなく、知的なもの、根元的なものへの投資として、関西文化学術研究都市が構想され、実現に移されたことに、当時の関西財界の心意気が見えるように思います。
ATRは、電電公社民営化に伴う株式配当資金の活用によるものであり、それ自体は関西経済活性化に直接のつながりはありませんが、関西文化学術研究都市構想とのめぐり合いにより、政府と関西財界との思惑が一致してできた幸運な所産であると思います。
私自身は、ATRの創生には、関わっておりませんが、関西在住当時、関西財界の方々が、真剣に討議されたプロジェクトの所産の一つであるATRに勤務することになったことについて、当時の模様を懐かしさと尊敬の念を以て想起するものであります。
ATRは、本年3月、10周年を迎えたと承知しております。私としては、ATR以前の関西財界の各種構想の段階に触れたのみでありますが、ATRとしては、その設立に至るまでの経緯とその後10年に及ぶ研究の歴史とを持っているわけであります。今、私の手元に“ATRジャーナル10周年記念特集号”がありますが、この間における関係の方々のご努力とご苦心が、まざまざと浮かび上がって参ります。深い敬意を表するものであります。
しかし、研究所の使命は永久的なものであります。常に前進(Immer vorwärts)の精神を以て、独創的な基礎研究を着実に行うのが、ATRであると思います。ATRの一層の前進のために微力を盡くすべく皆様方のご協力をお願いするものであります。