結晶の切り口を変えたら新しいデバイスが見えてきた
−高性能なデバイスを簡単に実現−



1.はじめに

 従来の音声が中心であった通信が、「マルチメディア」のキーワードで代表される情報化時代を迎え、大きく変化しようとしています。マルチメディア情報は動画像などの大容量データを含むために、来るべきマルチメディア時代には、通信システムは大量のデータを高速に伝送、処理そして記憶することが必要となります。通信システムを構成するデバイスのより一層の高性能化、高機能化が求められることになります。デバイスの高性能化を達成するために、種々のデバイス構造上の工夫がなされていますが、一般にデバイス構造や製造工程が複雑化する傾向にあり、今後高性能化への障害になると考えられます。
 それでは、デバイス構造や製造工程の複雑化を伴わない高性能化の方法はないのでしょうか。従来の材料に比べ優れた物性を持つ新材料を用いてデバイスを作製することは一つの解決策です。しかし、デバイスを作製する上で、従来から蓄積された技術を活用できなくなる恐れがあります。もし、従来から一般に使用されている材料を用いて、しかも優れた物性を引き出し、それを利用することによりデバイスの高性能化や新構造のデバイスを実現できれば大きなメリットがあると考えられます。このような解決策の一つが当所で研究を進めている、半導体結晶の新しい切り口面を利用してデバイスを作製することです。

2.結晶面とデバイス

 通信で重要な働きをするレーザや超高速電子デバイスなどは、一般に、化合物半導体基板上に作製されています。GaAs(ガリウムヒ素)が代表的な化合物半導体ですので、今後はGaAsを中心に話を進めます。これらデバイスは、何層もの非常に薄い半導体薄膜の積み重ねで構成されており、デバイス特性は半導体の表面や界面そして薄膜の物性に大きく依存しているといっても過言ではありません。従来、デバイスは、結晶成長の容易さなどの理由から主にGaAs(100)結晶面上のみに作製されてきました。しかし、(100)面は技術的に成熟しつつあり、(100)面の新物性を発見し、それを利用してデバイスの高性能化を達成することは徐々に困難になってきてきます。
 それでは(100)面にこだわらずに特に実用上重要な(n11)面(高指数面と呼ぶ)を用いてデバイスを作製したらどうなるでしょうか。GaAsは、GaとAs原子から構成されているために(図1(a))、各結晶面は、それぞれ異なる原子配列、電子状態を有しています。このため、デバイス応用上重要な多層薄膜を成長した場合、界面や薄膜の物性までもが結晶面によって大きく変化し、(100)面より優れた物性や新物性が期待できます。即ち、高指数面の物性を活用することにより、デバイス特性の改善や新しい特性のデバイスの実現があり得るということです。少々話が細かくなりますが、GaAsの高指数面は、Ga安定化面がA面、As安定化面がB面と呼ばれて区別されています。高指数A面は、As安定化面である高指数B面や(100)面とは異なった性質が期待できるために、当所では、通信デバイスの高性能化を目指し、GaAs高指数A面のデバイス応用の研究を積極的に進めてきました。
 高指数A面の利用を考える上で結晶成長が困難であり、また物性の解明が進んでいないという基本的な課題がありました。当所では、これらの課題をステップを踏んで解決し、更に、通信デバイスとして重要な面発光レーザと超高速電子デバイスについて、(311)A面および(111)A面の特性を活かした高性能化を達成することができました。

3.面発光レーザの高性能化

 面発光レーザは、基板面から垂直にレーザを射出することから2次元アレーとして駆動できるために、大容量光通信、並列光信号処理、並列光インターコネクションなどへの応用が期待されています。しかし、実用化への技術課題として、多数個のレーザを基板上に搭載するためにレーザの低しきい値化が不可欠である、光伝送時の雑音を低減するためにレーザ光の偏波制御を実現する必要がある、などの課題が指摘されています。
 今回、初めて(311)A面上の面発光レーザの試作に成功し、高指数面を用いることにより面発光レーザの上記課題を解決し、高性能化が達成できることを実証しました(図1(b))。まずレーザのしきい値電流に関しては、価電子帯上部の状態密度が低減することにより、レーザ発振に必要な反転分布を低いキャリア密度で満たせるため光学利得の増大および低しきい値化が達成されます。試作した面発光レーザでは、従来の(100)面上のレーザに比べ約半分(160A/cm2)の世界最小レベルのしきい値電流密度を実現しています。また、レーザ光の偏波制御に関しては、高指数面上の量子井戸に発生する光学利得が、ある結晶軸方向のみに大きくなる光学異方性を利用しています。従来の面発光レーザが必要としていた偏光膜作製などの複雑な工程を用いずに安定な偏波制御特性を実現しました。このように、高指数面の優れた物性を活用することによりレーザの高性能化を簡単に達成しています。

4.横型トンネル接合トランジスタの実現
 トンネル現象を利用したデバイスは、超高速動作や多機能化が期待できます。特に、3端子素子であるトンネルトランジスタは、2端子素子のダイオードに比べ、応用範囲が大幅に増大するために、次世代のデバイスとして注目され、研究が活発に行われています。しかし、これまで提案されたトンネルトランジスタは、トンネル接合やトランジスタ動作に必要なゲート電極の形成工程が複雑であるなどの課題があり、製造が簡単で集積化に適した新しいトンネルトランジスタの出現が望まれていました。
 高指数面の利用は、新しいトンネルトランジスタを実現する上でも威力を発揮します。ここでは、高指数A面上のSi(シリコン)不純物を含んだGaAs層の伝導型が、結晶成長条件によりp型またはn型に制御可能である特長を利用して、製造法が簡単で集積化に適した新構造の模型トンネル接合トランジスタ(図1(c))を実現しました。
 横型トンネル接合トランジスタでは、横型のバンド間トンネル接合(急峻な高濃度p-n接合)やゲート電極の形成を容易にするために、GaAs(111)A面基板を加工して異なる高指数A面を有する台形状の基板を用います。この基板上に、ある結晶成長条件でSiを含んだGaAsを成長させると、段差基板の平坦部にはp型層を斜面部(平坦部と異なる結晶面になっている)にはn型層を一回の結晶成長で形成でき、簡単に横型のトンネル接合が実現できます。ゲート電極も、トンネル接合近傍に絶縁膜を介してゲート電極を乗せるのみの工程で実現できます。さらに、各電極は平面的に配置できるために集積化に適した構造となっています。
 現在、デバイス構造の最適化を進め、性能向上を図っていますが、作製が簡単で超高速動作や多機能化が期待できる横型トンネル接合トランジスタの実現により、トンネルトランジスタの実用化に一歩近づくことができたものと思っています。

5.おわりに
 ATRで取り組んでいるGaAsの高指数面に関する研究を、デバイス応用の観点から紹介しました。高指数面は、ここで述べた以外にも数多くの優れた物性を有していることが、最近の研究で明らかになってきています。デバイス分野ではSi材料とならんで一般化しているGaAs系材料ですが、当所が先鞭をつけた新しい結晶の切り口(高指数面)が、今後、魅力ある研究分野として注目され、さらに成長していくものと期待しています。



Copyright(c)2002(株)国際電気通信基礎技術研究所