親しみのもてるエージェント
1.エージェント:007か旅行代行業者か
私たちの社会は産業・文化の発達とともに生活様式が変わり、自給自足の社会から始まって、いまやお互いの専門作業に複雑に頼りあう構造となっています。タクシーの運転手、レストランのコックなどもしこういった専門家に頼らなければ、行き先を見つけるのに時間がかかったり、どこへ行くにも食事の用意を持っていかなければならないことになります。いや、もちろん、自分でドライブしたいとか、自分で作ったほうが安くて自分の好みにあった旨い料理ができるとか、自分に与えられた特技や特質を生かして喜びを見いだすこともあるでしょう。でも、自分の生活スタイルにとって重要でないこと、必要ではあっても自ら時間をさけないこと、あるいは、実は自分でしたいがスキルや知識がないためにできないこと等々、人間は多くを依存しあって生活するようになっています。
いま、「エージェント」なる用語が巷でさかんに使われるようになりました。それは女王陛下のエージェントでもなければ旅行代理業者のことでもありません。コンピュータの中で何か特定の処理や仕事(タスク)を任されたプログラムやシステムをそう呼んでいます。それをただの自動システムと呼ばないのは、ユーザがその仕事の進め方にいちいち気を配らないでも、人間的な知的作業をしてくれることを期待しているからでしょう。米国計算機学会の機関誌Communications
of the ACMは昨年、知的エージェントの特集号[1]を発行しました。その中には、ソフトウェア・エージェント」、「プログラミング・エージェント」、「教育エージェント」、「デスクトップ・エージェント」、「電子メール・エージェント」、「カレンダー・エージェント」など、利用形態によっていろいろな名前を付けられた知的エージェントが多く登場します。私たちは、コンピュータ上の知的エージェントに何をしてもらいたいのでしょうか?どう付き合っていったらいいのでしょうか?
2.外部脳による脳作業の分担と加速
いま、人間が直接するのでは到底不可能なことを可能にする機械について考えましょう。機械は、人間の能力を分担しあるいは能力を増大させることができます。たとえば電車や車の発明により、人は1日で数百キロメートル離れたところに行って、そこで人に会って話をしたり、物を届けられるようになりました。これはたとえ千人の人間で分担しても機械なしには不可能なことです。
コンピュータはいまや情報処理機械あるいは情報エンジンとして人間の脳における活動(脳作業)を分担し、脳力の増大に寄与できるほど発達してきています。コンピュータを外部脳と呼ぶ人もあります。私たちは、その正確な記憶力と計算力を基礎にした、脳作業の補助をする機械へと利用形態を発展させたいと考えています。
たとえば、企画やブレインストーミングなどで、同じ考え方の人が集まってもなかなか飛び抜けたアイデアはでてきません。専門や考え方の異なった人が集まることが相乗効果をもたらすのです。余談ですが、研究機関がATRのように国際的異質性をもつことは重要であるといわれます。集まった人の考え方や専門によって、話を合わせるのではなく、それと全く違う考え方や知識を持ったコンピュータ・エージェントに会議に参加してもらえば、議論が活性化されるのではないでしょうか?我々の研究[2]によれば、異質な連想辞書をもった門外漢コンピュータは、与えられたキーワードから意外性のある文章を提示することができました。私たちはそこから話題を転換し発想を広げていくことができるのです。
また、日常のコミュニケーションにおいて話が伝わらないことがよくあります。自分で整理できていないことやはっきりと自覚していないことを見えるようにする、すなわち思考を可視化することはコミュニケーションや思考作業の中で非常に重要な位置を占めるようになるでしょう。コンピュータグラフィックス技術によって、ミクロの世界や胎内の組織を可視化することが可能となり私たちが大きな恩恵を受けているのと同じことが予測されます。例えば、二人の思想空間の可視化によって、お互いがもっているイメージをすりあわせてコミュニケーションを活性化できるようになると考えられます[3]。
3.見えるエージェントと見えないエージェント
さて、コンピュータ・エージェントは自動プログラムとしてコンピュータの中で、ひっそりと仕事をしていればいいのでしょうか。スクリーン上にタイマーが出てくるとシステムが作動中であることがわかって安心するように、仕事中であることの掲示はヒューマンインタフェースとして重要です。エージェントに複雑な仕事をさせるほど、作業経過が概観できるほうが作業結果に対する信頼性が上がるように思います。すなわち、図に示すようにエージェントの作業内容も可視化してエージェントと人間のコミュニケーションを円滑にする必要があるでしょう。「電子秘書」[4]などの人間型のエージェントが好まれるのは、表情や動作を介して感情空間をわかり易く可視化できることにあります。ところが、人間型エージェントを表示することは人間の特別な能力を備えていることをユーザに期待させるのに、現在の知的エージェントは限定された機能しか持ち合わせていません。この不一致はインタフェースとしては好ましくありません。「ニューロ・ベイビー」[5]は赤ん坊の外観を持ち込んで内在する脳力と外観の一致を提案する一例といえます。
4.エージェントといかにつきあうか
人と人とのつきあいでは、残念なことながら、「ウマが合う・合わない」ということが生じます。ウマが合わない人とは本当にコミュニケーションが上手くいきません。どんな仕事をエージェントにまかせるにしても、親しみがもてて、付き合いたくなるような相手のほうがいいに決まっています。また、一貫性のある思考パターンはその行動の予測や理解が容易になります。それを実現するにはエージェントに何らかの個性付けをすることが必要でしょう。
エージェントは、人間の脳力を増大させる情報処理機械ですから、運転ミスにより自動車事故が起こるように、使い方を誤ると生身の人間は何らかの傷害を負う危険性があります。私たちは歴史に学んで、社会的な問題を引き起こさないよう、この機械の社会性を考えながら作っていく必要があるでしょう。また、機械はある程度使い方を練習するのがこれまでの習わしでした。人間が情報処理機械に依存する生活スタイルのなかで、機械利用の効果をあげるために、操作を習得し、人間側がある程度機械に適合することは必要となるでしょう。
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