


新しいパイの創造を目指して
国際電気通信基礎技術研究所 代表取締役副社長 葉原 耕平
これからの世の中で情報通信技術の占める重要性はますます高まって行くことと思われる。したがって、その先進性は国の将来をも左右し兼ねないと同時に、この分野での貢献がその国にとって世界から賞賛されるかどうかの別れ道になるとも言える。いまや、わが国は、世界の先進国の一つとして科学技術分野での大きな貢献が期待される立場にある。そして、基礎研究の重要性が叫ばれて久しい。俗にいう、基礎研究只乗り論からの脱却である。しかし、よく世の中で言われている程、わが国は後追いばかりしてきたのかというと、こと情報通信技術に関しては、私は必ずしもそうは思わない。私事にわたるが、かつて私自身世界の先進諸国と先陣を切ってディジタル交換技術の研究に携わらせていただいた時期があった。その結果、技術上の問題はその時ほとんど洗い出す事が出来た。その成果は国際標準化の研究などに十分反映でき、わが国として大いに面目を施す事が出来たと思っている。ただし、国内では、経済性の点で実用までに15年程も棚上げとなった。先進国の大人の世界では、このように早い時期での先端的研究には尊敬と敬意が払われることを、私自身体験してきた。
ところで、昨今とかくわが国が経済摩擦などで非難されるのは何故であろうか。もちろん多くの要因が考えられようが、その一つは、たとえて見れば、美味しそうに焼き上がったパイに後から群がって割り込むこと、そしてそのメンタリティである。このような行動は、苦労して新しいパイを作ったひとから見れば鼻持ちならぬ行動と映るに相違ない。そして、それは国際的な顰蹙を買う結果となる。これは、立場を変えて考えて見ればすぐ判ることであろう。
とすれば、これからの科学技術の研究開発は新しいパイの創造により力を注ぐべきである。それはしかし、容易なことではない。既存のパイに群がるのに比べて遙かに多くの知恵と努力を必要とする。ノウハウもないことから、上手く焼き上がるとは限らない。むしろ、失敗の連続かも知れない。しかし、それをやっていかないことには、これからの時代に向けて、国際的な尊敬を得ることは不可能であろう。加えていえば、昨今、知的所有権が国際的に大きな問題となって来ている。そのこと自身、ややいびつな感じがしないではないが、ここ当分かしましいであろう。ともあれ、既存のパイに群がるのに比べて、新しいパイの創造に努める方が、遙かに多くのより基本的な知見が得られるであろうことは、ほとんど自明であろう。このような先端的知見が実際に世の中で使われるまでには、一般的に時間がかかる。今度はわれわれの作るパイに後から来る人々群がってほしいものである。先進性を言うならそれだけの度量が必要であろう。それは、21世紀のわが国の果たすべき義務であるかも知れない。そのためには、パイはできるだけ大きい方がよい。あるいは、各種取り揃えて数が多い方がよい。
ATRは、発足以来7年を経て、いま再出発の大きな節目にある。振り返って見ると、ATRの目的と存在意義はまさに新しいパイの創造、より正しくはそのまた種の発掘にあり、またそのように努めてきたと自負している。ATRの性格から言えば、できるだけ数多くの新種や変わり種の提供がその使命かも知れない。思った以上に大きいパイに成長するか、期待に反してしまうかは判らない。とにかく手を汚してやって見ることが肝要である。いまは、まさに初心に返る絶好の時である。