図による概念表出の研究
ATR通信システム研究所 通信ソフトウェア研究室 田中 一敏
1.はじめに
人類は昔より、人と人との通信に、音声や文字の言葉、身ぶりや手振りの動作、絵等の種々の手段を用いてきましたが、電気通信の世界では、電話に見られるように言語情報を用いることが多いといえます。しかし、技術の進歩により、ファクシミリやパソコン通信のように通信の手段が多様かつ身近になり、意思疎通の手段として、今まで言語情報に比べて取り扱いが遅れてきた2次元の図形・画像情報を通信の手段として扱えるようになってきました。
ATR通信システム研究では、電気通信の分野で、図を人間の思考活動、意思疎通の手段として、活用していくことが重要だと考え、それを実現するために必要な基本技術の確立を目指して研究を進めています。
2.概念図と計算機による支援
図には、一目で全体がつかめる、いろいろな関係が表現しやすい、考えをまとめるときの下書きとしてよい、等の特徴を持っています。しかし、図を作成したり、修正したりするのが面倒です。逆に、言語は表出が容易であり、厳密な記述が可能で、書かれてある順に従って読んでいけば、理解が可能となりますが、一目では全体が把握できません。このように、図は人間の知的活動の道具として、言語情報と同様に、また、それと相互に補完し合うものとして、活用されるものといえます[1,2]。
ところで図といっても、機械製図、地図等のような物理的、具体的な図から、分類図、フローチャートのような論理的、抽象的な図まで種々のものがあります。そこで、後者の方、即ち人間が頭の中で考えた内容(=概念)を図化したもので、意思疎通・思考操作のために用いる図を概念図と呼び、これを研究の対象としています。
人間は、図を書く場合には、まず考えていることを整理し、次にそれにふさわしい図を考え、最後に、紙の上に描画します[3]。また、図を用いて頭の中を整理する場合には、種々の図形を試行錯誤的に書いて、その上で内容を明確にして行きます。この作業を計算機の支援により、効率よく行なうことを考えますと、図1に示すように、以下の3つのレベルが考えられます。
(1)図をきれいに書く(清書支援)
(2)内容を図の形にする(概念表出支援)
(3)内容自体を、図を用いながら明確なものにする(発想支援)
本研究は、頭の中の概念が明確で、図の形態も決まっていて清書するだけのも((1))ではなく、概念が明確であるが、それに対する適切な図を決定する必要があるも((2))を、さらに、次の段階として、図を操作する過程で概念を明確にしていくも((3))を対象とします。そこでは、概念と図との結びつきの解明が最も重要な課題となります。
当面はこの(2)を中心に研究を進めますがこれを実現する場合、
(a)書きたい内容である概念を計算機が正しく理解する。
(b)計算機が、受け取った概念を適切な図に変換する。
(c)この図に対して、修正を容易にさせる。
の3つを確実に実現しなければなりません。
(a)では、人が少ない語数の自然言語で指示した情報から、表出するべき内容を計算機が把握する必要があります。把握した結果を計算機内部で表現したものを意味記述と呼びます。
また(b)については、内容を表現する意味記述と具体的な図に対応する形状記述を結びつける変換の仕方を明確にする必要があります。また、図2に示すように、同じ意味記述であっても異なる形状の表現が可能です。
さらに、(c)では、図に対して直接に手を加えたり、変えたい内容を言葉で言うことにより、図を編集する際に、その図が表わす意味内容に応じて意味の記述、形状の記述の両方が同時に変わる必要があります(図3)。
なお、上(a)(b)(c)の各過程で、計算機が提供するものが、人の望むものと異なる場合があります。人は、これに対して新たな情報を入力したり、変更を加えたりしながら、図を完成させて行きます。そこで、計算機は、計算機自身が持っている図と図に関する知識の組合せと、人が描画する図のそれとの違いを検出し、それを取り込むことにより、計算機の能力が更に高まります。このような学習機能を持たせて行くこともねらっています。
3.計算機支援のための図の記述法
前章で述べたように概念図の表出では、図を意味の面と形状の面とに分けて記述し[4]、意味記述から形状記述に変換することが重要です。以下にその内容について述べます。
(1)形状の記述[6]
・具体的に形として表現され、ひとまとまりの意味を持つものを『ノード』、ノード間の関係を形として表現されたものを『アーク』と呼び、それらを用いて記述します。・さらに、ノード群、アーク群はなんらかの約束ごとによって描画されています。この約束事には、
・複数のノード群を同じ形状とする。
(例:同じ大きさの矩形を書く)
・複数のノード群を規則的に配列する。
(例:円周上に等間隔に並べる)
・包含、接合等特殊な位置関係で書く。
(例:入れ子、内接、外接など)
・複数のアーク群を同じ形状とする。
(例:同じ太さの矢印を書く)
・複数のアーク群を等間隔に配置する。
(例:等間隔で並行に書く)
等があります[5]。これを記述することにより、移動、変形等の繰り返し編集作業を容易に実現することが可能になります。なお、この約束ごとは(3)で述べる意味記述から形状記述への変換によって生成されます。
(2)意味の記述[6]
図の意味記述は基本的に図の形状と独立なものですが、本研究が概念を図の形に具体化することを主題としていますので、形状記述に近いものから記述の実現を図っています。具体的には、
・概念の世界ではひとまとまりの意味を担う『意味要素』及びそ『要素間の関係』が重要な情報であり、従ってこの2つを用いて意味記述を行う。
・『要素間関係』が描画時の図の形状を決める主要な要因であり、図4に示すような観点で分類・整理を行っています。
また、編集時の形状を決める要因として、他の意味要素が削除されたときに自らの意味要素も消えるか独立に存在するかという意味要素の存在可否の他者依存性を記述します。これにより、図3で述べた処理が可能になります。
(3)意味の記述から形状の記述への変換
意味記述の意味要素、要素間関係から形状記述のノード、アークに変換する場合、
・ 要素間関係をどの様な構造で記述するか
(要素間関係のうちの直接的関係の処理)
・ 要素の属性をどの様なノードで表現するか
(要素間関係のうちの間接的関係の処理)
の手順で、形状の記述を得ます。
これを容易にするための一実現方式として、ルール形式で変換処理を記述することを考えています。
さらに、こ(1)〜(3)の確立のために以下の検討が必要と考え、鋭意進めているところです。
(a)ひな形の収集、分類
概念とそれから想起される図とをひとまとめにして『ひな形』と呼ぶことにします。これを蓄積することにより、伝えられた概念を適切なひな形の組合せによる図へ変換することが可能になります。現在までに、約1,000枚の図を分析して数十種のひな形の抽出を行なっています。図5にこのひな形の抽出と概念指示語からの選択のイメージを示します。
(b)言語情報の収集、分類
図の意味記述を行ったり、ひな形を適切に決めるために概念指示語を計算機に伝えたり、作図・編集する際の編集結果が望む結果になったりするためには、それぞれで用いる言語情報の意味を把握する必要があります。そこで、意味記述を行うために図中で使用されている用語を、概念指示語のために形状を示す語及び図の表題に使用されている単語を、編集のために形状を修飾する用語を収集・分類しています。
4.おわりに
当研究所で現在進めている概念図の表出についてその概要と研究内容について紹介しました。
現在は、階層構成図を皮切りに、意味記述、形状記述を行い、各種編集操作のメカニズムの実現を図っています。この研究を更に実効あるものにするためには、大量の図形、言語情報、人間の図作成・修正時の振舞いに関する知識が必要であり、収集図形や言語情報のデータベース化と効率のよい検索方式の検討を進めています。
さらに、(1)学習のための知識ベース、(2)図形の形状記述における規則性、意味と形状との結びつきの相関等を体系化するものとしての図形文法、(3)図に対する美観・感性等の問題、(4)通信ソフトウェアの自動作成における要求仕様概念確定フェーズへの反映・組み込みについて、検討を進めていく予定です。
参考文献