TR-H-0207 :1996.12.19

渡邊洋, Frank E. Pollick, Jan. J. Koenderink, 川人光男

3次元表面曲率の脳内表現に関する心理物理的研究

Abstract:ヒトは日常生活の中で眼という感覚器を用い、高い精度で外界のさまざまな対象を識別し、それらに対してアクションを加えている。何がどこにあるのかを確実に知ることができるし、それがどのような形状をしているのかも簡単に認識できる。だがこのごく自然な現象を実現するメカニズムを理解することは非常に難しい。視覚システムヘの入力情報は光学的な過程を経て網膜に投影された2次元画像であり、それ自身は何ら3次元の情報をもっていない。したがって、われわれ(の脳)が3次元情報を必要とする認識や行動を遂行するために視覚システムがなすべき仕事は、1次元の情報が欠落している2次元画像からもとの3次元情報を復元する作業となる。

このプロセスにおいて重要な考え方が視覚システムのモジュール性という概念である。視覚系によって脳内に取り込まれた外界の情報が第1次視覚野以降、視差、陰影、テクスチャ、色、運動などのモジュールに分解されて処理されるという考え方はMarr(1982)以来の視覚研究の大きな枠組みとなっている。そしてそれらのモジュール構造の存在を示唆するデータは心理学的にも、生理学的にも多数紹介されてきた。しかしこれらの知見は、画像の持つさまざまな物理特性が脳内のどこで処理されているか、あるいはモジュール間の結合がどうなっているのかについてのものであって、処理された後の情報が何を意味しているのかについての答えを示すものではない。

Marrが要約した初期視覚の目的「縮退した2次元清報(網膜像)から3次元の構造を復元すること」における、「復元された3次元の構造」が何であるのかについて今だ一致した見解は得られていない。「3次元の情報」とひとくちにいっても、対象までの距離、観察者に対する空間内での対象の向き、対象の形状といったようにさまざまな表現を取り得る。奥行き、方向、曲率といった定量的な表現の他にも、Gauss曲率の符号やshape indexによる局所形状の名義的な記述、あるいは近接するポイント間での奥行き順序関係による構造による記述など多様な表現の可能性がこれまでに提案されている。このように多様な表現を考えなければならないのは、定量的な表現と定性的な表現が各々3次元構造を記述するに当たって長所と短所を持っているためである。

ここで問題は次の2点に要約される。1)ある特定の表現だけが脳内で面の表現として用いられているのか、それともいくつかの組み合わせになっているのか。これは脳内における本質的な面の表現は何かという議論に相当する。2)その表現が一般用途のものであるのか、つまり、すべての目的に使える視覚表現が脳内に存在するのか、それとも遂行すべき課題に応じた多様な視覚表現が存在するのかといういわゆるタスクスペシフィックビジョンの問題である。

定量的な表現について考えると、奥行き、表面方向、曲率という三つの表現は各々微分積分によって相互に変換することができる。ならば脳内でまず一つの表現が計算されて、そこか ら微分、積分によって他の表現が求められるのか、画像特性から直接必要とされる表現が求められるのかという疑問が生じてくる。この観点から先に挙げた1)と2)の問題は関連づけて考えられるべきものであるといえよう。 ではこの議論に役立つようなデータを与えてくれる実験パラダイムにはどのようなものがあるだろうか。表面の脳内における表現を明らかにしようとする心理実験では、ほとんどの場合面に与える視覚手がかりを変化させて、被験者にある一つの表現の反応を求めその精度を吟味するものだった。中でも曲率の表現については、ほとんどがマッチング課題や調整法を用いたデータを使った議論であり、定量的なデータを直接扱ったものはない。また単一の表現からの微分積分によって他の表現が得られているかどうかという問題についても、一つの面に対して異なる表現を判断するような複数の課題を課し、一方のデータパターンから他方のデータパターンの予測可能性を議論する方法が一般的である。

本論文は定量的なデータが得られていない3次元表面曲率の脳内表現について心理物理学的な手法を用いて検討を行うことを目的とするものである。