話しことばの仕組みに基づく外国語学習支援



人間情報科学研究所 マルチリンガル学習研究室 山田 玲子



1.はじめに

 話しことばによる外国語運用能力を習得するには、読み書きだけの知識では不十分です。意味内容を伝える記号の列、例えば「It is a cloudy day, isn't it? 」という文章を聞いて理解するには、/itizaklaudideiizntit/ という発音の列から単語を同定し、内容理解につなげなければなりません。また、上記の文章を発音するには、どのように発音するのか知らなければ、相手に伝わるようにしゃべることができません。効果的な外国語学習方法を開発するには人間の音声情報処理の仕組みを考慮する必要があることは間違いないといえます。
 音声は脳内で、音韻処理(母音や子音)、意味処理、韻律処理(リズムやアクセント)、統語処理(文法)などの複数の階層で処理されます。私たちは、音韻、韻律、意味に着目し、それらを音声基本モジュールと仮定し、モジュール間の関係を探ることや、それぞれの学習に適した年齢の解明などの研究を通して、効果的な学習方法の開発を行っています。
 そして、このような研究を進めるにあたり、仮説をたて、その仮説を学習実験によって確認し、発展させるという手法を用いています。例えば、「音韻聞き取りモジュールができれば、発音も上手になる」といった仮説に対して、RとLの聞き取り訓練を実施し、その前後で発音が上手になったかどうか測定する、といった具合です。(実験結果は、YES、つまりRとLの聞き取りの訓練によりそれらの音の発音も上手になることが証明されました。[1]
 学習過程を知る研究と、効果的な学習方法の発見とは、実は表裏の関係にあります。学習の過程がわかれば、訓練効果を上げる方法が明らかになり、効果的な学習方法を開発すれば、学習研究が効率良く進むからです。したがって、私たちの研究は学習方法の改善と共に進んでいるともいえます。以下に、このような研究から明らかになった点を2つご紹介します。

2.語彙の習得と音声基本モジュール
 人間は長期記憶の中に語彙に関する情報を蓄えています。その情報には、音韻情報(発音を母音や子音の連鎖で表現した情報)、形態情報(綴りに関する情報)、意味情報(概念情報)、統語情報(品詞や用法など文法情報)などが含まれていると考えられます。あたかも脳の中に辞書を持っているかのようなので、この記憶情報の集合体はメンタルレキシコン(心的辞書)と呼ばれています(図1左)。外国語を学習する際には、母語とは別にその学習言語用のメンタルレキシコンを形成することになり、脳の中には、複数の辞書情報が蓄えられます。
 この外国語メンタルレキシコンの形成において、音韻情報の果たす役割を考えてみましょう。例えばRとLの音を聞き分けることができない英語学習者は、語彙を学習する際に、単語の中に含まれるRとLの音韻情報を混同してしまいます。そのため、“fright(恐怖)”と“flight(飛行)”といった二つの単語の混同が生じます。
 語彙の学習というと、意味概念の関連したもの同士の混同が課題になりがちですが、中学校から高校程度の頻出単語を用いて大学生の語彙の混同を測定してみると、意味的に関連した単語同士の混同より、音による混同(つまり、“fright”を「飛行」と回答するなど)の方が頻繁に生じることがわかりました[2]図1右)。一方、音の違いに着目して単語を学習する訓練の効果が大きいことも明らかになり[3]、語彙学習において音韻情報が鍵になることが示唆されました。

3.文脈と音声基本モジュール
 RとLで異なる単語、例えば“fright”と“flight”を聞き分けられなくても、前後の文脈で判断できるから問題ないという意見があります。単語の認知に文章がどのような影響を及ぼすか確認してみました。文章の持つ文脈は、音の連鎖が加わることによる音響的文脈と、文章の全体的な意味による意味的文脈に分類することができます。単語を単独で提示した場合(Ex.“flight”)、前後の文章から単語を特定できないような意味的中立文に挿入した場合(Ex.“How would you say flight in your dialect.”)、単語を特定できる有意味文に挿入した場合(Ex.“It is a long flight to North America.”)の、3つの条件における単語聴取の成績を比較したところ、成績は、意味的中立文中<単語単独<有意味文中の順に高くなりました。つまり、音響的文脈は単語知覚を阻害し、意味的文脈は単語知覚を促進したのです(図2左)。
また、有意味文ばかりを用いて聴取訓練をすると、意味的な文脈を使うことが強く促進され、音から判断するような学習は進みにくいことも明らかになりました(図2右[4])。

4.まとめ
 上記のふたつの結果は、外国語の学習において、音声の基本モジュールのひとつである、音韻モジュールの訓練の重要性を示唆しています。同様に、別の実験からは韻律情報が意味の混同に結びついていることも明らかになっています。このように、音韻情報、韻律情報、意味情報は、外国語の学習の仕組みのなかで強く関連しており、知覚と生成といった側面も併せた研究を継続することにより、人間の音声学習の仕組みに基づいた効果的な外国語学習方法を確立することができます。

5.おわりに
 本研究で使用した訓練システムやプログラムの一部は、ATR CALL システムという外国語学習ソフトウエアとしてまとまり、いくつもの学校で試用されるとともにフィールドデータを収集しつつあります。
 基礎研究の成果を応用に結びつけるのは容易ではありません。応用を困難にする要因として、適した市場があるかどうかという問題もありますが、研究成果のみを追求してしまいがちな研究者の側にも問題があります。この場を借りて白状すると、私自身、以前は研究者は応用など考えるべきではないという頑固な基礎研究偏重主義すら持っていました。
 しかし、幸いにも各方面の方のご支援のもと、ATR CALL システムは多くの英語学習者に愛用されるに至り、この研究に関わる研究室のメンバーもそのことを肯定的に受け止めています。私はというと、自らの研究テーマの解明にしか興味がなかったことを強く反省しています[5]
 反省と同時に、基礎研究の大切さも実感しました。基礎研究は、一、二年先という短期間で役立つものではなく、十年、二十年、あるいはもっと先に役立つかもしれないことを扱います。学習機構のひとつひとつの要因をつぶさに厳密に統制された実験で調べあげていくには、十年以上の時間を要しました。しかし、その間に蓄積した実験結果、資料、知見は膨大です。教材の開発を目的として研究をしていたのでは、付け焼き刃的解決方法しか提示できなかったと思われます。メカニズムを根本から理解しようとする姿勢と、データの豊富な貯蓄があったからこそ、一般に還元できる環境が整った時にすぐに応用をはかることができたといえます。自ら応用展開に関わったことで、実用化研究と平行してどれだけの基礎研究をしておくかが、その国の科学技術の将来を決めると実感するに至りました。
 今後、これらの経験と、さらなる研究を通して、より効果的なマルチリンガル能力の育成に貢献する基盤技術の創生を目指したいと考えています。


参考文献