
研究と開発 −私の判断指針を明かす−
(株)ATR国際電気通信技術研究所 顧問 葉原 耕平
私はこのシリーズの一回目(ATRジャーナル26号)で基礎研究の定義は不可能に近い、またそのマネージの常道も考えにくい、と述べました。とはいうものの研究は日々進みますし、場合によっては私の立場からの助言や方向付けも必要でした。そういうときに私なりの規範、判断基準がなかったわけではありません。なかなか奥深く難しい問題ですから私の意図が思うように表現できるかどうか自信はありませんが、今回はそういう事柄のごく一部について述べてみます。言い古された硬い表題で恐縮ですが・・。
(1) 研究と開発・実用化の違いの一側面― 「研究は展開」「実用化は収束」
私には研究と開発・実用化の違いという大きな課題に真正面から取り組む能力はありませんので、側面からいくつかの考えを述べてみます。私の考えでは研究と実用化は「一つの路線の延長上にある」場合と「研究は展開、実用化(あるいは開発)は収束」という対極的性質を持つ場合に大別され、現実にはそれらが複雑に絡み合っているように思います。以下、それを少しブレークダウンして述べてみます。
(2) 「研究実用化は連続線上」の立場
これは常識的に比較的分かり易い考え方かと思います。研究の結果がうまく行けばそれを製品(広い意味で)に結び付けよう、というものです。しかし、それは口で言うほど簡単なことではありません。私はよく「基礎研究としては、まずは小さくてもいいから千枚通しで孔を穿けて先が見えるようにするように。むこうから光が見えればまずは万歳だ」と言いました。次はその孔を広げる作業です。この辺りからが研究から実用化へのつなぎです。前者はどれくらい突き通せば孔が貫通するのか、未知故に予測し難い困難性を抱えており、それはそれなりに大変で苦労が伴いますが、ここでは触れないでおきます。
問題はその孔を広げる作業です。その孔は十分実用に耐えるよう大きくなければ意味がありません。千枚通しで穿いた1ミリほどの孔を何センチにも何十センチにもしなければならないかも知れません。しかも、その過程は直ぐ後で述べるように普通は生易しいものではありません。もう一つ、孔が穿いたからと言ってとんでもないところに穿けてしまった場合は却って後で孔を広げるのが極めて困難となる場合があります。これが後々基礎研究のセンスのよさ、筋のよさを問われる所以(ゆえん)でもあり、別な孔を穿け直す方が筋がよくて早い場合さえあります。
実用化に当たっての作業は時として想像もつかないくらい膨大な労力を要することもあります。原理が解ることと、それを基にした製品なりサービスが実現されることは月とスッポンほどの大きな隔たりがある、と思う方が普通です。例えば秒速8kmで物を水平に投げれば地上に落下することなく地球を周る、ということはニュートン力学から自明です。しかし、それが実際に人工衛星に結実するまでいかに多くの労力と時間を要したことか。これは極端な例ですが、基礎研究者はしばしばこれに類した「原理が解ったからあとはモノにすればいいだけだ」という短絡的な考えに陥る危険を孕んでいます。この辺の事情が実はアカデミックな基礎分野の研究者にはあまり理解されないことでもあります。しかし、原理が分かってなければ人工衛星が実現しなかったのも恐らく確かでしょう。この両者の隔たりに日本に対する「基礎研究ただ乗り論」の相互無理解の一因があるのかも知れません。
(3) 「実用化は妥協と収束」
実用化というのは、私の考えではそれに先立つ研究で展開された諸要因について妥協し収束させていくことです。実用化は「世の中での使用に耐え、有用で具体的」な製品やサービスに結実しなければなりません。その目的に向けて多くの設計要因について個々に値が決められ、それらが総合されて製品になります。その過程で要因1と要因2が矛盾する性格の場合もありますが、それでもどこかにそれらの妥協点を見い出さねば製品にはつながりません。こうして妥協点を見い出しても別な要因3と突き合わせるとまた相容れない、そこでまた少しずつ揺さぶって妥協点を探る、ということが次々に起こり得ます。俗に言う「擦り合わせ」です。こうして妥協を重ねながら製品に収束させていくのです。
さらに現実に事情を難しくするのは、設計に当たって拠り所とすべき基礎データが必ずしも十分ではないという場合がある、いやむしろこういう場合の方が多い、ということです。また、とくに大きなシステムの場合、個々の要素技術、例えば部品類はそれこそ日進月歩で進歩する場合がありますが、だからと言って常に最新のものを採り入れようとすると全体に齟齬をきたして期限に間に合わなくなる、ということも起こります。したがって、ある時期に部品技術について凍結することが必要で、それらは指揮官の最大の判断事項の一つでもあります。さらに、拠り所とするデータがないという理由で止める訳にはいきません。何らかの値を決め、何らかの方策を採らねばなりません。典型的なのは将来の消費者ニーズが分からないまままとめ上げねばならない、などです。これはリーダや設計者の経験や勘などのセンスが問われる部分でもあり、また後世の批判の対象ともなり得る実にシンドイことであります。実用化とは期限に合わせて何が何でもまとめ上げる、つまり収束が最大の課題と言っても過言ではありません。
(4) 基礎研究の局面― ブレークスルーとはなぜ実用化のことをくどく述べたか、それは基礎研究はある意味でその対極にあるからです。実用化には上述のように様々な制約があります。呪縛といってもいいかも知れません。その中で血みどろの努力が傾注されるわけで、それだけ大きなハンディキャップを背負っているとも言えます。それに対して研究、ことに基礎研究はおよそそういう意味でのハンディキャップがありません。したがって、そのような相対的な利点をいかに自覚して効果的に活用するか、それが問われることになります。
その一つは、最初から収束を考えることは必要がない、むしろどんどんと展開していかねばならない、ということです。しかしそれは後で実用化に際して有益な科学技術的な根拠を提供するものでなければなりません。それには大別してブレークスルーを求めることと汎用性を求めることの二つの側面があるように思います。
単純化したモデルで考えてみます。例えば要因Aと要因Bはお互いに相反関係(あるいは反比例)にあるとします。RAはすでに達成されている両者の関係です。基礎研究に求められる一番大きい目的の一つは図で言えば曲線RBを実現する新しい方法を見い出すことで、これがブレークスルーに相当します。最初はワンポイントB0だけでも十分です。これは千枚通しで孔を穿けることに相当します。こうしていったん曲線RBの実現可能性が示されれば、次にはそれを点線上のB1、B2のように汎化できる可能性が明るくなり、多くの有用な知見が望めるかも知れません。
ここで、基礎研究の立場では自ら曲線RB上に多くの点を求めても悪くはありませんが、それ以上に重要なことは、世の中の現象は多かれ少なかれ何らかの限界がありますから、それらの限界とその理由を先回りして指し示すことです。これによってその現象なり理屈に汎用性が出てきて、例えば装置設計者はその許された範囲で要因Aと要因Bのトレード・オフを利用して設計値をB1にするかB2にするかを決めることができます。設計者の腕の見せ所で、開発担当者としては現実には大切なことです。
以上を簡単にまとめますと基礎研究に大切なことは、まずはブレークスルー、そして限界の解明、汎化です。これらのどの思想に沿っているのか、それが私が個々の研究の中身を見るときの判断・評価の一つの重要な要素でした。時にはどっちつかずで意図不明なものも正直ないではありませんでしたが。