現実を超えた通信


(株)ATR知能映像通信研究所 代表取締役社長 中津 良平



 知能映像通信研究所は設立以来4年目を迎えた。研究所の目標の1つに、「現実を超えたコミュニケーションの実現」を掲げている。これはなかなか理解しにくいコンセプトらしく、「具体的に何をめざしているのか」との質問をよく受ける。もう少し物分かりのいい(?)人は「バーチャルリアリティ(VR)を使った通信のことですね」と納得顔になってくれる。この目標は設立時に当時の国際電気通信基礎技術研究所葉原副社長の助言により取り入れたものであるが、当時は私自身も「VRを用いた通信」程度の具体性しか考えていなかった。その後、現実を超えたコミュニケーションとは何か、さらにはリアリティ、VRとは何かなどと考えていくと、これが、奥の深いコンセプトであることに気が付き始めた。
 実は、知能映像通信研究所発足の直前である平成7年1月にあの阪神大震災が勃発した。当日の朝、新幹線が止まり足止めされたまま東京の自宅で、震災直後からリアルタイムで送られてくる生々しい映像を見て、被災地の状況が分かりながら被災地の人々を助けることができないという無力感を痛切に感じた。これまでのVRの大半は圧倒的な現実にはとても及ばない、それを何とかできないかというのが率直な考えである。これは、現実に立ち向かいそれを超えることが可能な技術をめざすという考え方に結び付く。具体的には、本当の大地震を体験できるVRが実現すれば、災害の際のシミュレーション、心理的対応などが可能となるであろう。これが現実を超えたコミュニケーションの1つの側面である。しかし、VR技術だけで震災のような大災害に対処することは困難であろう。環境適応通信研究所がめざす災害に強いネットワークなどとの連携プレーが必要である。
 その後もリアリティ、VRとは何か、従来の技術を超えるVRとは何かなどと考えていたが、日曜の夜、単身赴任先に戻る新幹線の中で単身赴任がVRそのものであるということに気が付いた。VRを身を持って体験している人間がVRを研究するという皮肉には思わず笑ってしまったが、考えてみれば、単身赴任、出世競争、親子の断絶、いじめなどは本来はあってはならないもの、すなわちバーチャルなものと考えることができる。VR技術が発達すれば、在宅勤務が通常のものとなり単身赴任という形態は消滅するのではないか。その結果、家族の絆が復活し、ひいては、親子の断絶、いじめなどが減少するのではないだろうか。言い換えれば、VR技術の進歩により、ビジネスにおける仕事の進め方の大部分がVRを活用して行なわれ、人間の本来の生活である個人生活、家庭生活に重点を置くことが可能になる。ここでは、「現実を超えたコミュニケーション」は、現在の歪んだ現実を健全な現実に引き戻すことを意味している。これも現実を超えたコミュニケーションの可能性の1つである。余談であるが、単身赴任がVRであるという考え方はかなり気に入っているが、拡張しすぎると会社そして社会全体がバーチャルである、さらには自分の家庭生活もバーチャルではないかという考えに行きついてしまうため、深刻派の方にはあまり深く考えることはお勧めできない。
 さらに現実を超えたコミュニケーションは別の側面も持つ。学生時代に、小説を読み耽った時期があるが、小説の持つ力は何といったらいいのだろうか。特に、名作と言われる小説を読んでいる時の没入感。これに比較すると現在のVRはまだお粗末なものと言わざるを得ない。東京大学の原島博先生が「30分間メディア」と急所を突いた表現をされているが、VRを30分間メディアから脱却させ、人をその中に取り込み新しい体験をさせ、それが従来の小説、映画などを超えた新しい体験(これは従来の小説、映画などのメディアにおける受動的な没入感に対して能動的な没入感といえるかもしれない)につながるところまで持っていけないだろうか。VRはその潜在能力を持っていると信じる。さらにはネットワークでつながれた世界各地の人がネットワークの中に作られた仮想空間に集まり、そこで新しい体験をして相互の新しい絆を作る。これは従来のメディアを超えた新しいメディアとなるのではないだろうか。ここでは「現実を超えたコミュニケーション」は、従来の通信を超えた新しい通信メディアを作り出すことにつながると考えられる。
 以上のように、「現実を超えたコミュニケーション」という概念は一見抽象的に感じられるが、実は非常に広い概念を含んでおり、将来の通信のコンセプトとして適切なものといえる。知能映像通信研究所のプロジェクトも後半に入るが、このコンセプトを明確に具現化したシステムを作り上げることをめざしていきたい。