これまで2回に亘って多少堅苦しい話しをしましたので、少し話題を変えます。本号がお手元に届くのは暦の上ではもう秋で菊花香る季節も間近ですので、今回と次回は菊に縁の深い皇室の話しをします。皇室とATRの係わりのハイライトは何と言っても1991年5月の天皇・皇后両陛下のご来訪で、引き続き1993年4月秋篠宮・同妃殿下のご来訪、1994年9月京都でのITU(国際電気通信連合)全権委員会議に並行して開催された電気通信展での皇太子・同妃殿下のご視察と三度にも及び、いずれも後で述べるように便乗型ではありましたが、小さな組織にしては異例と言っていい程の多さです。以下順を追ってエピソードをいくつかご披露します。今回は天皇・皇后両陛下のご来訪の話題です。
(1) ラッキーなタイミング
まず1991年5月の天皇・皇后両陛下のご来訪ですが、これは京都府宇治市での全国植樹祭を機会に実現したものでした。全国植樹祭は各都道府県の持ち回りですので、一つ一つの都道府県にしてみればざっと50年に一度しか巡ってこない出来事です。したがってどの自治体もその機会に一番の目玉をご視察願うのが通例で、京都府の場合それはまさに建設が始まったばかりの関西文化学術研究都市であったと思われます。その中で研究機関として唯一完成していたのがATRであったというわけで、いうなれば自動的に決まったものと推察しています。これがもし数年早ければATRはまだ出来ておりませんし、数年後であればいくつかの(しかも比較的公的な)機関が完成しており、それらの中からATRが選ばれたかどうか、また限られたご視察時間内では甲乙つけがたく、共倒れになったやもしれません。自ら言ってしまっては実も蓋もありませんが、何もないところに始めて落下傘降下して苦労したATRですから、このようなご褒美に預かってもばちは当たるまいとは思うものの、まことに僥倖かつ名誉なことでした。当時ご健在だった花村前会長は、ことある度に「余程しっかりしたところでないとこういう名誉なことにはならない。ATRが認められている証左だ」と言っていらっしゃいました。

(2) 周辺の動きと変化
さて、現実にご視察が近づくにつれ、ATRのみならずまわりは何となく慌ただしくなってきました。まず目に見えて変わったことは周辺の道路の整備が一気に進んで当日が迎えられたことでした。それまでバスのすれ違いさえ難しい昔ながらの道しか無かったのが、今のATR周辺に見られる立派な道路が概ねその全容を見せました。これは勿論住宅都市整備公団はじめ多くの関係機関の方々のご尽力のお陰ですが、私のような素人には正直なところ一週間前でもこれで大丈夫だろうかと気を揉んだものでした。それから行事の主体が大規模な植樹祭であったことから、警備には全国から大勢の警察官が集まり、ATR最寄りの駅周辺でも例のねずみ色のバスを停めてそこを拠点に勤務している警察官の方々が見られたり、警察官が道を尋ねるといった微笑ましい光景も見られました。また事前段階でのATR自身の警備はほぼATRの自主性に任されました。これは勿論何度にもわたる下調べの結果ですが、お願いしている警備会社などが日頃きちんとやって頂いてきたお陰で、ATRにとっても名誉なことでした。
警備といえば、行幸日程の詳細は最後まで公表されずATRでも関係者限りで準備を進めたのは当然でした。私事ですが、私はある日帰宅しますと、知らない筈の妻から「ATRに天皇陛下がお見えになるんですって?」と聞かれ大変驚きました。「誰から聞いた?」、「今日交番の方が、お変わりありませんかって台帳もって調べに見えたから、いろいろ話してたら、ATR今度は大変ですねって言われて、何のことですかって聞いたら、あっ、天皇陛下が来られるの奥さんご存知なかったんですか、これはまずかったかな、と言ってたわよ。本当なの?」ということがありました。警察がそれとなく近隣の警備に気を遣い、地道に努力されていることをあらためて認識したことでした。
(3) ご視察本番とノウハウ
肝心のご視察については、限られた時間の中で何をご覧にいれるかは随分考えました。多くの場合実演を伴うのがご理解頂き易い。当時ATRの目玉の一つは臨場感通信に向けた立体表示技術で、3D眼鏡とデータグラブ(このデータグラブ購入のエピソードは10周年記念特集p.44)で対象の3D映像をほぼ実時間で自由に操作出来る技術が出来ており、日常見学の方々から好評を博していましたので、これも候補の一つに考えました。ところがこれは3D眼鏡をお掛け頂かねば面白味は殆どありません。幸い、日裏前社長のお骨折りでさる筋に内々打診して頂いたところ、それはとんでもないということが分かり、断念しました。何でも眼鏡などは髪のセットを崩す危険があるとのこと。これは大変なノウハウでした。そんなこともあり実際にはニューラルネットワーク(神経回路網)技術による手書きのひらがな認識と自動翻訳電話技術の二つをご視察頂くこととしました。勿論、いずれも当時の最先端技術でした。手書きのひらがな認識では、青木千里研究員による実演に加えて陛下御自身でのご体験をお勧めして見ました(これは眼鏡の一件もあり、その筋からお叱りを受けはしまいかと本当はおっかなびっくりでした)。が、案ずるより生むは易し、「書いてみましょうか」ということになりました。そうは言うものの「何でもご自由に」と申し上げるのも選択肢が多過ぎ、また一つに限るのも失礼であると考え、「たとえば“へいせい”とか“へいわ”などいかがでございましょうか」と申し上げたところ「それでは“へいわ”と書いてみましょう」ということになり、結果は勿論きちんと認識できました。白状しますと、研究者の努力に万全の信頼をおいてはいたものの、敢えて難しい字をお勧めすることもあるまいというのが正直な気持ちでした。陛下のお人柄を想像して、御自身の“へいせい”より多分“へいわ”をお選びになるのではという読みも的中しました。実は“へ”も“い”も比較的易しい文字で、ついでに、お書きになっている時「“わ”はしばしば“れ”と紛らわしいこともございます」と申し上げますと「ああ、なるほど」といったご納得の表情だったことを覚えております。結果が成功裏に終わった時「大丈夫でした」とおっしゃり、また天皇陛下が皇后陛下に「あなたもどう?」と勧められ皇后陛下が「いいえ、私は・・・・」とやんわりご辞退になったのも、失礼ですが大変微笑ましく拝見しました。お書きになった用紙はその直後、主管の淀川社長から直ちに侍従の方にお渡ししました。これは「ご真筆は残してありません」という意志表示の積もりで、案の定、そのままごく自然にお受け取り頂きました。
この実演には後日段があります。あるパーティーの場で、京都府知事の荒巻さんが恐らくユーモアだと思いますがこんなことをおっしゃったのです。「天皇陛下に字をお書きになるよう勧めた厚かましい人がおりまして・・・・陛下も公衆の面前で字をお書きになったのは学習院以来ではないかと思います」。なるほど日常、数多くの署名をなさるではありましょうが、殆ど執務室内のことで、われわれ庶民の目に触れるところでというのは、本当に貴重な機会であったと言えましょう。
次は自動翻訳電話のご視察ですが、ここでも担当の槫松社長らによる実演に加えて実際に音声認識の実験をご体験頂きました。残念ながら、これはうまくいきませんでした。それは二つの理由があり、事前の話者適応なしであったという(これは覚悟の上)ことと、危惧した以上にマスコミの皆さんのカメラのシャッター音がすざまじかったことでした。今でも、あれだけのシャッター音の中での認識はかなり難しいのではないかと思います。いくら事前にお願いしてあっても、マスコミの皆さんは本能的に行動されるのでしょう。これは、後々の大きな教訓になりました。たとえば1993年1月の自動翻訳電話国際実験の時にはマスコミの皆さんにも事情をよくお話してご協力をお願いした上に、音声入力のマイクの配置、指向性には細心の注意を払いました。また、不特定話者対応の音声認識技術への更なる挑戦に弾みをつけることにもなったと思っています。しかし、昔なら切腹もののようなこの出来事も、最先端の研究にはそういうことも付き纏うという実態をご覧頂いた訳で、決して無意味では無かったと信じています。
(4) 近鉄さんと山田川駅
冒頭に書いたように、このご視察は京都府主催の行事に付随するものでしたので、全ての行事は京都府下で完結するように計画されていたものと推察しております。実はATRは京都府の南のはずれにあり、数キロ南はもう奈良県です。これまでATRにお越しになった方々の多くは近鉄京都線の「高の原」駅をご利用になったかと思いますが、この駅は実は奈良県内にあるのです。そのためかどうか、ATRご視察の後は最寄りのもう一つの駅である「山田川」駅に向かわれました。この駅は京都府下にあります。しかし、これはローカル駅で普段急行は止まりません。ましてや近鉄さんご自慢の特急が止まるなどということは、それまで一度もなかったものと思います。ところが、当日は実にその特急が山田川駅に止まりご一行がお乗りになられたのです。近鉄さん、後にも先にも一度のことかもしれまもん。その少し前から道路の整備と合せて、山田川駅とその周辺がこれまた見違えるほど整備されました。今でも電車はローカルしか止まりませんが、バス乗り場から改札口まで雨でも濡れない立派な駅になりました。皇室効果といえばお咎めを受けるかもしれませんが、やはり偉大なものだと実感する次第です。
(5) アットホームなお出迎え
最後にATRならではということに触れて終りにします。当日は外国人研究者とその子女も加わって国際色豊かなお出迎えになりました。両陛下は親しく子供さんにも楽しそうに「どちらの国から?」などの趣旨のお声をお掛け頂きました。ついでに、事務方がそろそろ時計を気にしはじめるかな、という絶妙のタイミングでさっと次にお移りになられるのを目の当たりにして、さすが、と妙に感心したものでした。
(つづく)