ゼロからのスタート(その1)




(株)ATR国際電気通信技術研究所 顧問 葉原 耕平



このシリーズのいきさつ
 ATR発足10年の機会に「10周年記念特集」をお手元にお届けした。その編集委員会和佐野委員長から「あれは言わば正史で、周辺の逸話や裏話など残しておいた方がいいことが沢山あるのではないか」という、忘れていくことを見透かされたような話がありました。
 それもそうだ。私自身、1993年春のジャーナルの巻頭言で『いまは、まさに初心に返る絶好の時である』と自戒の意味を込めて書いたではないか。しかし、初心とは何なのか。自分は昔のことを知っているからいいようなものの、昔を知らない人に初心に返れと言ってもそれは無理というものだ。『人にやさしく』を標榜しながら自分勝手な論理矛盾ではないか。という単純なことに気がついた。
 時代が移り人が変わり組織が変わる中で、あまりにも過去にとらわれると、進歩・変革の妨げになりかねない。しかし、それはその時々の当事者の判断と良識に委ねるべき筋合いのものではなかろうか。それに自分自身の記憶も段々と薄れることも事実だ。たしかに今をおいてチャンスはないかも知れない。一方、ありていに言えば裏話というのは書けないからこそ裏話なのではないか。さあ困った。とまあ、研究者くずれの悪い癖で、御託を並べて考えあぐねた末、「まあいいか。恥さらしかもしれないが、やってみるか。」ということでOKしたのが、このシリーズです。はてさてどういうことに相なりますか。読み物として面白いかどうかは別として、曲がりなりにも悩んだ挙句の筆者の心境をお察しの上、お読み頂ければ幸いです。

(1)基礎研究とは?
 ATRは基礎研究を標榜して発足しました。大上段に振りかぶるつもりはありませんが、当然、それでは「基礎研究とは?」ということを議論したくなるのは人情です。導入がひどく固くて恐縮ですが、この話題にちょっとだけ触れておきたいと思います。
 はやい話が基礎研究の「定義」。私はそれは不可能に近いと思っています。何故なら基礎研究は自由闊達な人間活動(これは単に頭脳活動だけではない)の中から新しい知見を得ることが何よりも大切なことで、一旦「基礎研究とはかくかくしかじかで」と定義をした途端、ある種の枠をはめることとなり、それは研究を窮屈にすることに繋がり兼ねないし、研究者を萎縮させる危険さえはらみます。ある人は「あえて言えば」という注釈付きで「基礎研究とはそれまでの非常識を常識に変えることだ」と言ったのが私には印象的でした。これは逆に「常識を非常識に変える」ことにも繋がります。コペルニクスの例を引くまでもなく、常識的定義をすること自身矛盾かもしれません。私もあえて言わせていただければ(論理矛盾ではありますが)「基礎研究とは一義には定義できないものである」と定義します。あるいは「研究開発活動の中で実用化、商品化など特定の目的を持つものに属さない一切の活動」が対象であるといってもいいかもしれません。
 くどくどと基礎研究の定義論をしたのは、このような性格のものですから、「かくかくしかじかの」というマネージの常道もまた考えにくいということと裏腹だからです。だから、基礎研究のマネージは各人各様で、そこにはパーソナリティが強くにじみ出ます。つまり「基礎研究はパーソナリティによって成り立つ」と言えると思います。そういう意味で「基礎研究は人なり」とは言えると考えます。これについては、また触れる機会がありましょう。

(2)原則自由、例外規制
 幸いATRは世界に類を見ない全く新しい構想でスタートしました。私はひそかに(理想論ではありますが)「すべてのしがらみや制約のない研究とその組織、運営」に強い関心を持ちました。いわば全くの白紙の上に絵を画くのに似ています。その壮大な社会実験に挑戦して見ようと考えました。なぜなら、これは今世紀中二度と起こらないかもしれない程のことで、今を置いて機会はないと思ったからでもあります。そして、その指導理念を「原則自由、例外規制」に据えました。それが具体的にどういうことであったかはこのシリーズの中でいくつかの事例を述べてみたいと思います。
 その前に誤解を招くと困りますので、一つだけ大切なことを述べておきます。自由と野放図とは峻別しなければならないということ、自由には総て自己責任が伴うということ、つまりツケの持って行き場所は自分以外にはない、というつい忘れられがちですが自明のことが大前提だということです。

(3)外国出張のやりとり
 以下はATR発足直後の、(それまで大組織でまず上司の意向を尊重しようというカルチャーに慣れてきた)担当者Aと私のやりとり、
A:(多少恐る恐る)あのー、調査で外国出張したいのですが、どうでしょうか。
私:自分で考えてご覧。調査に行けば多分いろいろ収穫があるだろう。だけど今は立ち上げの時期だから、君がいない間研究計画の作業が遅れるかも知れないし、他の人に負担がかかるかも知れない。それにお金だってかかる。それらを総合的に考えてトータルでプラスだと思うなら行けばいいんじゃないの。私に相談に来るのはいつでも歓迎だけど、その前にまずは自分の責任で考えてご覧。
(ややあって)、
A:やはり、調査は今の時期が大切だと思うので、行ってきます。
私:いいよ。よく準備してね。だけど、万一結果が思わしくなくても、それは仕方がないことだよ。分からないから、調べに行くんだから。分かってないことが多ければ多い程、お土産も多いかも知れないけど、反対の場合もあるからね。
(帰着後)
A:お陰で、大収穫でした。ところで、報告書要りますか。
私:君はどう思う?
A:ああ、要りますね。何書きましょうか。
私:考えてご覧。
A:分かりました。
私:ちょっとだけヒントをいうと、報告書の目的は何か、よく考えてね。添付資料はあってもいいけど、骨子は1枚に纏めるように。
 蛇足ですが、何枚にもわたって書くのはむしろ簡単で、エッセンスを1枚に凝縮するにはよほど要領よくポイントを整理しなければなりません。その過程で本質が見えてくる、というのが私の持論でもあります。ついでに言わせていただければ、折角の資料や報告をなるべく読んで欲しくないと思ったら長々と書くことです。読む立場で考えればすぐ分かると思います。



(4)規定類の整備
 こんなことを契機に、各種の様式の整備がスタートしました。何しろわずかな人員でしたので、手っ取り早いのは各社から雛型を取り寄せることでした。そして改めて見てみますと、例えば外国出張報告について言えばNTTの様式は長年の経験が折り込まれていてよくできていました。ATRの特殊性を若干折り込む程度で、最初の様式ができました(もちろんその後逐次改善されています)。これは一例に過ぎず、ご支援いただいた各社には改めてお礼申し上げます。
 このエピソードはほんの一例で、ATRでは何事によらず、このようにして必要なものから、自分たちの問題として、そして多くは切羽詰まって作り上げてきました。まだ伝票が一切ない最も最初の時期、最初の購入伝票はどうやって買ったか。これは私も聞いていません。ATRの規定類(これらは私の所管ではありませんが)の多くはそのような苦労の所産です。ここで個人名をあげるのはいささか抵抗がありますが、初代の伊藤人事課長は、日々の業務だけでも人一倍多忙の中、合間をぬって多くの規定を作成して去って行きました。最後に「あれがやっとできてほっとしました」と言い残して。
 ATRも10年余を経た今、いろいろと見直すのにいい時期かも知れません。後から組織に入った人には、ぜひ新鮮な目でそれをお願いいたします。その際、言わずもがなのことではありますが、心に留めていただきたいのは常に自分達で自分達のために必要なものを作るのだという意識だと思います。
(つづく)