


言葉の壁に風穴を
(株)国際電気通信基礎技術研究所 代表取締役副社長 酒井 保良
年が変わって20世紀も残り4年足らずとなった。今世紀を代表する諸製品は、自動車、家電、衣類、薬品等々いずれも我々の生活に密着した「物」であり、今世紀は言わば「物の時代」と位置付けられています。併せて、世界規模での武力戦争(資源と市場の争奪戦)の時代であり、地域的にはアメリカの時代だったともいえます。
それでは21世紀はどうなるのであろうか。よく言われる言葉として、「情報化の時代」「地域紛争の時代」「ボーダレスの時代」などがあり、これらに対してそれなりの準備を進める必要があると考えます。
我国は、自動車、家電製品等では、世界市場においてトップシェアに輝きました。そのお陰で円が高騰し、多くの日本人か気軽に海外旅行や海外製品を楽しめるようになり、いろんなレベルでの国際化が進展しています。しかし、大多数の日本人は外国語を不得手とし、本音での意思の疎通に至る真の国際化にはほど遠い状況にあります。自動車や家電製品は言語や生活様式に依存せず、ほとんど世界共通であるため国内用の技術がそのまま世界市場に通用しましたが、情報化時代はどうでしょうか? 情報化時代が具体的にどのような時代になるのかはよく見通せませんが、少なくとも、情報の基本は言語であり、日本語で作成された情報のサーキュレーションは、英語に比べて1/10以下という状況は変わらないでしょう。
情報化時代においては、「情報」そのものが製品として市販され、流通し、人々によって使用され、改良されていくと考えられます。ゲームやアニメーションやパソコンソフトはその先駆けでしょう。世界中の経済活動の主流が、手工業から機械工業に移った18〜19世紀の産業革命と同等またはそれ以上の変革が、すでに進行しつつあると言われる情報革命で起こるとすれば、一体どのような世界ができてくるのでしょうか。真のグローバリゼーションの結果として、国家が消滅し貨幣も一元化され電子化されるのでしょうか? 万一そのような事態になったとしても、人々が日常使用する言語は、そう簡単には変えられないでしょう。自然言語は、人類の歴史の中で自然発生的に生まれ、時代と共に進化してきたものであり、よほどの事情がない限り、それぞれの言語圏において、生活必需品としてのみならず、思考や対話の最強の手段として活用され続けるでしょう。
日本語を基本とした「情報」活動で、現在の自動車や家電製品と同等の経済効果を達成するのは、極めて困難であろうということは容易に想像できます。しからば皆で英語を勉強するのか? 英語だけで良いのか? この問題に対するひとつの解が、「言語翻訳」と考えます。「情報」は、いずれは文字化・文章化されますが、オリジナルは音声での対話・議論から生まれてくる場合が多いと思われる。かのソクラテスは、プラトンと、デカルトはパスカル達と、道元禅師はその師如浄との対話を通じてかねてからの疑問を解きほぐし明確な考え方・思想として整理するに至ったと聞いています。
相矛盾するかまたはお互いに不完全ないくつかの「情報」がぶつかりあい、議論を通じてのコンセンサスで新たな「情報」に変質する時点が最も重要であり、ここに参画していた者のみが、その「情報」の発信者として認知され処遇される時代においては、少なくともお互いが殆どリアリズムで音声情報を交換しあえる環境が必要になります。
このレベルの「音声翻訳通信」が簡単に実現できるとは思えませんが、21世紀にかけて我国が率先し、できるだけ多くの言語圏の研究機関と協力して、取り組むべき重要な技術課題であることは間違いありません。幸いにも、ネットワークの高度化・低廉化・パーソナル化や、表情・動作・イメージを含む映像通信を活用したマルチモーダル化技術も着実に進展しつつあり、またゲームやアニメーションが国境を越えて楽しまれている昨今、これらを総合して少なくとも若者同士は、言語の壁に風穴を明けながら議論し、新たな「情報」を発信できるようにしたいものです。