最適なコミュニケーション環境を創る



1.「ああ君知るや我が思い」
なつかしいメロディや国際電話の声より、見えないはずのものが時空を超えて再現されることがあります。また、わずか数秒の線香花火が、タイムマシンのように、私たちを幼年時代に戻らせることもあります。
 しかし、言葉にすると何かが違ってしまうような微妙なものです。いくらうまく言おうとしても表現できずに歯がゆいものです。たとえば、まったく行ったことのない人にディズニーランドの面白さをいくら言葉で語っても理解させることは難しいものです。
 そのような場合、言葉による説明よりも直接連れて行って体験させる方がよいわけです。しかし、たとえその場に連れて行っても、相手に理解してもらえないことも数多くあります。同じ音楽や夕日の景色を見ても、自分の思いや感動は容易には分かってもらえないものです。「俺の目を見ろ、何にも言うな」とはなかなかいきません。

2.環境の共有化
私たちの考え方や感じ方は環境の影響を受けています。たとえば、同じ雪でも、南国育ちの者が白色と表現しても、雪国の人は微妙な色の違いを言い表すそうです。また、たとえ一卵性双生児であっても、育った環境が異なれば性格や思考パターンが異なってきます。したがって、異なった環境を背景とした相手とのコミュニケーションでは、想像力と創造力を働かせなければなりません。
 しかし、一方ほんの数個の言葉でも不思議に相手にうまく伝わることがあります。「同じ釜の飯を食った仲間同士」の場合がその例です。それは、既に環境を共有しているため、大した努力もなく相手の意図や考えを肌で理解できるからです。
 さて、電気通信は距離を隔てた人間同士のコミュニケーション手段として、電話、テレビ電話、テレビ会議などへと発展してきました。今では、国際電話も近所からの電話も何の区別もなく話すことができるようになり、テレコミュニケーションの「テレ」は克服されつつあります。しかし、「コミュニケーション」についてはどうでしょうか?家庭やオフィスにおいて、私たちは映像伝送がない時代よりもスムーズなコミュニケーションを行っているのでしょうか?自分の考えを相手に脳細胞毎移殖するわけにもいかないので、私たちは文章で伝えたり、話したりして相手に伝えます。つまり、伝達は下図の様に各種のメディアへの分解と合成の過程を経ることになります。しかし、前述したように、環境の助けなくしてはうまく伝えられない微妙な思いというものがあり、再合成は完全にはなりません。したがって、コミュニケーションでは、各種のメディアによる思考の伝達と同時に、その思考に関わる環境情報も不可欠と考えます。つまり、言葉やイメージの伝送だけでなく、共感を生み出す土台となる環境自体の伝送も必要ということです。

3.TPOに合ったコミュニケーションからコミュニケーションの目的にあったTPOの創造へ
「場を変えましょう」とよく言うように、コミュニケーションには目的に応じて相応しい場所というものがあります。装飾や照明条件で室内の雰囲気が変化し、その場の時間の経過に鈍感になったりします。したがって、たとえば恋人同士の語らいの場にはゆったりとした空間が、緊張感の維持が必要な場合には視覚的にも聴覚的にも雑音のない空間が相応しい、ということになります。そこで、われわれは最適なコミュニケーション環境の生成を目指し、「環境メディア統合化技術」の研究を行っています。コミュニケーションの目的に応じて相応しい場所があると書きましたが、現在はその場所に人間が移動しています。しかし、その都度場所を移動するのは大変です。そこで、人間のいる場所はそのままで環境を変えたい、ということになります。

4.VR技術による最適環境の創造
その要求に適した技術に計算機で仮想の環境を生成するVR(バーチャルリアリティ)があり、様々なコミュニケーションの目的に適した環境を創造できる様になりつつあります。
 私たちは言語を使用してコミュニケーションしますが、単に言語だけが使われるのではなく、意識的あるいは無意識に、五感に訴えるような情報の送出も行っています。したがって、追体験が可能な人工的な環境を再現するためには、その環境が感覚的に実際の環境と同じでなければなりません。そこで、五感のうち、特にコミュニケーションにおいて重要な感覚と思われる、視覚・聴覚・触覚に対応する刺激を人工的に再現・生成してリアリティーの高いVR環境の構築を目指しています。
 そして、前述したような相手の育った環境や体験の理解がないと十分な意思の疎通が図れない場合でも、VR技術で再現した環境において追体験することによって相手の言葉の奥に含まれている微妙な思いも感じ、共有できるようになると期待されます。
 ここで、研究の一部だけを紹介しますと、人間の視覚特性に合った立体表示装置の研究があります。従来の二眼式立体表示では、通常とは異なる不自然な眼球運動を人間に強いるために眼精疲労への影響などが指摘されています。そこで、人間の視覚特性に合致した自然で目にやさしい立体表示方式について研究しています。
 また、視覚刺激とともに重要な聴覚刺激に関しても、両感覚のバランス・統合の観点から研究を進めています。さらに、仮想環境内の物体の肌触りなどの触感や温もりなどの生成や再現についても研究しています。
 ところで、人工のコミュニケーション環境では、過去あるいは遠く離れた環境の追体験ばかりでなく、未来あるいはファンタジーの世界の中での体験も重要と思われます。たとえば、おとぎ話を本や映像で疑似体験したように、仮想環境の中で実際に体験するわけです。しかし、体験型の新しい映像環境、特に現実とは異なるファンタジーの世界は、単に最先端の技術を集めただけで創造できるものではありません。そこで、最新のコンピュータ映像技術を駆使するメディアアーティストを交えての仮想環境の開発も行っています[2]
 また、最適なコミュニケーション環境を創るには、主体となる人間について十分に把握しておかねばなりません。そこで、五感に対応する各メディアからの刺激と感覚の相互の関係およびメディアの活用方法についての研究を進めています。たとえば、映像の色彩・解像度や環境雑音の心理的・生理的な評価および心地よさとの関係、そしてそれらに基づいた環境の設計などです。
 また、最適なコミュニケーション環境の創造にはもう一つの観点を含んでいます。それは、障害者のコミュニケーション支援です。コミュニケーションに関わる機能に障害のある器官や程度に合わせてそれらを補うことのできる環境を自由に創り出すことにより、障害者のコミュニケーション支援に貢献できるものと思われます。
 以上、われわれの目指すコミュニケーション環境生成の研究により、人々が各々の特性・感覚にマッチした最適な環境を介してコミュニケーションできるようになれば、すべての人が互いの能力を十分に発揮・活用できるようになると確信しています。

参考文献


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