割に合う研究・割に合わない研究


(株)ATR音声翻訳通信研究所 代表取締役社長 山崎 泰弘



  現代社会における科学技術の恩恵は計り知れないくらい大きい。いやむしろそのありがたさ,その存在すら意識しないくらいである。まさに湯水のごとく科学技術の恩恵を浴びている。例えば,電話。人の声はせいぜい十数メートルしか届かないが,今や地球の裏側の人ともいつでも話ができる。事務所や居間にいたままで。次にテレビ。人の目で見える範囲は限られるがテレビは凄い。阪神大震災の想像を越えた悲惨な状況を空から,路上からありのままに,映像を家庭に実況で伝える。視聴者は足がすくむ思いでその画面にくぎ付けにされてしまう。ファクシミリもなかなか便利だ。紙の上にちょっと書き留めたメモを遠く離れた受信者にそのままコピーをとる感覚で伝えることができる。使いはじめたらなかなか手放すわけにはいかない。また最近は,移動通信への関心が高まっている。利用が船舶通信などに限られていたが,自動車電話,携帯電話の普及,さらにパーソナル・ハンディホン(PHS)にいたってはコストも圧倒的に安く,「いつでも,何処でも,誰とでも」の理想の通信形態に近い。しかも音声だけでなく,データや映像までも送れるとなるとビジネスには欠かせない武器となる。
 このような高度情報社会の恩恵をしっかりと支えているのは言うまでもなく技術であり,研究開発の成果である。しかし翻って研究の性格を考えて見ると2局面があるように思われる。すなわち,人ができないこと,あるいは人とって極めて困難なことを人に代わってやり遂げてしまう技術の研究である。成果が分かりやすいため,研究が首尾よく成就すると周りの人からよくやったと評価され,当人もまさに「研究者冥利」に尽きると満足感を覚えるものである。まさに「割に合う研究」である。上述したいくつかの例はこのような研究にはいる。
 一方,人が得意とする機能をコンピュータにもたせるための研究がある。その代表格が「認識」技術に関する研究であろう。音声認識や画像認識である。例えば,音声認識の研究が進んで,「市内観光について教えて下さい」と連続的に喋った音声をコンピュータが正しく認識したとしても,それを見ている見学者は,「私にも認識できるのだから,コンピュータができるのはあたりまえ」と感激するどころか,涼しい顔をしている。連続的に話された音声を認識するのは難しく,多くの研究者が長年の苦労と努力を積み重ね,やっとここまで来たのに。これでは立つ瀬がない。「割に合わない研究」と言いたくなってしまう。
 当研究所の使命は,先駆的,基礎的,リスキーな研究にチャレンジすることである。そもそも研究とは成功するか否かわからないことをなんとか実現させるものであり,自ずと短期的には成果が出にくく,いわば「割に合わない研究」の部類にはいる。しかし先に述べた音声認識の研究の場合でも,その研究に成功し,言語翻訳および音声合成と組み合わせ「音声翻訳」が可能となれば,長年の人類の夢を叶える研究成果となる。いわば「割に合う研究」となるのである。遠大な夢を抱き,黙々とチャレンジングな研究に日夜没頭している研究者に,時には,勝利の女神が微笑みかけ,新しいヒラメキを与えてくれることを願ってやまない。