適応コミュニケーション研究所
(株式会社エイ・ティ・アール環境適応通信研究所)

環境適応通信の研究開発



適応コミュニケーション研究所
所長 小宮山 牧兒



 1.プロジェクトを振り返って

 「環境適応通信の基礎研究」をテーマとして平成8年(1996年)3月に設立された7年間プロジェクトは、KTC制度の見直しに伴い、当初の予定期間に1年半を残して、平成13年(2001年)9月末をもって打ち切りとなりました。ここでは、当プロジェクト終了までの5年間を振り返ってみます。
 環境適応通信の意図は、特性の違う異質なネットワーク、端末、メディアが共存する複雑な通信環境にシステム側が適応し、利用者に特性の違いによる制約を意識させない通信システムの実現にありました。プロジェクト発足当初は、家庭へのインターネットの普及が始まったばかりでネットワークの制約といってもピンとくる実例が無く、また、システムの適応に関しては、人や生物の適応機能の参考、複雑ダイナミクスの適用というアプローチを掲げ、当時の複雑系への注目の高まりと相俟って、斬新で先を見たテーマでありましたが、難解な点があり、分かり易い説明には苦心しました。
 研究テーマは、前身の光電波通信研究所から引き継いだアンテナ、デバイスに、ネットワーク技術2サブテーマを新たに加えた4サブテーマから成り(図1参照)、各サブテーマに対応した4研究室体制で実施しました。第2フェーズに入ったこともあり、プロジェクト性をこれまで以上に打ち出すことが求められ、解決すべき目標を明確にし、その目標に向けて各サブテーマを位置づけることを当時の酒井会長から強く指導されました。広い研究領域を一つの目標に結び付けるのは簡単でなく、室長等で幾度となく議論を重ねました。適応通信技術の適用領域を、順次無線に絞った経緯から、最終的には図1に示す「やわらかいマルチメディア移動通信」という目標を掲げました。
 研究員は、企業等からの出向者が7割強を占め、通常は3年間で復帰します。期間が限られていることと、ある意味で企業の代表選手という要因が働き、良い意味での緊張感をもたらしてきました。一方、研究の継続性を保つため、長期的視点から研究を方向付けるリーダ格の研究員は欠かせませんが、プロパー研究員は一人と少なく、客員研究員の配置を工夫すること等で対処しました。景気の停滞で、後半は後任出向者の派遣を取り止める企業も目に付きました。
 最後の1年半は、プロジェクトのまとめを意図して、端末搭載用指向性アンテナとして研究を進めてきたエスパアンテナを特徴とするアドホックネットワークのテストベッドの設計・試作に研究費を重点的に配算しました。技術的に詰め切れていない点があること、担務によっては泥臭い仕事にならざるを得ないこと等、種々の軋轢、不確定要素がありましたが、1次試作までこぎつけました。この時点で研究が打ち切りとなったことは残念でありましたが、近年隆盛となりつつあるアドホックネットワーク研究の先鞭的役割の幾許かは果たし得たと考えています。この他の、主要な成果については、以下の章に譲ります。
 なお、プロジェクト終了時における研究成果の累計は、学会発表等1,070件、特許出願170件となっています。


 2.主要な研究成果

■環境適応システムの構成・評価技術

 システムに動作環境や利用環境への適応性を持たせることを目的とした、環境適応システムの構成と評価技術の研究に取り組みました。

どこでもネットワーキング
 何らかの共通のベースを持って一時的に集合した不特定多数の人々の間で、データ通信による自由なコミュニケーションが行えることをねらいとし、インフラ不要のアドホックネットワーク「WACNet(Wireless Ad Hoc Community Network)」の実現を目指して、無線リソースの拡大利用のための分割アルゴリズム、ルーティング、メディアアクセス制御、アダプティブアンテナなどに関する研究を進めました。また、アドホックネットワークのアプリケーションとして、ノードの接近により自動的に接続を確立し、ネットワークを構成するCoCoNUT(Contiguous Communication Network on Ubiquitous Transmission)フレームワークを提案しました。さらに、総合実験システムを構築し、これをテストベッドとしてWACNetの有効性の実証を試みました。

適応的QoS制御フレームワーク
 多様化するマルチメディア通信環境において、ネットワークや端末の状況、ユーザの品質要求に応じて自律的に通信品質を制御するシステムの研究を進めました。通信アプリケーションやメディアストリーム対応に設けられた階層的なエージェント群の協調動作、あるいは、自律動作によるマルチメディア通信品質の適応的な制御を実現しました。

■環境適応通信制御技術

 動作環境や利用環境の変化に対して自律的に適応するような、情報通信ネットワークやシステムの実現をめざし、最適設計・制御技術の研究を進めてきました。

最適化手法の提案とその応用

 最適設計・制御の手段として、「高次元アルゴリズム」を提案しました。これは、問題を記述するのに必要な変数に、新しい変数を加えて高次元空間とし、この空間で構成された力学系の自律的運動を利用して、最適化問題を解く手法です。この手法を、双極子モーメント等において従来の物性値を超えるような物質の探索、投資回収年数を最小にするようなコージェネレーションシステムの設計、指向性アンテナのパラメータ最適化等、種々の物理的、工学的問題に適用しました。

ネットワークの設計・制御・評価
 パケットを効率良く転送するような通信ネットワークの設計・制御にも上記高次元アルゴリズムを適用し、ネットワークリソース最適配分、トポロジー最適化手法の提案、最適な動的ルーティング政策の明確化を行いました。また、トラフィック強度の変化やネットワークの故障に対して優れた応答と安定性を持つルーティングアルゴリズムも提案し、具体的アプリケーションに対するこれらの適応機能も評価しました。

モノと人間の関係の分析

 システムにとっての環境としては、人間(ユーザ)が重要な位置を占めると考えられます。そこで、人間の応答や評価、行動に適合したシステムを生み出す手法の構築をめざし、システムやツール、サービス等のモノに対する利用者のアンケート調査や分析を進めてきました。若年層女子の利用行動がモノの働きを象徴すること、モノのイメージが変遷して世代別、性別などによりすみ分けられること、モノをデザインするためのキーコンセプト等を明らかにしました。

■適応型広帯域無線アクセス技術
 無線アドホックネットワークのキーコンポーネントとして期待されている知的機能アンテナの研究に取り組みました。また、光と電波を融合する技術の開拓も進めました。

エスパアンテナ
 希望する電波の到来方向を推定し、アンテナパターンを自律的に指向させる「エスパアンテナ」の開発を進めてきました。通信の相手方の方向を推定できれば、電波エネルギーをその方向に集中して送信・受信できるので飛躍的な節電と周波数の再利用が実現できます。また、エスパアンテナを利用した方向探知器は、災害救助や介護ロボットへの応用も期待できます。

マイクロ波フォトニクス
 広帯域性に優れる光信号処理アンテナでは、マルチビーム化・独立偏向化などの高機能化や、小型化・低損失化などの高性能化を進めました。安価なファブリ・ペロー型レーザダイオードに注入同期をかけることで高性能ミリ波光源に変身させる方法を発明し、ギガビット情報伝送、波長多重実験へと発展させています。アンテナ評価コストを削減するために電磁波と光波の相互作用を利用したセンサを用いる超小型電波暗箱の開発も進めました。

■高等機能デバイス
 光と電波が融合した高度な通信システムを実現するため、半導体超格子の量子効果の利用や独自の結晶成長加工技術を駆使した高機能半導体デバイスの研究を進めるとともに、光や電子の非線形現象を積極的に利用して高度な自律適応機能をデバイスレベルで実現する、新しいデバイス概念の提案とその要素技術の確立に取り組みました。

半導体機能デバイス
 半導体超格子の物理現象の研究から、光電磁波変換素子や中赤外発光素子など新しい量子効果デバイスの原理を提案し、その基本動作を確認しました。また、量子構造の自己形成や両極性などユニークな特徴を有するGaAs高指数面基板を利用して、横型接合レーザやフォトディテクタの試作を行い、空間光通信などへの応用をめざして詳細な評価と構造最適化を進めました。さらに、半導体薄膜の歪みを巧みに利用した3次元微細加工技術(マイクロオリガミ)を考案し、新たなデバイス技術の開拓に取り組みました。

ダイナミック機能デバイス
 レーザやネットワーク用デバイスにカオスなどの物理現象を利用することで、デバイス自らが試行錯誤して、通信リンクを形成できる新しい自律適応機能の研究を進めました。全方位レーザ赤外線無線中継モジュール、カオスミラー、適応型プロトコルなど、デバイスからシステム全般にわたり自律適応機能の実現を検討しました。


 3.まとめ

 当プロジェクトの研究成果は、特にアドホックネットワークに関連するテーマを中心に、当所で現在実施しているTAOプロジェクト「自律分散型無線ネットワークの研究開発」へ、新しい形で継承されています。アドホックネットワークは、現在注目されているユビキタスネットワーク、センサーネットワーク等の根幹を成す技術でもあり、インパクトのある成果に向けて研究を開始したところです。
 最後に、この間尽力された研究員および事務部門の方、出資企業を始めとする関係者のご指導、ご協力に心から感謝の意を表します。