


プロジェクトの終了に際して
ATR視聴覚機構研究所 代表取締役社長 淀川 英司
ATR視聴覚機構研究所は、基盤技術研究促進センターをはじめとして多くの機関のご支援を得て、昭和61年4月に設立されました。プロジェクト期間は7年であり、平成5年3月で終了いたしました。この間、研究はほぼ計画に沿って順調に進捗し、一部予想以上の進展を見せたものなどもあり、当所の研究目標を達成することができました。これも、ひとえに関係機関の皆様方のご理解・ご支援の賜物であり、厚くお礼申し上げます。
さて、研究所設立の趣旨は、21世紀の高度情報社会の基盤となる人間主体の新しい電気通信技術の創造を目指し、そのときに最も重要となるマンマシン・インタフェース技術の飛躍的進歩向上を図ること、すなわち、情報通信機器の使い勝手を現在のものよりも格段に良くするためのマンマシン・インタフェース技術の基礎を確立することでありました。
そこで、私どもは従来の技術主導型アプローチではなく、生体とくに人間の情報処理メカニズムに学ぶということを基本方針に置き、工学、心理学、生理学といった関連研究分野の研究者の分野を超えた協力によるトランスディシプリナリ・アプローチを目指して鋭意研究を進めました。研究を進めていくにあたって、とくに配慮したことが、いくつかあります。以下、それらについて述べたみたいと思います。
まず第一は「優秀な研究員の確保」であります。プロジェクトが成功するか否かは、優秀な研究員を集めることができるかどうかで決まるといっても過言ではありません。さいわい、関連する企業・機関から優秀な研究員を派遣して頂き、まずまずのスタートをきることができたものの、計画どおりに研究員を増やしていくことは非常に難しいと当初は思われておりました。しかし、丁度そのころニューロコンピュータの研究が世界的ブームとなりつつありました。また、国の内外でいくつもの脳機能解明の研究プロジェクトがスタートいたしました。ニューラルネットワークや脳機能解明の研究は私どものプロジェクトの重点課題として研究に取り組んでおりましたので、このような外部の動向が、それ以後の研究員の確保に非常にプラスになりました。ここで、さらに良かったことは、プロジェクト開始後早い時期に、すでに実績のある優秀な中堅研究員を出向だけではなくプロパー研究員として採用できたことであります。これらの研究の核になる優秀な研究員の存在が、国の内外から優秀な研究員を集める吸引力となったと思います。
第二に「外国にも開かれた研究所作り」を目指して参りました。プロジェクトに携わった研究員の数は延べ120名であり、その約4分の1が外国からの研究員でした。これは優秀な外国人研究員の招聘・受入れに積極的に努力した結果であり、その目標を十分達成できたと思います。
第三は「研究設備の充実」であります。これについては、ゼロからのスタートということがさいわいして、スーパミニコン、超並列コンピュータ、ワークステーション、心理・生理実験ブース、眼球運動測定・解析システムなど最新の設備を構築することができました。これらの設備により、他ではできない実験やシミュレーションを行うことができ、新しい知見を得ることができたと思います。
第四は「研究員一人ひとりが伸び伸び研究に打ち込める明るい環境作り」を目指して参りました。これについては私よりも研究員一人ひとりがどう感じたかということでありますが、さいわい多くの研究員からATRの研究環境は良かったというコメントを頂いております。なかには、ATRに参加して人生が大きく変わったと喜んでくれている研究員もおります。極端な例ではありますが、出向期間の2年間で博士の学位を取得した研究員もおります。しかし、良い研究環境作りは、一般にはなかなか難しい課題と思います。私は新入の研究員には、いつも最初に次の4つのことを話して参りました。・出退勤のときはきちんと挨拶をすること。・できるだけ自由に仕事をして欲しいが、組織人・社会人としての良識をもって行動し、研究所における基本ルールはきちんと守ること。・目標をできるだけ具体的に立て、それを達成するよう努力すること。・健康に十分留意すること。まだまだ、大切なことがあるわけですが、人間の記憶特性から、この4つぐらいが適当と思ったわけであります。
以上のほかに、「外部研究者との交流の活発化」、「国内・国際会議への積極参加」、「論文投稿および特許出願」などに配意して参りました。これらにつきましても、課室長はじめ研究員の努力と協力により、当初の予想以上に成果をあげることができたと思います。とくに、1988年7月に開催した「ATRニューラルネット国際ワークショップ」は、わが国における「ニューロ元年」と呼ばれるようなニューロブームの始まりとも相俟って、非常に時宜に適った好企画とすることができました。さいわい、この分野の内外の第一線級研究者の参加を得て内容的にも非常に充実した質の高い会議とすることができました。この国際ワークショップの開催により、私どもの研究活動を国の内外に広くアピールすることができたと思います。これ以後、ATRをニューロサイエンスのメッカと呼んで頂けるようになりました。さらに、1990年11月に開催した「ATR視覚・認知国際ワークショップ」及び「ATR音声知覚・生成国際ワークショップ」も内外の著名な研究者の参加を得て非常に質の高いワークショップとすることができ、外部の研究者から大変良い評価を頂きました。
ここで、プロジェクト期間中の特別なこととして、1991年5月の「天皇・皇后両陛下のATRご視察」を忘れることは出来ません。研究所にとりまして、誠に光栄なことでありました。
以上、プロジェクト終了にあたり、研究のマネージメントを中心に述べて参りました。研究成果につきましては、成果報告会でご報告させて頂きましたので、ここでは割愛させて頂きたいと思います。本プロジェクト「視聴覚機構の人間科学的研究」は典型的な基礎研究であり、7年という期間で一挙に解決できるテーマではありません。しかし、一歩一歩地道にマイルストーンを積み上げていくという意味で、十分目標を達成し、期待にお応えできたのではないかと思っております。欧米から指摘されるまでもなく、基礎研究に対するわが国のこれまでの取り組みは極めて不十分と言わざるをえませんでした。このような状況の中で、ATRプロジェクトは基礎研究のナショナルプロジェクトとして、国際的にも評価を頂けるようになって参りました。これは非常に喜ばしいことと思います。
最後に、皆様方から頂きましたこれまでのご理解・ご支援に対しまして、重ねて厚くお礼申し上げますとともに、本研究をさらに発展させ新分野を開拓することを目的に新しく設立いたしましたATR人間情報通信研究所に対しましても、引き続きご理解・ご支援を賜りますようお願い申し上げる次第であります。
21世紀は脳・心の時代と言われております。現在、物質中心から情報・生命・精神中心へとパラダイム・シフトがなされつつあります。このような重要な時代を迎え、人間情報通信研究所に対する期待は非常に大きなものがあります。同研究所におかれましてはどうか、視聴覚機構研究所の良かったところを引き継いで、その上にさらに良い伝統を築き、輝かしい21世紀の扉を開くことを祈念いたします。