自由空間レーザー伝送シミュレータ




(株)ATR光電波通信研究所 無線通信第一研究室 稲垣 恵三



1.はじめに
 今年は国際宇宙年(ISY)です。コロンブスのアメリカ大陸発見500周年ならびに国際地球観測年35周年を記念し、宇宙活動の発展を促進するために、世界各国の宇宙機関が協力して様々な行事が催されます。そのメインテーマは“Mission to Planet Earth”、「惑星の一つとしてかけがえのない地球を見直し、地球を宇宙から観測し監視するミッションを計画し、実行しよう」というもので、日本も初の本格的な地球観測衛星である地球資源衛星1号(JERS−1)の打ち上げを通して重要な役割を果たそうとしています。NASAのLandsatなどで有名な地球観測衛星は、地球全体に関する均質なデータを継続的に得ることができ、近年の地球環境への関心の高まりに対して客観的・科学的に応えることのできる最も有効な手段の一つであり、今後も一層その重要性が高まってゆくことでしょう。
 現在の地球観測衛星は地表面の観測分解能を高めるために高度数百kmの比較的低い軌道を飛んでおり、観測したデータを送り届けることのできる地上の範囲は、ある瞬間には限られています。そこで観測データを一度レコーダに記録し、世界中に数カ所しかない地上受信局上空に来たときに一括して送信する方法が採られていますが、レコーダの容量がネックとなってデータ量が制限され、より多様で詳細な観測を妨げています。この制限を破る方法としてデータ中継衛星システムが考えられ、NASAでは図1に示すTDRS(Tracking & Data Relay Satellite)システムを配備しています[1]。このシステムは静止軌道上に3機のデータ中継衛星を配置することにより、たった一箇所の地上受信局でほとんど全ての低軌道衛星からのデータをリアルタイムに受け取ることができます。このような通信システムは、地球観測衛星のデータ中継用に限らず、将来的には科学観測や工業生産などの様々な宇宙活動全般を支援する重要なインフラストラクチャになると考えられています。
 データ中継衛星システムの構築に当って必要とされる研究開発課題として衛星間通信技術があります。衛星と地上局の間で通信する衛星通信に対して衛星と衛星の間で通信を行う衛星間通信では、数万kmを越える長距離無中継通信回線を重量/電力に関する厳しい制限をクリアしながら非常に高い信頼性を確保しつつ実現しなければなりません。将来は大容量データを取り扱える機能や一機で複数の衛星のデータを中継できるマルチアクセス機能も必要とされる等、その実用化に当っては解決すべき技術的課題が山積しています。
 この衛星間通信技術は非常に応用範囲の広い通信技術です。上記のデータ中継衛星システムの他、例えば、静止軌道上の通信衛星間に適用することにより限られた静止軌道がたくさんの通信衛星で混雑しているという問題を緩和するシステムや、ニュースの現場中継などでいくつもの通信衛星を介して通信すると伝搬遅延が大きくなってしまう問題を回避するためのシステムが検討されています。最近提案されて大きな話題となっている周回衛星を用いた移動体衛星通信システムにおいては、周回衛星どうしを結ぶ衛星間通信は不可欠の技術とされており、これらの各方面からも活発な研究が進められています。
 近年、わが国ではロケットや各種人工衛星などで多くの実績を積み重ねており、宇宙関連技術の水準が着実に向上しているところから、今後は自主技術の開発を通じて世界に貢献することが期待されています。当研究所では、将来の人類の宇宙活動を支えるインフラストラクチャの一つとして重要視されている衛星間通信、特に光を用いた光衛星間通信について、国の宇宙開発計画とも連係しながら、研究開発に長い期間を要する基礎的・基盤的技術の開発や先行研究課題の検討を進めています。ここでは光衛星間通信実現のために重要な光ビーム制御技術に関して、その評価技術の研究について紹介します。

2.光衛星間通信
 厳しい重量・電力制限を満たす小型・軽量・低消費電力の装置を用いて、長距離大容量の衛星間通信回線を構築するという課題について考えてみましょう。衛星は常に地球の周囲を飛行して動いていますから必然的に無線通信システムとなりますが、その基本構成図を図2に示します。
 まず伝搬路ですが、雨や雲に邪魔されて特定の波長帯の電波しか使えない地上と違って、宇宙空間はほぼ真空であり、伝搬媒質による吸収・散乱・分散などの複雑な効果は無視できます。つまり、電波伝搬に関しては単なる自由空間とみなすことができ、伝搬につれて空間的に広がることによる減衰だけを考慮すれば充分です。次は受動的な素子であるアンテナについて考えます。アンテナの主な役割は、波としての性質から広がろうとする電波を希望する方向に集中する、あるいは様々な到来方向からの電波が飛び交う中で特定の方向からの電波のみを受信することにあり、一様に広がった場合と比較してある方向にどれだけ集中てきたかをアンテナの利得と呼びます。光衛星間通信の課題に対しては、小型・軽量で高利得のアンテナが必要となります。基本的な円形の開口面アンテナの正面方向の利得は、

    (1)

で表されます。ここで、Dはアンテナの開口径、λは波長、ηは開口効率です。波長λが小さくなると、同じアンテナ径Dでもアンテナ利得Gを大きくできること、あるいは同じアンテナ利得Gを得るのに開口径Dが小さなアンテナで済むことが判ります。そこで送信機、受信機について短波長、即ち高周波用のものを開発することができれば、その無線通信システムについて、小口径アンテナによる小型・軽量化、高利得アンテナで送信機出力を補償することによる低消費電力化、搬送周波数上昇で帯域が広くなることにより大容量化といった様々なメリットを得ることができます。
 現在、通信用として実用的な送信機・受信機が得られる最も波長の短い電磁波は、近年の急速な発展で地上通信網の主役となりつつある光ファイバ通信で用いられる近赤外領域の光です。その波長は1um前後、周波数は数百THzで、一般家庭で用いられている無線通信システムの中で最も周波数の高い衛星放送用の12GHz帯と比較すると4桁も高くなっています。この光ファイバ通信の送信機・受信機技術を衛星間通信に応用し、光を用いた「光衛星間通信」を実現できればマイクロ波を用いた従来の衛星間通信システムに対して劇的な小型化・軽量化・低消費電力化・大容量化などが図れる可能性を秘めています。
 光衛星間通信を実現するには図2の各構成要素やシステム設計に関する様々な技術開発が必要となりますが、光衛星間通信で特に必要とされる技術開発課題として光ビーム制御技術があります。マイクロ波を用いた衛星間通信に対する光衛星間通信の利点は、光の波長がマイクロ波に比べて4桁も短く、それをアンテナの小型化と高利得化に振り向けられることにあると述べました。ところが、現在の技術では光の送信機出力が最大でも100mW程度しか得られず、昨今計画が進められているシステムでは主にアンテナの高利得化が図られています。例えば、1993年に世界初の静止衛星−地上間光通信実験を計画している郵政省通信総合研究所(CRL)の静止衛星搭載用光通信装置LCE(Laser Communication Equipment)では波長0.83μmの光を用いて直径75mmの光アンテナに105.5dBもの利得を持たせようとしています[2]。このような超高利得アンテナでは出射される光ビームは1km伝搬しても5百円玉程度しか広がらず、他の衛星に干渉を与えないという利点も伴せ持っています。しかし、この超高利得、狭ビームという利点は裏を返せば少しでも送信光ビームの出射方向がずれると受信局に届く光の強度が急激に低下し、全く通信できなくなるという欠点でもあります。そこで、この極めて広がり角の狭い光ビームを正確に制御し、安定な衛星間通信回線を形成・維持する光ビーム制御技術が課題となります。なお、光ビーム制御技術に関する課題、必要な機能、装置の構成などの詳細については本シリーズの第3号を参照して下さい[3]

3.自由空間レーザ伝送シミュレータ

 光衛星間通信システムにおける光ビーム制御という技術課題を解決するため、著しく高いアンテナ利得を保持しつつ極めて鋭い光ビームを正確に捕捉/追尾/指向させる光ビーム制御装置について、世界各国で活発な研究が進められており、様々な装置が提案され、開発されています。一方で、開発されたこれら光ビーム制御装置自身の特性を評価する方法については、まだ研究が始まったばかりであり、十分な検討は行われていません。構成要素各々に関する評価結果から組立後の特性を推定したり、ランダムな誤差を仮定してシミュレーションを行うといった手法が行われていますが、光衛星間通信装置全体の特性を直接評価できるような方法は未だに確立しておらず、宇宙に打ち上げて実験してみるしかないというのが実状です。
 光ビーム制御装置全体の評価が困難であるというのも、超高利得という光アンテナの特性が原因です。アンテナから放射された電波の強度は、アンテナの近くではアンテナ右端から来た電波と左端から来た電波が打ち消しあうなどして複雑なパターンとなります。ところがアンテナが点と見なせるぐらい遠くに離れると、距離が変わっても角度に対して一定の強度パターンとなり、これを遠方界パターン(FFP)と呼んでいます。光衛星間通信用光アンテナのような超高利得アンテナの場合このFFPが形成される距離はだいたい100km以遠となり、これ以上離れないとアンテナの利得・ビーム幅・指向性などを直接測定することはできません。実際、1995年に世界初の光衛星間通信を実現しようというSILEX計画[4]を進めているEASでは、大西洋のカナリア諸島中の145km離れた二つの島(これらの島は大海の孤島で空気のゆらぎが少なく、天文台が設置されている。)の間で光衛星間通信の地上実験を計画しており、検討を進めています[5]
 当研究所では、早くから光衛星間通信装置そのものだけでなくその評価技術にも着目し、半導体レーザ評価装置、受光素子評価装置を設計・開発するなどの研究を進めてきました。  光ビーム制御技術についても、正確・安定・容易に行える評価方法について、様々な検討を行ってきました。そしてレンズがその焦点面上に等価的にFFPを形成するという性質を応用することから着想を得て、まず非常に高い角度分解能を持つ送信光アンテナの測定システムを構築しました。続いて、装置構成を逆にすることにより受信側の追尾特性を直接ダイナミックに測定する機能、更に送信側受信側の両評価システムを結合して1対1の光衛星間通信回線全体を直接模擬する機能が実現できることを明らかにし、これを「自由空間レーザ伝送シミュレータ」と名付けました。この自由空間レーザ伝送シミュレータは「自由空間を実験室内へ」という発想の下、広大な宇宙空間を飛翔する衛星どうしが極めて鋭い光ビームを高精度に制御しながら通信を行う光衛星間通信システムの特性を、実際に宇宙に打ち上げることなく正確に評価することを究極の目標としています。具体的には図3に示すように、超長距離通信であることによる(a)送信光ビームパターンの遠方界パターンへの変化、(b)大口径平行光の受信、(c)見込み角補正、といった基本的な通信環境を模擬し、外乱として(d)衛星の姿勢変動や(e)背景光を与え、光ビーム制御誤差としての送信光ビームの指向誤差、受信光ビームの追尾誤差、見込み角補正誤差や、回線品質としてのビット誤り率、バースト誤り率を直接評価できるようなシステムを目指して、研究を進めています[6]
 ここでは、シミュレータの第一の機能として、光アンテナが放射するμrad程度の極めて広がり角の狭い光ビームのFFPを非常に高い角度分解能で測定する機能について説明します。これは、いわば1km先に置かれたコインが百円玉か5百円玉か、そこに描かれた模様が桜か桐かを測定しようとすることに相当します。一般に虫メガネなどのレンズは平行な光を入射すると焦点面上のある一点に集光しますが、この点は実は単なる点ではなく、入射した光のFFPとなっています。レンズは入射する光に対してある一定の移相量を与えることにより、入射光にとってはまだ近傍界であるレンズの焦点面上に等価的に入射光のFFPを形成するのです。そこで、100km離れて直接FFPを測定する代りにレンズ焦点面上の等価FFPを測定することが考えられます。波長λの一様な強度の平行光を直径Dの丸いレンズで集光した場合、焦点面上に形成されるFFPの直径dは近似的に次の式で表されます。
   (2)

式中のf/DはレンズのF値と呼ばれ、写真に詳しい方は良く御存知だと思います。通常はF値の小さなレンズは一つの到来方向からの光をより小さな点に集光する優秀なレンズとされますが、小さな点の微細構造を測定するのは困難であり、等価FFP測定用としては適していません。等価FFPの直径dを大きくして測定の角度分解能を向上させるには、上式より・波長λを短くする、・口径Dを小さくする、・焦点距離fを長くする、の3通りの方法が考えられますが、測定対象である光衛星間通信装置から、・波長λ、・口径Dは決まってしまいます。そこで私達は方法・を選び、口径に対して非常に長い焦点距離を持つレンズを特別に製作しました。これはF値が非常に大きく、写真の世界ではいわゆる「暗い、ぼけた」レンズですが、レンズ面の形状精度は非常に高く「きれいにぼける」レンズです。そして光アンテナの出射光をこのレンズで集光し、焦点面上に形成された比較的大きな等価FFPを測定することによって光アンテナを評価しました。図4は、本測定系のキーコンポーネントである口径が260mm、焦点距離が17.5mの高精度大口径長焦点「きれいにぼける」レンズです。面精度に関する試験を行った結果、口径200mmの範囲にわたり(この場合のF値=87.5)波面収差がλ/10以下に抑えられていることを確認してあります。測定系全体を5に示します。2つの光学定盤の一方に光アンテナとレンズを、他方にFFP撮像用CCDカメラを載せ、レンズの焦点距離17.5mだけ離して設置しています。定盤間の光の通路は空気のゆらぎを取り除くため真空に引いており、測定の安定化を図っています。系の全長は約20mあり、研究者の間で「うなぎの寝床」と呼ばれている細長い実験室に設置されています[7]
 本測定系を用いて、数μradしか広がらない光衛星間通信用に試作した光アンテナの放射パターンを十分な角度分解能で実際に測定することに成功しました。図6に試作した光アンテナの仕様と写真を示します。カセグレン型というのは主、副二枚の鏡で構成され、焦点距離に比べてアンテナ全長をコンパクトにできるという特徴を持った標準的な光アンテナの型式です。図7にFFPの測定例を示します。(a)は円形開口の理想的な一様強度平行光、(b)は光アンテナと同一の開口面形状を持つ理想的な一様強度平行光、(c)は実際の試作光アンテナ出射光、のFFPです。(a)ではエアリパターンとして知られるパターンが鮮明に捉えられています。(b)は(c)の参照用ですが、中央の明るい部分(メインローブと呼びます)の他、開口面上の副鏡支持棒に相当するパターンにより回折されて生じた規則的なサイドローブなどを識別できます。(c)では実際の光アンテナのメインローブやサイドローブがいびつに歪んでいる様子が判ります。(a)、(b)、(c)各測定例は小さな正方形から成っていますが、各々はFFP撮像用CCDカメラの画素であり、一つの画素が本測定系におけるFFP測定の角度分解能である0.75μrad角に相当しています[8]
 現在は、受信機の追尾特性を評価するために、受信光アンテナの開口全面に渡って一様な強度分布を持つ平行光の到来方向を、μradオーダーの方向精度で、衛星の姿勢変動周波数に対応する約1kHz程度の速さで、任意に動かすシステムを開発中です[9]。最終的には、これら送信側・受信側の評価機能を結合し、更に見込み角補正を模擬する機能を追加することにより1対1の光衛星間通信回線全体を模擬できるようになると考えており、その実現に向けて研究を進めています。

4.おわりに
 極めて指向性の鋭い光ビームを用いて安定な衛星間通信回線を形成・維持できる、高度な光ビーム制御技術の開発に成功すれば、人類の宇宙活動を支えるインフラストラクチャを始めとして、様々な有用な宇宙システムを実現できます。その開発を進めるに当っては、光ビーム制御系、通信系などの各構成要素について、設計、製造、評価の各面で多くの技術開発が必要とされています。自由空間レーザー伝送シミュレータは光ビーム制御技術の評価技術の一つとして、ATRが独自に提案し研究開発を進めているもので、その重要性について内外から注目を集めています。自由空間レーザー伝送シミュレータの概念は幾つかの評価機能を包含していますが、まず第一段階として、送信光ビーム評価を充分な角度分解能で行うことに成功しました。現在は第二段階として、受信側の追尾特性を評価するための機能拡張を行っています。最終的には、1対1の衛星間通信回線について光ビーム制御技術の特性を直接・正確に評価できるシステムへと発展させる構想であり、本システムを利用することによって光ビーム制御技術の信頼性の向上及び開発速度の加速に貢献できるものと考えています。



参考文献