TR-H-0199 :1996.7.29

大須理英子

生体の運動制御における軌道計画のメカニズムおよび視覚運動連関に関する研究

Abstract:はじめは苦労して練習したはずの自転車を,ほとんど意識することなく運転できるようになっている.心理学者のみならず,工学者,生理学者をはじめとした様々な分野の人々がこのような事実に驚きと興味を覚え,この仕組みを解明しようとしてきた.近年,様々なアプローチの融合と,テクノロジーの進歩によって,生体における運動制御機構の解明が飛躍的に進歩している.本論文では,心理学的方法によるアプローチを試みる.

我々は,感覚器から刻々と移り変わる外部環境の情報を入力し,それらを処理し,出力することによって,再び外部環境に働き掛けている.情報の入力系は視覚,聴覚,味覚,触覚,嗅覚とそれぞれの刺激に対応した受容器をもっているのに対し,出力系は,筋肉の動きがほとんどを占めている.言葉を話すのも文字を書くのも筋肉の働きの結果である.表情も顔面の筋肉がつくりだすものである.一方,我々は,情報の入力のためにも積極的に運動を使っている.眼球運動はそのよい例であろう.また知覚が運動に関する知識に依存するという考え方もある.Liberman and Mattingly (1985)は,音声認識においては,調音器官の運動が大きく関わっていると述べている(音声知覚の運動理論).このように,運動制御機構は,身体の移動や対象物の操作のみならず,行動のあらゆる局面に深く関わっている.

運動は,目標物に向かって手を延ばす,操作対象の固さにあわせて握る力を調節するといったような,制御という側面と,そういった個々の操作をどのように組み合わせてある目的をもった行動を実現するかという手続き的側面に分けられる.はじめはぎごちなかった運動が段々速く滑らかになるといった,制御における学習には小脳が関連しているといわれる.それに対し,手続きの学習は大脳基底核と大脳皮質の相互作用で行なわれると考えられる.基底核は同時に,辺縁系から送られてくる動機づけや行動の評価についての情報と大脳皮質からの情報をもとに適切な行動の選択を行なっていると考えられている(Kandel, Schwartz, & Jessell, 1991; 彦坂, 1994).

運動に関わる大脳皮質の部位としては,直接脊髄の運動ニューロンに出力を送る細胞を含む1次運動野,そして高次運動野といわれる運動前野と補足運動野がまずあげられる.高次運動野では,前頭前野による行動の企画の情報,頭頂連合野からの体性感覚の情報,辺縁系からの動機づけや評価の情報を受け,大脳基底核と小脳の助けを借りながら,行うべき運動の選択や企画,構成,準備が行われると考えられる.それらの過程で得られた情報が1次運動野へ送られ,具体的な実行情報としての運動指令が形成されて,出力として脊髄,脳幹へ伝えられる.

本論文では,具体的な運動の目標が設定されてから運動が実現されるまでのメカニズムに焦点を当て,計算論的枠紐みでアプローチすることを試みる.