囲りが動けばあなたも動く
−視覚情報と自己運動感−



1.いまあなたは、動いていますか、止まっていますか。
 会社の帰り、自動券売機で切符を買う。自動改札を通り、地下鉄のホームに降り立つと同時に電車が入ってきた。ドアが開き、車両に乗り込み、椅子にすわる。まだ、出発までには時間がありそうだ。反対のホームを見るとそこにも電車が止まっている。しばらくすると自分の電車が出発した。と思ったが、振り返るとまだドアは開いたままだ。そうだ、向うのホームの電車が動き出したのだ。
 このようなことを体験したことは、皆さんおありになると思います。これは、視覚によって誘導された自己の運動の知覚と考えることができます。このような現象を、われわれは、視覚誘導自己運動と呼びます。この視覚情報によって誘導された自己の運動の知覚は、古くは、Machによって発見されました。彼は、橋の上から川の流れを見たときに、川の流れがとまり逆に自分と橋が動き出すことを例に上げています。
 このような視覚による自己運動感の誘導を利用したアトラクションは結構有名で、ディズニーランドでのスターツアーズ、博覧会のパビリオンなどでの大スクリーンによる臨場感のある映像などが挙げられます。スクリーンに写し出される画像からあたかも観客自身が乗り物に乗って移動しているような感じを引き起こします。
 それでは、このような現象はなぜ起こるのでしょうか。自分が動いているのか、あるいは止まっているのか、われわれは、どのようにして知覚しているのでしょうか。

2.自分の運動を知覚するしくみ
 われわれは、自分が運動しているか否かを知るために主に3つの感覚系を用いています(図1)。ひとつは、筋肉にかかる力の具合をフィードバックする体性感覚、ひとつは、頭の運動をモニターする前庭器官からの感覚、そして目から得ることができる視覚情報です。これらのうち前の二つの感覚は体にかかる加速度を感じることができるにすぎません。したがって、自分の足をつかって動くのではなく、車などを用いた受動的で一様な速度の運動の場合、視覚情報が自己運動の推定にもっとも大きく寄与していることになります。
 しかし、視覚情報だけでは自分が動いているのか、あるいは、外界が動いているのかの一意的な決定はできません。と言いますのは目から入る情報だけでは自分が動いているのか自分は止まっていて周りが動いているのかの区別ができないからです。これは視覚情報が相対的な動きの情報しかわれわれに与えてくれていないことによります。すなわち、自分が動いて外界が止まっている時の網膜上の外界の動きと、外界が動いていて自分が止まっているときの網膜上の外界の動きは、相対速度が同じ場合、区別がつかないということです。人はこの相対的な視覚情報と、他の情報を用いて自己の運動、外界の運動、他の物体の運動等を推定しているのです。したがって、体性感覚や前庭器官からの実際の物理的感覚が強くない場合、視覚情報は往々にして間違った推定を導き、自己運動感を生じさせるのです。
 人が知覚する運動の感覚には、前後、上下および左右に移動する感覚と、鉛直軸、視線軸および水平軸回りの回転の感覚があります。視覚誘導自己運動もこの6つの感覚を引き起こすことができます。ある方向に自分が移動している感覚はその運動方向と反対の方向に移動する画像を見せることで引き起こすことができます。また、ある方向に自分が回転している感覚はその回転方向と反対に回転する画像を見せることによって引き起こすことができます。これは、動いている画像が止まったように見えるため、画像の運動方向と逆方向に自分が動いているように感じるからです。
 では、どのような視覚情報がこの間違った感覚を導くのでしょうか。

3.自己運動を引き起こす視覚情報
 動いている画像を見れば、いつも自分が動いていると感じるわけではありません。通常は、自分自身は止まっていて画像自身が動いていると感じます。そこで、この研究では、自己運動感とそれを引き起こす視覚情報との関係を重心の動揺を測定することで調べてみました。なぜ、重心動揺を調べることで自己運動感を引き起こす視覚情報のことがわかかるのでしょうか。
 外界の動きを知るために必要な視覚情報は、同時に自己の動きを知るためにも使われていることをこれまでに述べました。自己の動きを知ることの最も重要な側面は自分の姿勢を正しく保つことにあると思われます。片足で立っているとき、目を開けているときと、目を閉じているときでは、目を開けているときのほうが長く立っていられます。これは、姿勢を保つのに視覚情報が重要な役目を担っていることを示すことになります。また、逆に考えれば姿勢の変化、すなわち重心動揺を調べればその視覚情報が自己の運動に対してどのような影響を与えるかが明らかになると思われます。
 視覚情報が自己の運動に与える影響について、特に深く関係していると思われる画像の大きさ、配置等について調べてみました。
 まず、画像の大きさが与える影響を考えてみたいと思います。これまでは、見える領域が大きいほど自己運動感が大きくなると考えられて来ました。しかし、われわれの実験から得られた結果によりますと、見える領域が30度から50度ぐらいを超え90度までは、それまでより、体の揺れは大きいがゆっくりとした動揺になることがわかってきました[1]。すなわち、不規則な体のゆらぎの多少が自己運動感の大小をあらわすなら、見える領域の広さと自己運動感の強さは、必ずしも比例しないと言うことができます。
 また、画像の配置に関しては、動いている物と止まっている物の間の前後関係を変えることで、より遠くに見える物が動いているときの方が不規則な体のゆらぎが大きくなることをあきらかにしました[2]。これは、次のように考えることができます。車に乗っている場面を想像してみてください。このとき、窓枠は自分とともに動いているので、止まって見えます。そして外は、自分の動きにしたがって後方へ流れているように見えます。このように、自分の知覚にある物が静止し、遠くにあるものが動いている場合、遠くの動きは自分の動きの結果によって起こったものであると考えることができます。したがって、この場合には、近くのものが動き遠くのものが静止している場合より、自己運動感が大きくなり、本来は不必要な姿勢の制御が行われ重心が不安定になっていると考えることができます。

4.これからの検討課題
 このように、自分がどのような運動をしているのかを、視覚情報から判断するのは、なかなか難しいことなのです。逆に、このことを使えば、実際は動いていないのに自分が動いているように感じさせることが可能になり、より臨場感のあるアトラクションを提供することができるようになります。  実際に実験してみると、大体において自分が動いているという感覚はすぐには生じてきません。しかし、最初に述べたように日常感じる自己運動感はすぐに生じます。この違いの原因を明らかにし、一層臨場感のある映像を生みだす技術を創造することが、われわれの目指すところです。

参考文献


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