光ファイバとミリ波でパーソナル通信を実現しよう
−そのためのキーテクノロジーとは−




ATR光電波通信研究所 無線通信第2研究室 小川 博世



1.はじめに
 人間の日常生活において、いつでも、どこでも、だれとでも通信をしたいという欲求は避けることのできない、むしろ本能に近いものです。ホモサピエンスがようやく地球上に誕生したころ、人類の先輩?であるゴリラ君達は森林の中で盛んに自分の胸をたたいてその音による原始的な通信をやっていたということです。その原形が人間になると木等の物をたたいて知らせるという道具を使う形になってきたのです。このような通信では音の到達する範囲内ではいつでも、どこでも、だれとでも通信ができたのです。活動範囲がはるかに狭い遠い昔ではこのように極論できるでしょう。話しは現代に進みますが、電気による通信はモールス信号のトンツーから始まり電話(一ヶ所に固定された電話)で完成したかにみえます。しかし、人間は動きながらも会話をしたいという古代から延々と続いてきた本能?のため、自動車電話、携帯電話等いろいろな通信手段を発明してきたのです。さらに、音声のみでなく、文章や図面を送ったりすることもできるようになってきました。そして、現在は移動しながらでも画像の通信を行える技術的段階にまできているのです。
 ATR光電波通信研究所では、このような“いつでも、どこでも、だれとでも画像を見ながら会話のできるパーソナル通信”のための基盤技術の研究を行っています。たくさんの人達が通信を行いますので、信号を伝送するための伝送路は多くの情報を運ぶことができるように準備されていなければなりません。また、映像は一般的には音声に比べると広い周波数帯域が必要です。これは現在使用している一般の電話機が伝える音声の周波数帯域が約4キロヘルツに対して、テレビで見ている映像は約4メガヘルツ(4キロヘルツの1000倍)の周波数帯域が必要であることから理解できます。キロヘルツ(KHz)はヘルツの1000倍です。その1000倍がメガヘルツ(MHz)、この1000倍がギガヘルツ(GHz)です。このような映像信号を用いて会話を行う端末の数が将来的に膨大になることが予想されますので、携帯電話機等の端末までの伝送路は周波数的に十分広くしていかなければなりません。ところが、現在通信を含めたいろいろな無線系サービスのために周波数30GHz以下の周波数帯は使用目的が既に決まっているのが現状です。このため、新しい周波数帯の開拓が必要となります。そこで、これを実現するために、端末に信号を送受するためのミリ波マイクロセルゾーン(半径が百m前後の無線ゾーンであり、移動通信では無線ゾーンがシステムの基本になります)とミリ波信号をこのゾーンまで伝送する光ファイバリンクからなるシステムを提案し、検討を行っています。ミリ波は30GHzから300GHzの間の非常に高い周波数(波長でいえば10mmから1mmの間)のことを言います。
 システムのイメージを理解して頂くため図1を用いてシステムの基本的な考え方を説明します。図1はある都市における近未来の移動通信の1つの形態を示しています。携帯電話は腕時計サイズまで小型化され、道路においても、建物の中でも通信ができます。さらに、携帯機は音声だけでなく、画像、データ等の広帯域情報も運ぶことができ、人間活動に非常に役立っております。道路に設置されている街路灯には無線機が設置され、どの場所でも無線機からの信号が届くように無線ゾーン(図中のハッチング部分)が構成されています。全ての街路灯には光ファイバ(図中の点線)が地下から接続されており、各無線機に信号を供給しています。さらに、ビルの中でも通信ができるように各階ごとの天井等に無線機が設置され、無線ゾーンが透き間なくビル内をおおっています。このようなシステムのアナロジーとしては日常生活では当たりまえになっている照明設備があります。ビル内は全て照明器具で明るく照らされていますし、外にいくとほとんどの道路には街路灯があります。これらすべての器具は電線によって電気が与えられています。そこで、図1のシステムで光ファイバが電線に、無線機が照明器具に、光/ミリ波変換器が電球に、そしてミリ波が光に相当していることが容易に想像できるでしょう。このようにATRでは現在の電気と同じように近未来の日常生活で当然の物となるであろうパーソナル通信を目指して研究を行っています。
 ここでは、なぜミリ波帯の信号を用いるのか、また光ファイバはどのようなメリットをシステムにもたらすのか、さらにこれらのシステム実現上のキーテクノロジーについて紹介します。

2.なぜミリ波か
 図1で示したシステムでは膨大な数の携帯機、しかも画像等の信号も扱うため、無線基地局(百m前後の無線ゾーンを構成し、小型化された送受信機、アンテナ等からなる)と端末間の無線周波数帯は広くする必要があります。例えば、極端に簡単化した例で示すと、テレビで見ている動画像で無線の周波数を直接周波数変調(FM)した場合に必要とされる周波数帯域は約40MHzであり、もしこの帯域を1つの端末に割り当てて1つの無線基地局で100端末を収容した場合の無線周波数帯域は4GHz(=4000MHz)となります。ところで、現在の自動車・携帯電話に割り当てられている周波数はNTTの場合片方向たかだか15MHzであり、直接周波数変調の場合1つの動画像も送れません。より広い周波数帯域がとれる周波数帯を用いることができれば上記のような映像情報を多くの端末に供給できますが、現在では他の周波数帯も各種通信等のために既に割り当てられており、使える周波数は非常に限られているのが現状です。そこでこれを解決できる1つの方法としては、十分な利用がなされていない30GHz以上のミリ波を用いることです。さらにミリ波には広い周波数帯域が得られるという特徴があります。例えば、無線周波数に50GHzを用いた場合、先の4GHzは比帯域(帯域幅/無線周波数で定義されており、帯域幅が無線周波数に対してどの程度の割合であるかを示す指標であり、目安としては小さい方が回路的に実現し易い)にして8%、60GHzにすると7%であり、これらは現状のミリ波回路では実現し得る帯域です。これが近未来の移動通信にミリ波を用いたい1つの理由です。
 もう1つの理由はミリ波の伝搬する到達距離が短いことです。ミリ波は大気中の分子(酸素、水蒸気等)、降水(雨、雪等)により減衰することが知られています[1]。例えば、無線周波数を60GHz帯に選ぶと酸素による呼吸が顕著になり、1km当り約40分の1に減衰します。この特徴は逆に無線ゾーンを構成するときに利用できます。すなわち、収容する端末数が飛躍的に増大することが考えられるため、同一の無線周波数を繰り返して使用するマイクロセルゾーン(半径が数100メートル程度の無線ゾーン、現在の自動車電話の首都圏における無線ゾーン半径は数キロメートル)の検討が進められていますが、上記減衰特性は信号の混信や干渉を軽減できるように利用でき、無線周波数を効率良く用いたシステムになります。また、無線ゾーンが小さくなれば、無線基地局と携帯端末の送信電力を低下させることもでき、このためさらに基地局と端末を小型化できるメリットもあります。
 このようなミリ波分配ネットワークが近未来通信の形態として有望であることが理解して頂けたかと思われますが、それでは次に問題となるのはいかにしてミリ波を無線基地局まで伝送するかです。

3.なぜ光ファイバか
 光ファイバは長距離・大容量通信実現のための伝送媒体として用いられ、最近ではCATV等の光分配システムへの応用も盛んであります[2]。光ファイバの構造は図2に示すように、直径が約10μmのコア(屈折率n1)と直径が約125μmのクラッド(屈折率n2)からなります。材料は軽量な石英系ガラス等です。もしn1がn2よりも大きく、なおかつ入射角が特定の条件を満足すれば図のように光は全反射して光ファイバ中を伝搬します。このように、光ファイバの構造は他の線路に比し細径であり、そのため小型かつ軽量です。したがって、導波管よりもはるかに設置性に優れ、信号分配ネットワーク形成には適した伝送媒体と言えます(光CATVで実績を上げつつあります[3])。
 光ファイバの他の大きな特長は低伝送損失と広帯域性です。波長1.3μm(光のキャリアは波長で表されるのが一般的)で光を6km伝送しても約半分にしか減衰しない特性が標準的に得られており、これは設置性に優れた同軸線路の伝送損失よりもはるかに低い値です。このため、システムの制御を行なう制御局と無線基地局の間の距離の自由度が大きくなり、数十kmの伝送距離の確保も可能です。波長1.3μmは周波数約230テラヘルツ(テラヘルツTHzはGHzの1000倍)に相当し、例えば60GHzは比帯域で約0.03%であるため、光の帯域ではミリ波の帯域は全く問題となりません。このため、ミリ波を多重化した信号も光ファイバで伝送できることになります。このように、光ファイバは多数のミリ波信号を低損失で所望の場所に伝送してマイクロセルゾーンを形成することのできる伝送媒体として非常に有望です。

4.サブキャリアとは何か
 それでは次にミリ波を伝送するための光ファイバリンクについて紹介します。その前にこれから何回も使われるサブキャリアの用語の定義を述べます。キャリアは変調信号を伝送するための搬送波として無線通信では使われていますが、光ファイバを伝送路として用いる場合キャリアは1.3μm等の光です。ミリ波信号は光キャリアを変調するための変調信号になりますが、光レシーバーで検出後無線ゾーンに放射され、今度はミリ波がキャリアとなって端末機に変調信号を供給することになるため、サブキャリアと言われています。複数のミリ波信号(マイクロ波も含む)を多重化して光ファイバで伝送するシステムのことをSCM(Subcarrier Multiplexing)と呼ばれているのはこのためです[2]
 まえがきが長くなりましたが、ミリ波伝送用光ファイバリンクの基本構成例を図3に示します。当研究所では他にも種々の構成のリンクを提案していますが[4][5]、本稿では最も簡易化した例を示します。なお、ミリ波を直接伝送しないで低周波を伝送し、光レシーバー側でミリ波に変換する構成ももちろん考えられますが、ここでは議論しません。ダウンリンク(制御基地局から無線基地局へのリンク)の基本構成要素は、光キャリアを発生する光源(LD:Laser Diode)、光キャリアをミリ波で強度変調する光外部変調器(EOM:External Optical Modulator)、光キャリアを伝送する光ファイバ、光キャリアから変調信号(ミリ波)を検出するための検波器(PD:Photodetector)です。その他の電気回路としては、ミリ波信号合成器、ミリ波増幅器、ミリ波放射器等があります[6]。また、無線基地局から制御基地局へのアップリンク例も図3に示していますが、端末からのミリ波信号レベルは一定ではありません。もし、これらの受信信号で直接光を変調すると受信レベルの高い信号が歪んでしまいます。そこで、受信レベルを一定にするため従来の無線装置で良く用いられているヘテロダイン方式[7]でミリ波信号を低周波に周波数変換して受信レベルを一定にします。この信号で光の強度変調を行いますが、周波数が低くなったために外部変調器を用いる必要がなく、LDの直接変調で低周波サブキャリアを制御基地局に伝送できるメリットがあります[8]

5.ミリ波伝送用光回路技術
 図3でミリ波伝送のための重要な光回路は、光キャリアをミリ波サブキャリアで強度変調するための光外部変調器(EOM)、およびキャリアからミリ波サブキャリアを検出するための光検出器(PD)です。当研究所ではこれらの回路に関する研究を行っていますが、ここでは特に無線基地局の超簡易化を図ることのできる光受信回路技術を紹介します。
モノリシック集積回路は半導体基板上に全ての回路素子を集積化できるので、各種装置の簡易化に盛んに適用されています[7]。マイクロ波の分野ではMMIC(Monolithic Microwave Integrated Circuit)と言われ、光の分野ではOEIC(Opto-Electronic Integrated Circuit)と言われています。MMICでは高周波化、高集積化等が、OEICでは高速化、高集積化等の検討がそれぞれ行われています。我々はMMICの高周波化に着目し、また無線基地局の光受信器の構成要素が光検出器を除いて全てマイクロ波〜ミリ波デバイスで構成されていることも考慮して、MMICの光応答特性の検討を進めています。MMICのプロセスで製造されたデバイスが良好な光応答特性を持てば、MMICで光受信器が実現できるのです。MMIC用デバイスにはいろいろな種類のダイオード、トランジスタがありますが、現在は主にHEMT(High Electron Mobility Transistor)とHBT(Hetero-junction Bipolar Transistor)の光応答特性の解明、他の回路との集積化の試作を進めています。図4にHEMTの光検出器とHEMTの広帯域増幅器を1枚の半導体基板上に同時に集積化したチップパターン例を示します[9]。基板の大きさは1.55×1.7mmと小さくすることができました。図にはデバイスと光キャリアの結合法もあわせて示します。

6.ミリ波サブキャリア伝送特性
 ここでは図3で示した伝送リンクを用いて画像信号がどのように伝送されるのかを模式的図面を用いて示します。画像信号は図5に示す映像スペクトルを有するNTSC信号(ベースバンド帯域幅は約4MHzであり、テレビジョンで見る信号と同じ)であり、これをミリ波周波数変調器でミリ波帯に変換します(図5のスペクトラム1)。ここで示すサブキャリア周波数は25GHz帯です。このスペクトラムで光キャリアの強度変調(振幅変調)を行いますが、使用した変調器は電気光学効果を有するLiNbO3基板上に製作した進行波導波路型変調器です。なお、導波路型変調器については文献[10]に詳しい記述があります。図のように変調後の光のスペクトラムには振幅変調のため上測波帯と下測波帯のスペクトラムが得られます。これらの成分がMMIC化HEMT光検出器で検波され25GHz帯のサブキャリア周波数スペクトラムが得られます。この検波出力スペクトラム2も図5に示しましたが、EOM入力からPD出力間には約80dBのリンク損失(電気光変換器、光ファイバ、電気光変換器の3つの損失の和)がありますので、減衰されて図のようにスペクトラムが乱れています。しかしながら、FM伝送路の評価は信号対雑音比(SNR:Signal-to-Noise Ratio)を用いて行なわれていますが、評価SNRとして約50dBの高い値が得られており、光ファイバ+HEMT光検出器でも良好なFM伝送路を達成できることが理解できます[11]

7.むすび
 パーソナル通信への適用を目的に“ミリ波”と“光ファイバ”を用いたシステムの紹介、さらには回路技術、サブキャリア伝送特性について述べました。現在は、50GHz帯のサブキャリア伝送特性の評価を行っておりますが[12]、今後はさらにミリ波技術と光ファイバ技術の融合化した領域の技術を確立し、光ファイバを用いたミリ波パーソナル通信のための基盤技術を発展させていきます。



参考文献