ガリウム砒素(111)A面が開く新しいデバイス技術




(株)ATR光電波通信研究所 通信デバイス研究室 武部 敏彦



1.はじめに
 情報通信技術は、光ファイバ伝送技術、ディジタル通信技術、そして大規模集積回路(LSI)技術等に支えられ飛躍的な発展を遂げてきました。しかし、21世紀の高度情報社会においては、大容量伝送技術や知的通信情報技術等の新しい技術が必要であり、このための新しい高性能・高機能なデバイスの出現が望まれています。当所通信デバイス研究室・材料物性研究グループは、新しい材料、材料構造、材料特性の発見・創造を通じて将来の新しい高機能通信デバイスの構築に寄与することを目的としており、ソフトウェアの研究が主流のATRにおいては異色でハード中のハードの部分を担っていると言えます。研究対象としている材料はガリウム砒素(GaAs)、アルミニウムガリウム砒素(AlGaAs)、インジウムガリウム砒素(InGaAs)等のIII族とV族の元素から成る化合物(III-V族化合物半導体と呼ぶ)です。これらの薄膜結晶を分子線エピタキシー(molecular beam epitaxy; MBE)という方法でGaAs基板上に原子レベルの制御性で成長させています。これは、図1に示すように加熱されたるつぼから出てきた各原料元素のビーム(分子線)をコンピュータ制御したシャッタの開閉で精密にon-offし、超高真空中に加熱されて置かれてあるGaAs基板上に1原子層ずつ結晶を堆積させていく方法です。さて、上述の半導体はシリコン(Si)半導体に比べ電子の速さが約5倍、光も発生できることから、高速の電子デバイスや高効率の光デバイスに既に実用化されています。また、30年以上の研究の歴史があり、なにを今更と思われるかも知れません。ところが、これらのIII-V族化合物半導体には、結晶を切り出す面方位によって結晶の性質が大きく異なるという特徴(異方性という)があり、最近その研究が注目を集めているのです。私達は、異方性を利用することにより、複雑な構造のデバイスを比較的簡単に作製したり、新しいデバイス構造を実現できるのではないかと考え、特にユニークな特徴を持つGaAs(111)A面に注目し、異方性を積極的にデバイスに応用して行こうと研究を進めています。ただ、(111)A面の研究はこれまでほとんど行われていなかったので、基礎的研究からスタートする必要がありました。最近、漸く(111)A面上にデバイスの作製が可能となってきました。ここでは、(111)A面上の結晶成長とその評価、そして(111)A面特有の性質を利用した新しい構造の試作とそれを利用した面発光レーザの提案について紹介します。

2.GaAs(111)A面とは?
 GaAsは、結晶学的にはSi結晶と同じ原子配列をとり、Ga原子とAs原子が交互に規則正しく並んだ結晶です[1]図2にGa原子とAs原子の並び方を示した結晶模型を示します。前述のGaAs系材料を用いたデバイスは、全てGaAsの(001)面という面を切り出した基板上に薄膜を成長させることにより作製されてきました。(001)面が伝統的に利用されてきた理由として、容易に良質の薄膜が得られることと、互いに垂直な2つの劈開面(結晶が切断され易い面)が存在するので、デバイスのチップ化がし易く、また、レーザダイオードの共振反射面として都合よく利用できる、といったことが挙げられます。他の理由としては、他の面での成長層の質が悪く、とてもデバイス応用に耐えられなかったことが挙げられます。(111)A面も良質の成長層がなかなかできませんでしたが、最近、私達はデバイス応用に耐える成長層を再現性良く得る技術を初めて確立しました。それは、この面の性質が(001)面と異なっているので、良質の成長層が得られる条件が(当然といえば当然ですが)(001)面と大きく異なっていることが分ってきたからです。それでは、GaAs(111)A面は(001)面と比べどのように違っているのでしょう?
 図2にそれぞれの面でのGa原子とAs原子の並び方を模式的に示してあります。一見して、同じ結晶とは思えないくらい違って見えます。実際、特性も表1にまとめたように違っています。半導体の伝導型(n型かp型か)は不純物の種と量を制御して結晶内に添加(ドープ)することにより制御します。先ず私達が注目した性質は(001)面にないSiの両性不純物性、すなわち条件によってn型にもp型にもなる性質です。これについて、どのような基板及び成長条件のもとでn型不純物になったりp型不純物になったりするのか、どの位までドープできるか、また、デバイス応用において重要な高温での安定性を調べました。

3.Siのユニークなドーピング特性
 図3は、(111)A面及び〔111〕Aから〔001〕方向に傾けて切り出した面上に、成長温度Tg=600℃で成長させたSiドープGaAsの伝導型を、傾斜角ψ及びAs分子線強度(単位時間当たり単位面積に入射するAsの数)のGa分子線強度に対する比γに対してプロットしたものです[2]。図に示されるように、γが低いほど、またψが小さいほどSiがp型不純物として働き、逆の場合にはSiがn型不純物として働くことが分ります。Tgが高いほどp型領域が広がり、逆にTgが低いほどn型領域が広がることもわかりました[3]。このことは、逆にTg、γ、及びψをうまく設定すればSiドーピングのみで自在に望みの伝導型が得られることを示しています。図4は、(111)A、(001)、及び(111)B面((111)A面の裏面)上でのSiドーピング特性を比較したものです(Tg=600℃、γ=1.4)[4]。Siドープ量に対して発生したキャリア濃度をプロットしてあります。(001)及び(111)B面ではn型伝導が得られますが、いくらドープしても6×1018cm-3の電子濃度で飽和してしまうのに対し、(111)A面ではp型伝導を示し、6×1019cm-3に至る高い正孔濃度が得られることが分かります。
 多層薄膜構造を利用した近年の高性能デバイスでは、高濃度の不純物を非常に狭い領域に閉じ込めてドープするいわゆる原子層ドーピングの技術が用いられています。それが効果的であるためには、その不純物が高温でも動きにくく安定していることが必要です。(001)面では、n型不純物として働くSiが安定していることが知られており、急峻な原子層ドーピングが実現しています[5]。一方、p型不純物として働くBe、Zn、Cdは熱による拡散が著しく、すぐに広がってしまいます。そこで、(111)A面上でのSiアクセプターの原子層ドーピングを試みたところ優れた熱安定性を持っていることが証明されました[6]
 このように、(111)A面とSiの組合せは、1種類の不純物で伝導型が制御できること、広い範囲で補償なくドープできること、そして優れた熱安定性を示すことから、デバイス応用上極めて魅力的であります。

4.良質な(111)AGaAs層およびヘテロ界面の成長に成功
 (111)A面は、第2、3節で示したような他の面方位にはないユニークな特徴がありながら、表面が凸凹していて使えるような良質の成長層がなかなかできませんでした。最近、私達はデバイス応用に耐える成長層を再現性良く得る技術を初めて確立しました。そのポイントは、(001)面と(111)A面の差異により、基板の前処理方法や結晶成長の最適条件が両者で違うことです。
 先ず、基板の化学的前処理方法については、(001)面で用いられている酸系エッチング液は不適当で、唯一のアルカリ系エッチング液NH4OH+H2O2+H2Oのみ平坦な成長面をもたらすこと[7]、次に基板導入時のMBE装置内の残留Asを極力低く抑えた上で、成長直前の基板熱処理時のAs圧は(001)面の場合よりも高くすることが重要であることが分かりました[8]。そのようなプロセスを踏んで初めて、非常に滑らかで鏡面のGaAs成長層が得られることが分かったのです。図5に条件見直しの前と後での表面状態の比較結果を示します。表面が良くなると成長層の電気的・光学的特性も向上しました。
 さて、(111)A面のデバイス応用を考えると、Siドーピング制御、表面状態の改善のみならず、異なる種類の薄膜を積み重ねて成長させたときに急峻なヘテロ界面が形成されることが不可欠です。前述のプロセスを踏んで、Tg=600℃で(111)A基板上に50nm厚のAl0.5Ga0.5As層で隔てられた2、3、5、9及び13nm厚の極薄いGaAs層を連続成長させ(図6(a))、レーザ光を照射したときの各GaAs層からの発光(フォトルミネンス(PL)と言う)の波長とシャープさを観測することでGaAs/AlGaAs界面の急峻性を評価しました(図6(b))[9]。その結果、界面のゆらぎがあるとしてもせいぜい1原子層(約3Å)程度の急峻な界面が実現していることが明らかになりました。

5.3回対称性を利用したキャリア閉じ込め構造
 良質の(111)A成長層が実現しましたので、次に私達は、(111)A面の3回回転対称性(表1)をSiの両性不純物性とうまく組み合わせると、以下のような面白い構造が作れることを提案し実証しました[10]
 先ず、半絶縁性GaAs(111)A基板に感光剤を塗布し、写真技術で正三角形のパターンを形成します。三角形のコーナーを結晶のある方位に合わせておくと、適当なエッチング液で、(111)A基板面から約30°の等価な3つの(001)関連の斜面((113)A面と呼ぶ)で構成される台状に突き出た構造を形成することができます(図7(a))。この上にMBEでSiを1×1018cm-3ドープしたGaAsを1μm、Tg=620℃、γ=6.8で成長させます。この条件では、(111)A面上ではp型、3つの斜面上ではn型となります(図3及び図7(b))ので、ちょうど三角形のp型領域が横方向p−n接合で周囲をぐるっと囲まれ、そのポテンシャル障壁で正孔が中央の三角形領域に閉じ込められた構造が作れたことになります。ここで強調したいことは、このような複雑な機能をもつ構造が、上記の(111)A面の特徴を用いてSiドープしたGaAsを成長するだけで形成できる、ということです。(001)基板でも、同様のプロセスで(001)基板面から55°の角度を持つ(111)A面を斜面に持つストライプで横方向p−n接合(この場合は斜面がp型)を作れますが、2回回転対称性しかない(表1)ので、閉じ込め構造はできません。
 次に、このように形成した構造に実際にキャリア閉じ込め効果があるかどうかを光学的な方法と電気的な方法で評価しました。光学的には、走査型電子顕微鏡(SEM)内で、絞った電子ビームを試料に照射し(図7(b))、照射部分から発する光(これをカソードルミネセンス(CL)と言う)の波長λと強度を測定し、(111)A領域と斜面とで比べてみました。[10]。(111)A領域からはp型を示すλ=835nmの、3つの等価な斜面からはn型を示すλ=806nmの均一な発光が観測され、意図した横方向p−n接合ができていることを確認しました。電気的評価として、図8(a)の様に中央とパターン周辺の(111)A領域にp型のオーム性電極を形成し、その間の電流−電圧特性を測定しました。結果を図8(b)に示します。±10Vまで電流が流れない良好な閉じ込め効果が確認できました[11]
 その他、この特長ある三角形構造の最適化に関して様々な検討を加えましたが、その過程で新しい知見が得られ、プロセス技術の開発・蓄積ができたことを付記しておきます[12-15]

6.(111)A面のデバイス応用
 金属と半導体の接合は、ショットキー障壁と呼ばれ、整流作用があることは古くから知られており、集積回路の基本デバイスである電界効果トランジスタ(FET)のゲートに用いられています。前述のような良好な表面が実現しましたので、Siドープのn型、p型(111)AGaAs層上に金属を真空蒸着し、その整流特性を調べました。その結果、(001)面に比べ金属の種類による整流特性の変化が大きく、表面準位密度が低いという結果が得られました。また、p型では(001)面より整流特性の向上が見られました[16]。このような表面の性質の違いも新たな応用分野を見出せると期待しています。
 第3節で示したように、微傾斜基板上でTgとγを変えることによりSiドープでp型とn型を容易に作り分けることができることを利用して、発光ダイオード(LED)を試作しました[17]。ψ=5°微傾斜させたn型(111)A基板上に、Siドーピングのみで先ずTg=540℃/γ=7でn層を1μm成長し、続いてTg=620℃/γ=2でp層を1μm成長しました。Siドーピング量は1×1018cm-3です。電極を付けて電流を流すことにより、電流量に伴って強くなるλ=860nmの発光が確認されました。これは、(111)A面上で、そして、Siドーピングのみで作製した初めてのLEDです。現在のところは、上記の単純な構造のデバイスしか試作できていませんが、先ずプロセス技術を固めてゆきながらデバイス構造を複雑化していこうと考えています。
 将来の(111)A面利用デバイスとしては、図9の模式図に示すように、前節のキャリア閉じ込め構造を活かした面発光レーザを考えています。動作層は(111)AアンドープGaAs層で、上下のp型とn型AlGaAs層で縦方向に注入キャリアを閉じ込めます。更に、それらを上下のp型とn型GaAs/AlGaAs超格子ブラッグ反射鏡(DBR)で挟んでレーザ発振させ、上側からレーザ光を取り出すというものです。電流は上下の電極間に流しますが、上側のGaAs/AlGaAsDBRの斜面n型層がブロックして斜面には電流が流れず、注入電流は動作層に集中するという仕組みです。まだ検討中の段階ですが、結晶成長、構造設計、デバイス作製プロセスを一歩一歩具体化してゆきたいと思います。最終的には、図10に示すように、構造を微細化しアレイ状に配列させることによって、例えば画像情報などの高速・並列処理機能を有する要素として発展できる可能性を含んでいると考えています。その他、横方向p−n接合と縦方向の多層構造を組み合せた新しいトランジスタや発光デバイスも模索しています。
 また最近、格子定数(原子間距離)が異なるInGaAsとGaAsの積層構造を形成すると、格子歪みが〔111〕方向に大きな電界(〜2×105V/cm)を発生する圧電効果[18](表1)に注目しています。この効果により、光学的・電気的に面白い現象が引き起こされます。(001)面上では得られないこの効果も(111)面のユニークな特徴と言え、今後研究すべきテーマと考えています。

7.おわりに

 当グループのGaAs(111)A面の研究は、基礎的な結晶成長と評価のレベルから、ようやく(111)A面の特徴を活かした新しいデバイス−キャリア閉じ込め構造、面発光レーザ、LED等−を提案・試作できるレベルに上がってきたと自負しています。このため、最近、当グループの研究成果が国内外で注目されるようになってきました。更に、これまで説明してきた、Siの両性不純物性と熱安定性、縦横のp−n接合、キャリア閉じ込め構造、ヘテロ接合、超薄膜多層構造、そして圧電効果をうまく組み合せると、(001)面では不可能な(111)A面ならではの構造や機能を持つ複雑多様なデバイスが簡単なプロセスで集積化されて1枚のウエハ上に実現できる可能性があります。図10の面発光レーザアレイはその1つのプロトタイプです。とは言え、まだまだ(111)A面はわからない部分が多いので、基礎研究も引続き進めながら、(111)A面ではなくてはできないという新しいデバイスを追い続けたいと思います。



参考文献